第35話

 訓練所は広大で、立派な兵舎と診療所、トレーニング器具を揃えた施設、武器を収蔵する倉庫などがずらりと並んでいる。

 途中で合流したケルグが、ロレインたちを模擬試合の行われる闘技場まで案内してくれた。

 階段状の石のベンチと、屋根付きのボックス席がいくつかあり、ロレインたちは中央のボックス席に落ち着いた。そこからだと闘技場のすべてがよく見渡せる。

 屈強な戦士たちが準備運動で汗を流している。防具は革製の胸当てとブーツくらいのもので、鍛え上げられた肉体は自信と迫力に満ちていた。

 中央に立つジェサミンは陽光を浴び、黄金色に輝いている。彼はたくましい腕を胸の前で組み、少し足を開いて立っていた。

 厳しいまなざし、集中していることが感じられる顔つき。どうやら戦士たちに厳しく指導しているようだ。


「兄さまーっ!」


 カルが声を張り上げた。戦士たちがロレインを見上げて会釈をする。そういうときの彼らは穏やかな表情で、信頼のおけるお兄さんといった雰囲気だ。

 ロレインは三つ子を促して、全員揃って笑顔で会釈を返した。

 顔をあげたとき、ジェサミンと視線が絡み合った。彼の強烈なオーラが高まるのがわかる。 

 恋をすると世界が薔薇色になると言うけれど、ピンク色の花弁が何百枚と舞い落ちてくるかのような甘ったるいオーラだ。

 ジェサミンはロレインと三つ子に気前よく笑顔を振りまき、ぶんぶんと手を振っている。模擬試合の解説役としてカルの横に座っているケルグが、小さくつぶやいた。


「……これが恋の魔力というものでしょうか。この雄弁なオーラは、恋の波動と呼ぶべきものですね」


 ロレインは恥ずかしさに顔をほてらせた。ジェサミンのオーラは、ロレインが好きだということを暴露していた。


(うん。私ってば愛されてるなあ……)


 心の底から喜びが込み上げてくる。マクリーシュにいるときには一度も味わったことのない感覚だ。

 戦士たちは顔を赤くしていた。オーラには慣れていても、恋愛感情を大っぴらにするジェサミンには慣れていないのだ。

 彼らはジェサミンとロレインを交互に見て、それからケルグに助けを求めるような顔を向けた。ケルグが静かに首を横に振る。


「陛下にとって、ロレイン様は絶対不可欠な存在なのですね。あんなに生き生きとした、無邪気なオーラを出す陛下を、私はこれまで見たことがありません。鋼鉄の自制心をお持ちの陛下でも、抑えることが難しいようだ。いや、漏れている自覚がないのかな」


 ケルグが感嘆した様子で言った。そして「新婚ですしね」と笑いながら目を細める。


「え、ええ……」


 身悶えしていることを隠すために、ロレインは咳ばらいをした。

 こちらに引き付けられていたジェサミンの視線が、また戦士たちの方へと戻る。強い意志の力を湛えたオーラへと瞬時に切り替わった。

 ジェサミンとひとりの若者が、闘技場の中央に立つ。


「まずは陛下とファレイが闘います。ファレイは戦士の中では小柄ですが、軽快な動きで素早い攻撃を繰り出します。使用する剣は刃を潰してありますのでご安心を」


 ケルグの言う通り、ファレイは巧みな足さばきを見せた。素早い攻撃やフェイントを繰り出すが、ジェサミンは即座に反応する。反撃し、受け流し、ファレイの胴に突きを入れた。

