第24話
ジェサミンは令嬢たちに冷たい視線を投げつけた。
「ここへ来たのは時間の無駄だったようだな。お前たちがやるべきことは二つだ。まず皇后に謝罪と感謝を述べる。その上で、あの扉から出ていく」
容赦のない言葉に、令嬢たちは身を縮めた。
ジェサミンに気に入られるに違いないという甘い期待があっさりと裏切られ、大恥をかいたばかりだ。事実を受け入れるのが精一杯だろう。
令嬢たちは狼狽えて目を伏せたり、肩身の狭そうな顔つきになったり、きまり悪そうにもじもじしている。
十五歳のライラ以外は、マクリーシュの社交界で何度も会ったことがある。ロレインが婚約破棄された後は、顔を合わせてもことごとく無視されたけれど。
王太子妃となるサラに媚を売らないまでも、対立しなければ得るものは大きい。彼女たちがそう考えたことは想像に難くない。
自分の周りから潮が引くように人が消えたことについて、ロレインは深刻に考えないようにしてきた。結局のところ、その程度の関係でしかなかったのだ。
「ロレイン様、私──」
ライラがよろよろと立ち上がった。ロレインは慌てて、ふらつく彼女の体を支えた。
「私、自分が恥ずかしいです。ロレイン様は、家族の話とはまったく違いました。とても優しくて、尊敬に値するお方です。介抱してくださって、本当にありがとうございます」
残りの令嬢たちが恥じ入ったような表情に変わる。ライラの言葉が耳に痛かったのだろう。
「……ロレイン様。私も、自分の軽率さを謝りたいです」
ライラの姉のジリアンが言った。「私も」という声がいくつも続く。全員が立ち上がり、口々に謝罪の言葉を述べ、それから深々と頭を下げた。
ロレインは二、三回深呼吸をした。誰も顔を上げようとしないので「頭を上げなさい」と優しく声をかける。
「謝罪は受け入れました。いつの日か、もう少し落ち着いて会話ができる状況になったら……また話をしましょう。マクリーシュまでの道中の無事を祈ります」
穏やかに微笑んで見せる。
タイミングを見計らったように、ティオンが前に出てきた。
「それではご令嬢方は扉の外へ。皇后様のご厚意で、規定通り慰労品が用意してあります。私についてきてください」
慰労品の準備は、ロレインが衛兵に伝えていた要望のひとつだ。
後宮入りできずに帰っていく娘たちには、山ほどの土産を持たせるのが通例となっている。文字通り労いの意味もあるし、ヴァルブランドの富や技術力を諸外国に見せつけるチャンスでもある。
前者と後者、どちらの比重が大きいかと言われると、後者だとロレインはためらわずに答える。
ティオンに導かれて、令嬢たちが扉の向こうに消えていく。ファーレン公爵もすごすごと引き下がった。最後に出ていくレイバーン公爵の顔には、かなりの疲労感が浮かんでいた。
足音や話し声、雑多な音が遠ざかっていく。
「さてロレイン。残念だが、俺たちはここから別行動だ。夕飯はひとりで済ませてくれ」
ジェサミンが溜め息を漏らす。
ロレインに異存はなかったので「はい」と答えた。
皇帝であるジェサミンはいつも予定が詰まっている。今日のスケジュールもしばらく前から決まっていただろうに、マクリーシュからの一行のために変更したはず。きっと、今日中に終わらせなければならない仕事が残っているのだろう。
「もちろん、あとで合流するがな?」
ジェサミンはにやりと笑い、周囲に聞かれないように声を落とした。
「何しろ俺たちには『練習』があるからな。疲れただろうが、寝ないで待っていろ」
彼の大きくて温かい手が、ロレインの頬に触れる。
「またな」
言うが早いか、ジェサミンは踵を返して行ってしまった。胸をどきどきさせるロレインを残して。
女官たちと自室に戻り、ひとりで夕食をとった。給仕役の女官たちが話し相手になってくれるので、部屋がひっそりと静まり返るということはない。
スパイス入りのお茶を飲み、ほっとひと息つく。女官たちが下がってしまうと、ロレインは脱力感にとらわれてしまった。
リラックスしているというのとも違う。心地よいというよりは、けだるい感じがした。
「めまぐるしい日々だったなあ……」
婚約破棄の前後の人生の変わりっぷりよりも、ジェサミンと出会う前と後での違いの方が凄まじい。
エライアスを愛していたわけではないけれど、心が傷ついたことは変わりなく。十年間の王太子妃教育が無駄になり、持っていた夢はすべて死に絶えてしまった。
一か月と少し前にヴァルブランドに向けて出発したが、楽観的な期待など何ひとつ持ち合わせていなかった。
「ジェサミン様は、私をあっさりと過去から解放してくれた。人生をひっくり返してくれた……」
人生をひっくり返されたのは、エライアスやサラも同じだ。
いまから一週間後に、代表団がどんな答えを持ち帰ってくるかと思うと夜も眠れず、悪夢に悩まされているに違いない。とてもではないが、結婚式を間近に控えた幸せいっぱいのカップルには見えないはず。
「私を皇后から引きずり下ろせなかったと知ったら、あの二人はどんなにショックを受けるかな」
きっとあの小さな国には波瀾が起きるだろう。しかし誰もジェサミンに対抗できず、彼のもたらす影響から逃れることもできない。
エライアスもサラも、こんなに手痛いしっぺ返しは受けたことがないはず。でも、ロレインの胸に喜びはなかった。
いまはまだ呆然とした気持ちが勝っている。そういった感情は後から来るのかもしれない、とロレインはぼんやりと窓の外を眺めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます