第26話:天使(モルエル)との思い出

 モルエルが死んだ日の昼間のこと。

 アメリカのとあるカフェのテラス席に、ヘンリーは一人で腰を掛けていた。

 行きかう人を目で追いながら、何度飲んでも慣れないコーヒーを口にして顔を顰める。

 

 マズイ……焦げた味がする。匂いは悪くないのに、どうしてこんな味がするのだろうか。


 アメリカ人の味覚を疑いながら、懐中時計に視線を落とす。

 この国は好きになれない。食事もそうだが、街に品性が見られない。そして何よりこの国は何かにつけてせっかちだ。我慢を知らないのだろうか。都市部の人々は常に何かに追われたように歩き、止まったら死んでしまうとでも言うように生き急いでいる。優雅な時間を過ごすなど、考えもしないのだろう。

 もちろん、近年のアメリカの目に余る発展は、こうした向上心や人々の意欲、情熱によってした下支えされていることは言うまでもない。ただ、それでもヘンリーには好きになれなかった。

 懐中時計から視線を戻した時、先ほどまでいなかった正面の席に、女性が腰を下ろしいた。


 長いブラウンの髪は光を反射し輝いているように美しく、優しげな青い瞳に整った目鼻立ち。気品を感じられながらも、親しげな柔らかい笑みを浮かべている。


「モルエル。お元気にしていましたか? 相変わらず、お美しいですね」

 ヘンリーは突然現れたモルエルに驚くことなく、顔を輝かせて挨拶をする。子供が久しぶりに親に会ったかのように喜びを滲ませる笑顔だった。

「ありがとう、ヘンリー。あなたもお変わりなく」

 とモルエルも、微笑んで返した。

 端正な顔立ちの2人が1つのテーブルを挟んで話しているのは、間違いなく目立っているはずだが、周囲をいる者たちは誰一人認識していないようだ。これは、モルエルの力だろう。

「このような野蛮な地に、いつまでいらっしゃるのですか? 早くイギリスへ戻ってきていただきたいです。政府は、あなたをいつでも歓迎しますのに。もちろん私も」

「そのお心は感謝します。しかし、この地を導くのが私の使命ですからね」

 モルエルの返答に、ヘンリーは頬を膨らませていじけるような仕草を見せるが、小さく息を吐くと真面目な表情に戻して本題へ入った。

「今回は私の願いを受け入れていただき、ありがとうございます。指輪は持ってきていただきましたか?」

「……その前に、本当に問題はありませんか? 相手に動きを悟られてはいませんか?」

「心配ご無用です。モルエルは心配性ですね。私の計画は完璧ですよ。この計画は私と協力者しか知りませんし、今回の渡米も表向きは父の外交を護衛する形を取っています……そういえば、父もモルエルに会いたいと言っていましたよ。私が会うと言ったら、そりゃもう地団駄を踏む勢いでした」

