第15話 ゲームエンド

 階下から複数の足音が聞こえる。ヒールに踏みしめられた床板は激しく軋み、敵チームの来訪を愛佳たちに主張していた。


「わ、わたしは一体どうすればいいでしょう?」


 時計塔は奪取できたものの、ここから先の作戦は聞いていない。愛佳はワンドを握りしめたまま、おろおろとするしかなかった。


「有利位置を取った以上、迫りくる敵をひたすら迎撃するしかない。ここからは純粋なフィジカル勝負。残り七チーム――全ての敵を撃ち倒して勝利を掴む」


 その覚悟を口にした途端、ジャスミンの纏うドレスが風に煽られるようにぶわりと捲くり上がった。海の碧を象ったドレスが、ぎらぎらと輝きを増す。それはまるでジャスミンの強い意志にドレスが呼応しているかのよう。


淵源スペシャル法術アビリティ、起動」


 瞬間、世界が海に沈む。


 時計塔の二階が突如として、水中に没した。息ができない――と藻掻こうとした愛佳は、自らの呼吸に何の問題も起きておらず、足も床にしっかりと着いていることに気づく。この海はあくまで表象――ジャスミンのドレスが海を象っているように、この海もジャスミンが発動した法術アビリティの効果を視覚化したものに過ぎないらしい。


 淵源スペシャル法術アビリティ:タイダル・スフィア――その発動と共に、巨大な水の球形が時計塔を呑み込んでいた。ダメージや行動阻害などは一切発生していない。その法術アビリティの本質は――透視索敵ウォールハック。水球の内部に存在する敵プレイヤーは、その位置を法術アビリティ使用者に把握されてしまう。ジャスミンと愛佳は、敵プレイヤーらが我先にと時計塔へ押しかける様子を、床や壁越しに視認することが出来ていた。


 視える。ひとりのプレイヤーは今まさに螺旋階段を駆け上って愛佳たちが居る二階へ突入しようとしているし、一階ではふたつの敵チーム同士が会敵して時計塔の歯車越しに撃ち合っている。


 愛佳がその光景を呆然と眺めている間に、ジャスミンは素早く飛び出し、二階へ突入してきた敵プレイヤーを素早く片付けてしまった。


「視える敵をひたすら撃って!」


 ジャスミンの叫びで我に返った愛佳は、慌ててワンドを構えた。ジャスミンさんがいるならきっと勝てる――ジャスミンの闘志に後押しされて、愛佳の胸から熱い気持ちが湧き上がる。これが勝利を求めて戦うということ――愛佳が人生で初めて体験する、真剣勝負のぶつかり合い。


 愛佳の瞳に映るのは、ジャスミンが見せてくれた新しい世界。海に沈んだその世界は、果てしない神秘を以て愛佳を出迎えた。きらびやかな珊瑚やすいすいと泳ぐ魚たち――それらはあくまで法術アビリティの効果を視覚化した幻。しかし愛佳の隣に立つジャスミンも、他の敵プレイヤーたちも、ひとりの意志を持った人間としてその幻を共有している。共有された幻は昇華され、真実へと肉薄する。虚構は現実へ。刹那は永遠に。この場に居る誰もが虚構を信じたとき、勝利というゲーム内でしか意味を持たないはずの現象は、誰もが渇望する現実の価値に変容する。


 激しい戦闘の最中、愛佳が気づいた勝利の価値。頬が燃えるように熱くなり、心臓の鼓動は高鳴る。目の前に輝く勝利を求め、愛佳は抑えきれない衝動を解き放つように駆け出す。


 ただ夢中に走った。ジャスミンの素早い動きにはほとんど追いつけなかった。


 ただ夢中に引鉄トリガーを絞った。敵プレイヤーには一切当たらなかった。


 それでも走るという行為は楽しかったし、放たれる輝石弾の輝きは眩しかった――まるで世界のすべてに祝福されているかのように、愛佳はFHSを楽しむ。


 地の利に加えて淵源スペシャル法術アビリティによる有利も得たジャスミンは、獅子奮迅という言葉がこれ以上なく似合うような戦いを見せた。残り七チームだった敵はみるみる間に減っていく。タイダル・スフィアに映るプレイヤーは残りふたり。ジャスミンは二対一という不利を背負わされ、しかしそれさえも悠々と乗り越えた。愛佳が手を出すまでもなく、ジャスミンは残ったプレイヤーを速攻で撃破する。これで視界の敵は全て消え去った――愛佳が勝利を確信したその時だった。


