第4話
翌朝、ロレインは予定通り後宮入りした。出迎えのために出てきたのは、役人がひとりだけだった。
「初めまして。マクリーシュ王国のコンプトン公爵の娘、ロレインでございます。これからお世話になります、どうぞよろしくお願いします」
ロレインは丁寧にお辞儀をした。『しばらく』と『これから』で悩んだが、無難な方をチョイスした。
「ようこそおいで下さいました。私はティオン・シプリーです。後宮の管理をしております。とはいえもう何年も、管理すべき事柄がちょっとしかないのですが」
ティオンは笑いながら頭を掻いた。
袖幅の広い、上下がひと続きのゆったりした服を着ている。肩まである黒い巻き毛と、穏やかな灰色の瞳。明らかに男性なのだが、どことなく中性的な雰囲気がある。
「それにしてもお綺麗な方ですねえ。感動しすぎて、うっとりしておりますよ」
間違いなくお世辞なので、ロレインは慎ましく微笑んだ。ばあやが整えてくれた髪も、施してくれた化粧も上品ではあるが、派手さはない。
「実にお美しい。この後宮でそれなりの人数をお迎えしましたが、これほど美しく魅力的なご令嬢に会った覚えがありません」
ティオンは真剣な顔で言った。
「ああ、本当にもったいない……。いえいえ、こちらの話です」
慌てたように首を振り、ティオンは声を潜めた。
「でもまあ……ロレイン様もご存じですよね。ジェサミン陛下の後宮に入って、残った者がただのひとりもいないことは」
小さくうなずいたロレインを見て、ティオンはやれやれと肩をすくめた。
「ロレイン様は魅力的でいらっしゃるし、ごく普通の男ならたちまちひれ伏すことでしょうが。ジェサミン陛下はどんな女性も手元に置こうとなさらないのです。私としては、一日でも早く後宮を仕切るお妃様を選んで頂きたいのですが」
ティオンはのんびりした口調で喋りながら、ロレインを後宮の中へといざなった。
「これらの小部屋は、身分の低い妃たちのためのものです。それから、個室を持たない愛妾たちが眠る場所。こちらの浴場は、ヴァルブランド式と呼ばれています」
「どこもかしこも想像以上に広いのですね。先代の皇帝陛下のときは、何人くらいの女性が暮らしていらっしゃったのですか?」
「百人くらいでしたね。とはいえ、全員に先代のお手がついたわけではありません」
ティオンはさらりと言った。
ジェサミンには腹違いの弟が三人、妹も三人いると聞いている。百人もの女性が暮らしていたことを考えれば、かなり少ないのではないだろうか。
「ロレイン様のお部屋はこちらです」
案内された部屋は、通りがかりに見たどの部屋よりも豪華だった。
白や桃色のモザイクタイルの壁と美しい天井画のある居間、天蓋付きのベッドが置かれた寝室。アーチ形の窓は庭に繋がっていて、花々の香りが漂ってくる。そして美しいタイルがふんだんに使われた、専用の浴場。
「こちらはジェサミン陛下の正妃となられるお方のために整えられたお部屋です。いまのところ、他に後宮入りしているお嬢様はいらっしゃいませんし。謁見の日時が決まるまで、ご自由にお使いください」
「はい、ありがとうございます。あの……ティオンさん、後宮の外に出ることは禁止されていますか?」
「いいえ。ロレイン様はまだ、正式に後宮入りされたわけではありませんので。私にひと言声をかけて頂ければ、外出できますよ。その際は後宮の戦士が護衛につきますので、あらかじめご了承くださいね」
「戦士……」
ロレインは昨晩ぶつかった大男を思い出した。彼が後宮の戦士などという偶然があるだろうか?
「ヴァルブランド式の風呂をお使いになる際は、女官が手伝いにまいりますので。それでは、私はこれで」
ティオンが深々と頭を垂れ、それから歩み去って行った。
「さあばあや、荷ほどきをしましょうか。どうせ一週間から二週間の滞在だけれど、居心地よくしないとね」
「そうでございますね。その後はお着替えをして、探検をなさるのでしょう?」
ばあやが温かな口調で言った。ロレインは小さく笑い、急いで荷解きを始めた。
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