 いや、顔を見せてあげたかった。と笑うヘンリーにモルエルも思い浮かべたのか、手で口元を隠しながら楽しそうに笑った。

「プリースト卿も、お元気そうで何よりですね」

「元気だけが取り柄ですからね。それはそうと、そういうことですので、私の行動を怪しんでいる者はいません。もちろん、念のための警戒も怠ってはいませんよ」

 自信満々に言うヘンリーに、モルエルはまだ納得のいかない顔つきだ。

「大丈夫です。必ず成功させ、門を消滅させます。悪魔が本格的に動き出す前の、今がチャンスなのです」

「そうですか。しかし、失敗は許されませんよ。門が開いてしまえば、戦争は避けられません」

「承知しております。私があなたの期待を裏切ったことがありますか?」

 ニッコリ笑うヘンリーに、モルエルは小さくため息を吐く。そして覚悟したように頷いた。

「指輪は用意いたしました。私の力では使用できるのは1度が限界でしょうが、問題ないでしょう。そして、念のために聖なる力を込めておきました」

「ありがとうございます。それで……指輪は?」

「ここにはありません」

「え?」

 ヘンリーは素っ頓狂な声を上げ、急いで口元を手で覆う。てっきりここで貰えるとばかり思っていた。

「では、どちらに?」

「今夜、私のいる教会に来てください。そこでお渡しします」

「どうしてそんな回りくどいことを?」

「あなたに紹介したい方がいます。その方も呼んでありますので」

「私に紹介したい? まさか、お見合い相手なんて言わないですよね」

 軽口を叩くヘンリーに、モルエルは首を横に振る。

「彼は優秀なエクソシストです」

「この国のエクソシストですか?」

「はい、彼にも今回の計画の遂行を手伝っていただこうかと思いまして」

「冗談でしょ? どこの誰とも分からない者を計画に参加させるなんて、私は嫌です」

 モルエルの提案にヘンリーは顔を顰める。

「関わる人間が増えれば、それだけ情報が漏れる危険性があります。それに本当に信頼に足る人ですか?」

「この国で、私が最も信頼する人です」

 モルエルにそこまで言われれば、ヘンリーも黙るしかない。ただ、やはり納得がいかない。

「彼と2人で、門の消滅に当たってください」

「私は誰とも組みたくありません。一人で十分です」

 拗ねたように言うヘンリーに、モルエルは困った顔をしながら話す。

「その自信は強みでもありますが、弱点でもあります。彼と行動すれば、いい刺激になるでしょう」

「……随分とその方のことを買ってらっしゃるようですね」

 まだツンとして言うヘンリーに、モルエルは淀みなく「はい」と答えた。

「少し、その方に嫉妬してしまいます……分かりましたよ。その方と一緒に、協力して、共闘しますよ。だいたい、そうしなければ指輪はもらえないのでしょう?」

 下唇を突き出して不貞腐れたような顔をしながらも、ヘンリーは諦めたように言って天を仰ぐ。

「それで? 今夜、会わされるのは、どんな方なのですか? 足手まといになられるのだけは、ご勘弁ですよ」

「ええ。彼はルーヴィック。ルーヴィック・ブルー。きっとあなたは彼のことを気に入ると思いますよ」



 そう言って微笑んだモルエルが、最後に見た姿だった。

 悪霊騒動でまだ慌ただしいスコットランドヤード内で、ヘンリーは自分のデスクに無気力に座る。魂が抜けたようにどこを見るとういわけでもなく、呆然としていた。

 もはや何度目か分からないため息が、彼の口から漏れる。

 モルエルが死んだ夜。不覚にも彼は指定の時間に間に合わなかった。急いで向かった時には、すでに教会が燃えており、モルエルがいるはずの小屋から男が飛び出してくるところだった。病的に頬はコケ、無精ヒゲを生やした、見るからに野蛮な人物だ。すぐに後を追いかけようかとも思ったが、モルエルが気になり小屋へ。そこでおそらくモルエルであった残骸を見ることになる。

 モルエルが殺された……指輪もない……先ほどの奴が犯人かもしれない。


 それがルーヴィック・ブルーを追跡し、調べ始めるきっかけだった。


 最初は、彼が所持する指輪を奪い取るために近づいた。モルエルの死の現場にいたルーヴィックを信頼できるわけもない。それに仮に犯人でなかったとしてもだ、みすみすモルエルを死なせるような人間となど組めないと思っていた。

 ただ、ルーヴィックという男を知れば知るほどに、彼との捜査を楽しんでいる自分がいることにも気付いた。ともに事件を追いかける『相棒』も悪くないと思っていた。何よりも、今回の敵への不安が調査を進めるごとに大きくなる中で、彼の存在はとても心強かった。


 だからこそ、路地でルーヴィックに言われた言葉は、彼が想定するよりも遥かに大きなショックを与えた。

「はぁ~」

 またため息を吐くと、ヘンリーは両手で顔を叩いて気持ちを切り替える。

 いつまでも落ち込んでいる場合ではない。事件はまだ続いているのだ。それどころか最悪な状況になりつつある。指輪は取られてしまったのだから。鍵はルーヴィックに任せるとして、今できるのは指輪を盗んだ者と署内で起きた悪霊騒動について調べることだ。

 元々、ヘンリーは一人で動いていた。協力者は作っても相棒はいない。一人の方が気楽でいい。その状態に戻っただけなのだ。

 ヘンリーはそう自分に言い聞かせながら、デスクを立ち上がる。周囲では放心している者や怪我をした者を移動させたり、破壊された備品やガラス、扉などの回収をしていた。

 そんな人々を擦り抜けながら進むと、一つの扉が目に留まる。

 チョークで魔除けの書かれた扉。ヘンリーが描いた物だ。そこに数人、扉を開け閉めしていた。

「プリースト警部? 何をしてたんですか」

 訝し気に見ていると、背後からダニエルが声をかける。

「いや、まぁちょっとね」

「大変だったんですよ。保管庫でジョーンズ警部が重症で見つかったんです。それに、プリースト警部の知り合いのあのアメリカ人がいなくなりました。ジョーンズ警部との因果関係を調べてます」

「そーなんですね。それは大変でしたね」

「何でそんなに他人事なんですか! 警部も手伝ってください」

「そ、そんなことよりもこの扉……」

 珍しく怒っているダニエルに、話題を変えるように扉を指差す。

「あぁ。プリースト警部。変な落書きしないでください」 

「そうではなくて。なぜあの人たちは扉の開閉を?」

「なんでも建付けが悪いのか、勝手に開閉するみたいですよ。何人かがあの騒ぎの時に、見ていたようで、壊れているか調べているんですよ」

「……ダニエル君。あの部屋にいた女性は?」

「こんな騒ぎになっていますからね。馬車を手配して、送る手筈になっていると思います」

 それを聞いて「へぇ~」とヘンリーは踵を返して出口へと向かう。

「どこに行くんですか!」

「いやー。もう定時を過ぎているので、私も帰ります」

 呆気にとられるダニエルの視線を余所に、後ろ手をひらひらさせながらヘンリーは署を出て行った。

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