隙(あらば)自(作品)語(り)シリーズ第一弾

 噂の『性癖小説選手権』主催のdekai3先生から講評をいただきましたとっても嬉しい。

 ありがとうございます!

 何度でもお礼を言いたい。


https://kakuyomu.jp/user_events/16816927862082186617


 こちらの企画に参加した

『伊代さんは、俺の母親になってくれるかもしれない』

 という怪文書に関する怪文書です。


 この企画の概要欄にあるように、なんでも好きなことを書いていいと!

 好きなシーンから書いちゃっていいんだよと!

 ありますので!

 気の向くままに書いた性癖小説怪文書のURLがこちらになります!


https://kakuyomu.jp/works/16816927863185191285


 ***


 急に始めました。

 隙あらば自作品語りシリーズ。

 略して隙自語シリーズ!


 第一弾です!


 第一弾がこちらでいいのか、とは自分でも思いますが(もっとほら……他にもあるじゃん……パーフェクトシリーズとか)この講評をいただいてテンションが高まっているタイミングで想いをまとめておきたくて第一弾としました。

 あとは、これ以上続きを書かれないのであとから矛盾が発生する可能性もゼロというわけです。

 言いたい放題できますね。

 主に過去の自分へのツッコミと、彼の設定に関する話が中心です。

 読むと理解は深まりますが、読まなくともアレは「なんだこいつ……やば……」と思わせるのがメインなので歩み寄る必要はありません。


 書いたのは2022年5月6日なので、2ヶ月半ぐらい経過しましたか。

 その頃はZSG(現在更新中の長編『Zero-Sum Game supported by TGX』のこと)もまだSeasonXですね。

 まだ大天才幼女がMMORPGの世界で破天荒に暴れまくっていた頃。


 公開したはいいものの、吐き出したモノをまた飲み込みたくないので自分では読み返していなかったぐらい、その場の勢いで書きました。


 書いて公開してから「まあ、自主企画の期間が終わったら消して『あのときのショートショート』に移設すればいいよね」と気楽に構えていたのですが、概要欄をよく読んで、講評をいただけるならいただきたいの気持ちが上回って、現在も公開中のままとなっています。


 カクヨムちゃんの界隈では見かけませんが、たまに「こんな作品を作った人はとんでもない人格破綻者だ」みたいな理論を振り翳してくる人がいるじゃあないですか。人を殺すゲームをしているプレイヤーは現実でも人を殺すだろう、的な「現実と混同している」一例ですが、自分は自分でわりとまともな人間なので、人格を攻撃するのはやめてください。凹みます。自分は根に持つタイプでもあるので、指摘されたりツッコミを入れられたりすると一週間ぐらい落ち込みます。褒めとセットでお話しされても、そのマイナスポイントが目についてしまうんですよね。メンタルが弱いことを食べ物の『豆腐』に喩えることはありますが、自分の場合はジェンガみたいなものです。積み上げるのに時間がかかるのに一個ブロックを外されるとボロボロになってしまう。そろそろ成長したいですね。


 日比谷忠弘については、モチーフとして『パンドラの箱』があります。開けたらいろんなものが逃げていって、最後に『希望』が残ったっていう。ここに自分なりの解釈として「いや、箱そのものも残ってるじゃんね」を加えました。箱そのものを〝喜怒哀楽の各種の感情がが【分裂】して抜け出してしまったの人間〟としています。

 喜怒哀楽の感情のそれぞれのキャラクター性については本作よりも『トキシックレコード』という別作品のほうが詳しいです。『トキシックレコード』についてはまた別の機会に触れますよ。

 今回の『伊代さんは、俺の母親になってくれるかもしれない』では日比谷忠治(以下、ハルと表記)――喜怒哀楽の楽――がメインです。本文にあるように喜→怒→哀→楽の順番で抜け出してしまっていて、キャラクターの精神年齢もこの順番となっています。これも独自解釈なのですが、喜怒哀楽の中でも楽って特殊ではありませんか。ふとすると喜びにも含まれてしまう不安定さ。自分ではない他の存在に触れることで発生する感情。自己の存在が最も曖昧だからこそ、である日比谷忠弘本体の手を取って逃げ出し、助け出してくれた霜降伊代(『伊代さんは、』の伊代さん本人)を崇拝し、また、上司たる作倉卓(本文中では、最後に語っている人ですね)に自己の有用性をアピールしていかないと自我を保つことができない。

 今作の語り手のような女性(酔っ払ってベンチで寝ていたら連れ去られた人)ばかりを狙っているのは勝てる相手にしかケンカを売らないからです。負けるのは楽しくないので。もっと「たーのしー!」(ジャ○リパーク感)ってセリフを入れたらわかりやすかったかもしれん。本人は犯罪行為の自覚はないし、兄弟(※兄弟ではない)にも話していないので兄弟(※兄弟ではない)は知りません。

 ハルがこうなってしまう……というか、その『逃げ出して伊代さんに助け出される』エピソードは自分の脳内にしか存在しません。折を見て「いつか文章としてお出しするぞい」とは思っているんですがまだ書けていませんね。連載中の長編を優先したい(物語は完結してこそ初めて意味がある教)生き物なのに、並行して物語を考えることができない(頭の中がとっ散らかってしまう)んですよね。『神のMany Manny』を書いたあとも『Zero-Sum Game supported by TGX』のほうへ戻ってくるのにしばらく時間がかかってしまった。


 自分は平成仮面ライダーが好きなのですが、プロデューサーさん(要出典。脚本家さんのほうかもしれません)がとあるインタビューで語っていた〝勧善懲悪〟といいますか『人を殺してしまった人間は報いを受ける』理論(ex.龍騎や555など)が自作品の根底にも流れていて、これもまた『トキシックレコード』にも関連してくる……いや、『トキシックレコード』で忠信(三男の哀)が語っているような未来しか待ち受けていません。『トキシックレコード』しか読んでいないかたには『伊代さんは、俺の母親になってくれるかもしれない』も読んでいただいた上で「運命がむごい」と評価していただけるのかを知りたいところ。作者はキャラに関する設定を全部知っている――知らない設定については考えていないだけ。例えば文章で描写しきれない容姿とか本編には直接関係のない設定とか――ものですが、読者は(小説という媒体においては)書いてある内容からしかその人となりを読み取れないから、作者からみたそのキャラクターと読者からみたそのキャラクターの見え方が違っても致し方ないですよね。致し方ないとはいえ「いや……こいつらはそんなにいい子じゃなくて……」ともにょもにょする。もにょもにょはするけど、人間、エスパーだとかサトラレでもない限り他人がその腹の奥の底では何を考えているかなんて分かりませんからね。表向きの顔だけをみて判断してしまいがち。


 タイトルの『俺の母親になってくれるかもしれない』の部分については、仮面ライダー555の草加雅人というキャラクターのセリフからの引用です。この〝母親〟という存在については『Zero-Sum Game supported by TGX』のSeasonY(第26話以降をSeasonYと分類しています)でも大きく取り扱っているので、できればそちらを読んでいただきたいところではあります(隙あらば宣伝)。ハルとしては行き場のない自分と本体を救ってくれた伊代さんまじリスペクトフォーユーってことです。まあ、伊代さんはお前のこと嫌いなんだけどな。

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