第9話:燃えない護符
「ここが遺体安置所です」
墓地の脇に設置された建物だ。
正面に見えるレンガ造りのチャペルを見上げながら、ルーヴィックとヘンリーは向かって歩いていた。
「いや、本当に。いいね。このなんとも言えない芳しいにおい」
「ほんとに食欲をかきたててくれますよね」
「どこの国に行っても、この臭いだけは変わらんな」
「まぁ、元が同じですからね」
「だが、今が冬でよかった」
「夏場だったら、地獄の底よりきついですからね」
近づくほどに鼻を突くような異臭が感じられる。死体の腐敗臭だ。
ここにリチャード・カーターの焼死体が安置されている。
ルーヴィックがチャペルの入り口に立った時、先に中から人が出てきた。ルーヴィックよりも若い。短いブラウンの髪に日に焼けた健康的な肌。そんなラフな格好をしている青年は、青ざめ(といっても、ルーヴィックに比べれば血色は良い)ルーヴィック達には目もくれずに鬼気迫るような感じに歩き去っていった。
それを見送りながら二人は中へと足を踏み入れた。
中はさらに酷い臭いだった。思わずヘンリーは手を口元に添える。
「お嬢ちゃんは、外で待っててもいいんだぞ」
その様子を見てルーヴィックは意地悪く言うと、ヘンリーは嫌な顔をして見せツンと怒る。
「いえ、行きますよ。では、エスコートしてくださるかしら」
手を出すヘンリーを鼻で笑いながら奥へと進んでいく。中には五、六体の死体がさじきの上に転がっている。全てに麻布をかけ見えないようにはしてあったが、幸運にも全部を確認する手間は省けた。なにせ、焼死体はカーター教授だけだったからである。
麻布を取ると真っ黒の人形のような死体が現れる。顔の判別は正直できない。
「こりゃ、うまそうに焦げてるな」
「私は炙る程度が好きなんですけどね」
二人とも眉一つ動かさないのはさすがと言えるだろう。ルーヴィックは教授であった体に鼻を近づける。酷い悪臭が鼻をついた。
「さすがにちょっと分からんな」
「そうですか……教授の死は今回の件に関係あると?」
「分からんが、教授の持っていたっていうキューブが気になる。世界を滅ぼすってのもな。それがモルエルの言っていたカギなのかも」
「モルエルがそんなことを? しかし、教授という大きな証拠は消えました。目の前でウェルダムになっている……ウェルダムと言えば、今夜、何食べます?」
「イギリスのメシは食えたもんじゃないと聞くが、まともなのはあるのか?」
「肉を焼いて食べる。しか知らないような国民の舌に合うかは分かりません」
「ほぉ~。じゃぁ、今夜は焼いてない肉でも食わせてもらおうじゃないか」
「んー。フィッシュアンドチップスの絶品な店を知ってます。帰りに買っていきましょう」
「いいね」
たいていの人が嘔吐感を抱くような場所で、平気で食事の話をしていると、二人に近づいてくる影が。見れば、今の話を聞いていたのだろう。気持ち悪そうな顔をしながら近づいてくる男がいた。
「何か御用ですか?」
「え~っと。スコットランドヤードのヘンリーです。彼は相棒のルーヴィック」
ヘンリーがニッコリと笑みを見せるが、相手は疑いの目で見ている。
「私は今回のこの焼死体を調べている医師のトレンチです」
一応と言った感じに自己紹介をするトレンチ。
「先ほどまで違う警察の方々が来ていましたが……」
警察への説明のために、医師である彼もチャペルに来ていたようだ。
「あぁ、我々は部署が違うんですよ。ややこしいですけど。それで遺体の状態は?」
「そうですか。まぁ、外傷はほとんど見つかりませんでした」
「彼が持っていた私物は、全て燃えてしまったのか?」
トレンチの発言を遮るようにルーヴィックが言うと、少し嫌な顔をしたがすぐに「少しなら残っている」と指差す。そこにはトレーがあり、残されていた。
ほとんどは価値の無い物だ。本当に燃え残った感じの残骸に近い。期待はさほどしていなかったが話で聞くキューブはどこにもなかった。