 試合を見守る三つ子から歓声が上がる。真剣勝負と見まがうほどに激しい戦いに、ロレインの心臓は口から飛び出しそうだった。

 ジェサミンの剣は、まるで腕の一部のようだ。これほど上手に剣を操る人を初めて見た。大きな体で力任せに切りつけるだけではなく、敏捷な動きと繊細な技巧にも優れている。

 ファレイはじりじりと後退していた。剣を振り上げたジェサミンの背中の筋肉がしなり、次の瞬間ファレイの肩に一撃が加わる。その衝撃でファレイは体勢を崩した。

 ジェサミンが目にもとまらぬ速さで剣を突き出し、ファレイの手から剣を弾き飛ばした。


「勝負ありですね。やはりファレイの実力では、自分を守ることに全力をあげるしかなかったか」


「兄さますごいっ!」


「つよーい」


「かっこいいっ!!」


「陛下は誰よりも練習熱心なのです。忙しい仕事の合間を縫って鍛錬しておられます。だから動きに隙がないのですよ」


 ケルグの言う通り、本当に見事な腕前だ。ロレインは神に祈るように、胸の前で指を組み合わせた。


「さあ、次の試合です。ナナクは湾曲した剣を、ダヴィシュは二本の剣を巧みに操ります」


「トーナメント方式なのですね」


 ロレインの言葉にケルグがうなずく。


「はい。全員が陛下と試合をしたがったので、厳選するのに苦労しました」


 ダヴィシュがナナクに飛びかかる。剣と剣のぶつかり合う音が響いた。

 それからも白熱した試合が続き、再びジェサミンの出番となった。


「次は、陛下と二刀流のダヴィシュの試合です」


 また剣のぶつかり合う音が鳴り響く。

 ダヴィシュは見事な手並みの二刀剣法だが、ジェサミンは巧みに二本の剣をかわし、自信に満ちた動きで突きを入れる。

 二人は技を駆使して激しく戦い、ついにジェサミンの一撃がダヴィシュをなぎ倒した。


「「「やったーっ!!」」」


 三つ子が嬉しさのあまり声をあげて飛び跳ねる。ジェサミンがロレインを見上げ、にやりと笑った。


「いよいよ決勝戦です。陛下の相手は『皇の狂戦士』の首席ブラム。戦士の中で一番強い男で、陛下の好敵手なんですよ」


 その名前は聞いたことがあった。後宮の鐘の広場でジェサミンと初めて会った日、ロレインが皇后になったことを周知するよう命令を受けていた人だ。


「ケルグはどれくらい強いのー?」


 カルの質問に、ケルグはにっこり微笑んだ。


「私は次席なので、戦士の中では二番目ですよ」


 ジェサミンとブラムが剣を構える。闘技場が静まり返った。

 ブラムは即座に攻撃を繰り出した。受けるジェサミンの剣がしなる。稲妻のような速さで反撃すると、今度はブラムが受けの構えになった。互いに隙を見せない二人の攻防が続く。

 ロレインの目は戦いに釘付けになった。組み合わせた指の間に汗が溜まる。

 ジェサミンが剣を振るう姿は、あまりにも美しかった。慎重に、大胆に、繊細に、戦略を変えながら攻撃しているのがわかるのは、耳に入ってくるケルグの解説のおかげだ。

 ブラムの腕がわずかに下がり、体の動きも少し鈍くなった。それを見て取ったジェサミンが大胆な攻撃に転じた。 畳みかけるように剣を突き出し、ブラムを追い詰めていく。

 狙い定めた上段からの斬り下ろしが空気を切り裂く。ブラムの剣が宙を舞って、地面へ落ちた。


「「「勝ったぁっ!!」」」


 三つ子がすごい勢いで両腕を突き上げる。戦士たちが優勝をさらったジェサミンに拍手を送る。彼は剣先を地面に突き、片手を上げて賞賛に応えている。


「ジェサミン様、すごい……」


 ロレインは強烈な感情に胸を満たされていた。


(私、この人が好きになってる。本気で好きになってる。恋の真っただ中って、こんな気持ちなんだ……)


 ロレインはジェサミンと視線を合わせた。彼は上機嫌で目を輝かせている。

 生まれて初めて、人生を分かち合いたいと思わせてくれた人。十八年間、彼を知らずにどうやって生きてこられたのか不思議なくらいだ。

 ロレインの心の中で空回りを続けていた歯車が、ぴったりと噛み合ったような気がした。

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