第15話:不思議な異邦人
どんよりとした曇り空は、ロンドンの街並みを灰色に色づけていく。
人々が外に出歩き始めた頃から、雨が降り始めた。
初めこそ小雨だったが、それは次第に道に水たまりを作るほどに。
教会の前でシスター・ユリアは雨模様を眺める。
リチャード・カーター教授の死を聞いた時、ユリアは背筋に寒気が走った。
そして、彼の死因を聞き、さらに雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
教会を訪れた人が司教に話しているのを漏れ聞いたのだ。
突然の人体発火。
警察は事故と判断している、とのこと。
聞いた時は気が遠のくのではないかと思った。
自分と話していた人が死んだ?
警察の言う通り事故かもしれないが、そうじゃないかもしれない。実際にリチャード・カーターと話し、様子を知るユリアには、そう思えてならない。しかも、死亡した場所は、教会からさほど離れた場所ではない。
悪魔だろうか……何度も、その考えが思い浮かんだが、必死でその考えを押しやる。
彼には護符を渡した。悪魔が護符を持った者に害を与えることなどできない。
そんなことを考えているうちに、司教に話すタイミングを逃してしまった。
ユリアは大きなため息を吐くと、傘をさして雨の中を歩き出した。
司教に言うべきなのは分かるが「悪魔に狙われていると言った人に、護符を渡したら死にました」などと言えない。それにまだ本当に悪魔絡みかも分からない。司教は忙しい人なのだ。よく分からないことに手を煩わすわけにはいかない。
などと、怒られることを少しでも避ける言い訳を自分にしていた。
せめてもう少し自分で状況を確かめなければ。
自分の朝の務めを果たし、空いた時間に調べることにした。
だから、教授の死亡現場を見てから大学に足を運び、いろいろ聞いてみるつもりだ。
激しさを増した雨に足早に道を渡る人の中には何人か顔見知りもおり、ユリアは軽く会釈をする。
教授の死亡現場は当然ながら、すでに何もなかった。
また雨のため人通りも少なく、いたとしてもすぐにいなくなる。
ここで人が死んだなど誰も気に留めていないようで、ユリアは少し悲しい気持ちになった。
教授に渡した護符が機能していなかったとは思えない。
自分が作った物にはある程度自信もあった。そうでなければ、あの場で渡していない。
それでも、もし事故ではなく、悪魔による行いだったとすれば……
彼女は考える。そして背筋が寒くなった。
護符を持って殺されたとすれば、それは自分の力を上回る相手だったことになる。つまり、それだけ強大な悪魔だ。そんな悪魔が普通の人間を襲うわけがない。教授は、それだけ重要なことに関わっていた。いや、彼の言葉を聞く限り「何かを持っていた」のだ。
彼女は寒くなって震え始めた。決して雨や気温のせいだけではない。体の内からくる寒気だ。
教授は何をしていたのかを調べる必要がある。
「やはり大学に行くしか……ん?」
ユリアは意志を固めて踏み出した時、見慣れない人影がいた。
それは雨だと言うのに傘もささず、急ぐ素振りもない。
雨に打たれながら、手元を見てうろうろ歩き回っている。どうにも道に迷っているようだが、近寄りがたい。
男はコートの襟を立て、この国では珍しい形のハットを被っている。そのハットの鍔の下の顔は不健康そうにやつれており、肌色も悪い。しかし、目つきは鋭く異様にギラついている所を見ると、病人ではないことは分かる。
視線を手元から空に上げ、忌々しそうに舌打ちをする男を目で追っていると、彼の方もユリアに気付いたようで近づいてきた。
男の接近に伴って、ユリアの近くにいた数少ない通行人も足早に立ち去ってしまったので、男は真っすぐユリアに近づく。一瞬、逃げようかとも思ったが、手遅れだった。
「あー。すまないが……道を教えてもらえないか?」
予想していたよりも普通の声に、ユリアは少し安堵する。
発音の訛りと恰好を見る限り、この国の人間ではないのだろう。
「知り合いに地図を書いてもらったんだが、この雨で」
男の手元には、もはや何と書いてあるか分からないほどインクの滲んだ紙だった物が握られている。
「あ、その前にこの傘をお使いください」
少し安心した所で、ユリアは目前の男が雨に濡れていることに気付き、自分の傘を差しだす。男はそれに戸惑った顔をするが、ユリアは「私はこちらがありますので」と外套のフードを被って見せ、強引に傘を渡す。
さすがに淑女(しかもシスター)が異性を一緒の傘に入れることはできない。が、だからと言って目の前で濡れている人を見て、手を差し伸べないわけにもいかない。
傘を受け取った男は軽く微笑むと水の滴るハットを持ち上げてお礼を言った。
それから、雨が凌げる軒先まで移動してから、ユリアは尋ねる。
「どちらに御用でしょうか? 私の分かる所ならいいのですが」
「あぁ、シスターなら分かるかと。ウィンスマリアという教会だ。確かこの近くにあるはずなんだが」
男の口から出た言葉にユリアは驚く。
何せウィンスマリア教会は自分のいる場所なのだから。だが、あの教会はやっている内容もあり、普通の人間はあまり近寄らない(普通の教会の様には使われない)。
「もちろん知っています。私はウィンスマリアのシスターです。ユリアと言います」
「そりゃ、ラッキーだ。これも神様の思し召しだな。アントニー神父に話しが聞きたくて来たんだ。教会の場所を教えてもらえるか」
男が顔を綻ばせると、不思議と幼いようにも見えてくる。
「それであなたはどちら様でしょうか?」
「あぁー……スコットランドヤードだ」
男は視線を逸らして言った。
絶対に嘘だ。
しばらくユリアが見ていると、男は諦めたように「嘘だ」と自白する。
「俺はブルーだ。ルーヴィック・ブルー。アメリカから来た」
アメリカと言う単語にユリアは心躍る。
話でしか聞いたことのない外国だ。どおりで見慣れない恰好をしている。
目前の男は海を越えてまで、はるばるアントニー司教を訪ねてきた。それがただの用事なはずがない。
つまり悪魔関連だ。
そう考えれば、ルーヴィックの不健康そうな姿にも納得がいった。
「あなたも、悪魔に苦しめられているのですか?」
ユリアの発言に、ルーヴィックは意表を突かれた様に目を丸くするが、少ししてから自嘲する。
「まぁ、いつも悪魔に悩まされてる、かな」
「大丈夫ですよ。アントニー神父ならその悩みも解決できますから」
「どうかな。俺の悩みは……そんな単純でもない」
「そんなことありません。きっとアントニー神父なら、ブルーさんをお救いになってくれます」
「期待しないで訪ねてみるよ」
「期待して訪ねてください!」
語気を強めてにじり寄るユリアにルーヴィックは思わず半歩後ずさった。
半分、無理矢理納得させて満足したユリアは、ルーヴィックに教会の場所を教える。連れて行くのが一番だが、大学にも行きたい。それに、この場所からなら説明だけでたどり着けるはずだ。
ルーヴィックは黙って説明を聞いてから、雨の中歩き出そうとしてユリアが呼び止める。
「ブルーさん。ここでお会いしたのも縁ですので、せめて祝福を」
「いや、そういうのは間に合ってるんだ」
と踵を返えそうとした彼に、「まぁまぁ」と勝手に彼の左胸に手を置いて祝福の言葉を口にする。
「あなたのこの先に、主の守護があらんことを」
強引さに呆れたような顔をするルーヴィックに、ユリアはにっこりと微笑んだ。
彼は軽く頭を下げてから、雨の中へと歩き去っていった。
ユリアはそれを見送り、自分も大学へと向かった。
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