ただ、一つだけ目に留まるものがあった。
護符だ。
場所や施す人によって若干違うが、紙の中央部の六芒星を囲む二重の円の間には、天使の文字が書かれている。角が焦げていたがしっかりと残っていた。
「この護符はなぜ、ここまで残っている?」
ルーヴィックの問いにトレンチは首を傾げる。彼らも気付いてはいたが、理由はさっぱりだったのだろう。
「親族の方は、もう来られたんですか?」
ルーヴィックが護符をジッと見ている間、ヘンリーは話題を変えた。
「さぞ、ショックを受けていたでしょうね」
「親族でしたら、息子さんが一人いましたよ。ちょうど今、出てかれたんで、すれ違いませんでした?」
「あぁ、あの青年でしたか。これはしまったな」
頭を掻きながらヘンリーはルーヴィックの元へ来る。
「この護符、知ってるか?」
「似ている物は知っていますが、どうでしょうね。私、護符は自分で作ってしまうので、あまり他のものを知らないんです……ですが、たぶん分かる人物ならいますよ」
ヘンリーはウィンクして見せたので、ルーヴィックは舌を出して返した。
「これを持っていっても大丈夫か?」
「ど~でしょうね。一般的には私はこの事件とは畑違いですし、一度証拠品として没収されたら手に入れるのは難しいと思います。でも……」
視線の先にはトレンチがジッと彼らを見ている。持ち出すには彼の許可が必要そうだが、許可してくれるとも思えない。
「音を立てろ」
「え?」
「いいから。奴の注意をひけ」
ヘンリーはしばらくルーヴィックを見てから軽くため息をつき、教授の私物の時計であった残骸を手にトレンチの方へ近づいていく。
「トレンチさん。この私物なのですが、私たちが持っていっても構いませんかね」
時計の残骸を見せながら、にこやかにヘンリーは言うが返答は冷たかった。
「それなら、押収の許可書を持ってきてもらって、サインをいただくことになります」
「許可書は後ではダメですか?」
「無理ですね」
事務的な感じに答えるトレンチは、取りつく島もない。その時にルーヴィックがヘンリーを呼ぶ声が聞こえたので、振り返るとそのはずみで手がトレーに当たり上に乗っていた器具を床にばらまいた。耳を突き刺すような甲高い音を立てながら落ちる器具を、ヘンリーは慌てて床に這いつくばる様にして回収する。
「すいません。本当にすいません。おっちょこちょいで」
拾うヘンリーの様子を呆れたように眺めるトレンチも、回収を手伝っているとルーヴィックが近づきヘンリーの腕を取り立たせる。
「いつまで地べたに這いつくばる気だ」
そう言うと一人でルーヴィックは出ていく。それを追いかけよう足を出したヘンリーだが気付いた様に、時計の残骸を教授の私物の集められた所に戻してから、トレンチに一礼して出ていった。
外に出れば、ルーヴィックは持ち出した護符を見ていた。
「護符が気になりますか?」
ヘンリーはルーヴィックの元に来ると口を開く。
「あぁ、妙だと思うだろ?」
「教授が護符を持って死んだことですか?」
ルーヴィックが頷き、ヘンリーも「確かに」と答える。
教授は魔除けの護符を持っていたのだ。詳しくはわからないが、悪魔からの攻撃を防ぐための物だろうと、護符の形式などからルーヴィックは判断した。ヘンリーも同意見だ。
「仮に教授の死が悪魔の仕業だったとします」
「護符が役に立たなかった」
「でも、護符が燃えていないとなると機能していなかったわけではないようですね」
「カーター教授は護符まで持って、つまり奴らの襲撃をある程度予期し、用意をしていたはずだ。だが殺された」
「保護の護符が通用しない悪魔……ですか」
「護符にかけられた効果が弱かったか……」
「もしくは、私たちの想定を超える敵か。ですね」
不安そうな表情を見せるヘンリーのその言葉に、ルーヴィックも背筋に冷たく嫌な汗を感じた。
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