「後ろ! 避けて!」


 ジャスミンの叫びに、愛佳は慌てて背後を振り向いた。そこには――


「ソレイユの仇は、私が討つ!」


 その声の主は、愛佳でもジャスミンでもなかった。ゴシックロリータのドレスに、刺々しく角張った黒魔法のワンド。その姿を前に愛佳が見たのは試合マッチ開始直後、ここがディープスペース内の仮想現実であることに、愛佳がまだ気づいていなかった時のことだ。


 ヨヒラ――そう呼ばれていた少女は、突如として索敵外から出現し、愛佳の背後を突く。


法術アビリティ:シャドウ・ヴェール――索敵妨害は環境メタゲームの外過ぎて、流石のプレミアム・ランカーも気づかなかったかしら?」


 ヨヒラは暗闇の中から身を乗り出し、愛佳たちへワンドの銃口を向けていた。ヨヒラが隠れる暗闇こそが、シャドウ・ヴェールの効果なのだろう。あの闇に紛れるヨヒラは、ジャスミンの淵源スペシャル法術アビリティによる索敵にも探知されず、乱戦の中で時計塔の二階までやって来ることができたのだ。


 パートナーが試合マッチ開始直後に脱落し、チーム戦において独りという圧倒的な不利を背負って尚、ヨヒラは隠密ハイドを駆使してここまで生き残ってきた。しかしジャスミンはプレミアム・ランカーだ。たとえ愛佳が戦力外でも、これまで数多のプレイヤーを撃破した彼女なら、きっと難なくこの相手も――


 そこで愛佳は自らの思考に疑問を抱く。いくら独りで不利を背負っているからといって、どうして彼女は今の今まで隠れていたのだろう。プレミアム・ランカーのジャスミンは、ヨヒラのパートナーであるソレイユをひとりで圧倒した。ジャスミンは一対一なら必ず負けない。それなのにヨヒラはジャスミンが他の敵との戦いを終えた直後になってようやく姿を現した。ヨヒラは愛佳を除くジャスミンとの一対一に勝算を持っている。しかし一体どんな勝算が?


 答えはすぐに分かった。それまで果敢に戦っていたジャスミンが、ヨヒラとの交戦中に突如として地に伏せたのだ。よく見れば彼女の身に纏っていた青く煌めくドレスが色を喪っている。


 そのときになって愛佳はようやくジャスミンが今までに受けてきたダメージの蓄積に気づいた。どんなにジャスミンが強くても、この乱戦ですべての弾を躱しきれるわけではない。愛佳がこの最終局面で何もできていなかった間、ジャスミンはひとりでふたりぶん以上の働きをしていたのだ。そうなればもちろん被弾は避けられない。ジャスミンがダメージを受けてドレスの輝きを失ってきていることを、ヨヒラは理解していたのだ。だからこそ他の敵プレイヤーがジャスミンをギリギリまで追い詰めた瞬間を狙い、ヨヒラは勝負を仕掛けてきた。


「もうほとんど削ってる!」


 動けずにぺたりと座り込んだまま、ジャスミンが吠える。


「え? え?」

「残る敵は目の前のひとりだけ! あなたが撃つの! そうすれば私たちの勝ち!」


 愛佳の目の前にヨヒラが踊り出す。ほとんどゼロ距離。引鉄トリガーを絞れば、必ず命中する。それは相手も同じで、だからこそヨヒラは距離を詰めてきた。


 目まぐるしく変わっていく戦況に対する混乱――そのすべてをかなぐり捨てて、愛佳はただ引鉄トリガーを絞ることだけに意識を向ける。


 ええい、ままよ――愛佳は瞳をぎゅっと瞑りながら引鉄トリガーを絞り、そして――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る