第6話:眠らない相棒

 船がリバプールに到着して、ヘンリーは久しぶりの地面を踏みしめながら伸びをする。久しぶりの祖国の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 ふうー、と息を吐き出し、隣を見ると、ルーヴィックが青い顔をしながら船から降りてきた。誰よりも地面に降り立ったことを喜んでいるようだ。

 ルーヴィックは何度も深く呼吸をしている。

「大丈夫ですか?」

 ヘンリーが半笑いで訊ねるも、ルーヴィックはジロリと睨みつけるだけ。

 しばらく呼吸を整えて、落ち着いてようやく口を開く。

「船ってのは、どうもな。あと一日でも長く海の上にいたら気がおかしくなりそうだ」

「悪魔が恐れるルーヴィック・ブルーが、船酔いで死にかけるとは」

「クソ……これ、帰りも乗るか……」

 ゲンナリしながら乗ってきた船を見上げる。それがどうにも可笑しく、ヘンリーは笑ってしまう。


 噂ではかなり優秀なエクソシストであり、多く悪魔を地獄に送り返してきたと聞く。性格は捻くれており、気難しく、あまり他人と一緒にいない。人から聞いた彼のイメージは人付き合いのできない一匹狼で、天才的な孤高のハンターだった。


 ただ実際に会って話してみると、口が悪く、粗暴で気難しい一面はあるものの、人間離れしているというわけでもなく、ただただ実直に悪魔を狩り続けている等身大のハンターがそこにいた。

 ヘンリーの軽口に腹を立てて嫌味を言い返すし、船酔いでげっそりする姿はお茶目とすら言える。そうしたルーヴィックの人間味は、彼の中ではいい意味で噂のイメージを裏切られた。

 いつまでも物言わぬ船に悪態をつき続けているルーヴィックを見ていたいが、ゆっくりとはしていられない。

 時間が無い、かどうかは不明だが、急ぎの旅なのだ。

 船の次は休むこともなく、列車に乗り込んだ。



「いや~。よかったですね。この列車を乗り過ごしたら。明日まで無かったですよ」

 列車の二等車。相席の個室が並んでいる。

 荷物を上の荷台に置き、ヘンリーは上着を脱いで軽く畳みながらルーヴィックの隣に腰を下ろす。ルーヴィックはというと、ようやく揺れから解放されたがどうにも胸がムカムカするので窓の外を眺めていた。

「やはり鉄道はイギリスの誇りですね。鉄道と言えばイギリス。イギリスと言えば鉄道です。技術進歩の象徴ですよ」

「どこにでも、あんだろうが」

「節操なく、ただ縦横無尽に広げる所とはわけが違うんです。こういったところでもどこか気品が出てしまうのは、やはりそういった国民性なのでしょうね」

 動き始めた頃、ヘンリーの言にルーヴィックは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「古臭いだけだろうが。まぁ、こんなビーンズみたいに小さな国じゃ、そのくらいしか自慢できるところもないか」

 負けじと言い返すところを見ると、だいぶ気分が回復したようだ。

「では聞きますが、あなたの国の国民性とは一体なんですか? 先住民の迫害? 腰に銃をぶら下げて、きっと感傷に浸るということが無いでしょうね。自由の国とは笑えます。規律が無いだけなんじゃないですか?」

「はぁ~! 笑えるね。インドやエジプトの事を差し置いて、俺らの差別を非難するってのかい? さすがは世界一の植民地を持つ大英帝国様だ。まさか話し合いで植民地を増やしたとは言わないよな」

「だいたい自国民同士で血を流し合うとは、争いを好むあなた方らしいですよ」

「確かに戦争は起きたが、おかげで国は一つになった。我が偉大なる祖国、アメリカにな。あれ? そちらはどうかな? アイルランドの方が荒れているみたいだが? 確か国の名前はグレート・ブリテン・アンド・アイルランド連合王国だっけ?」

 口調こそ軽いが、重たい内容の悪口に彼らの正面に座っている老夫妻の顔は引きつっていた。言いあいは次第に相手個人に向けられる。

「だいたい、あなたのその白い顔はなんですか! まるで生きる死人です」

「それ矛盾してるだろ。生きてれば死んでないし、死人なら生きてない」

「言葉のあやです。それ以上やつれたら、この世界から消えてしまいますよ。お気づきですか? ハロウィンはとうに終わってますよ」

「お前こそ、いる場所間違えてるんじゃないか? ハーレムの方がお似合いだね」

 すでに彼らの会話に耐え切れず老夫婦は移動していた。ヘンリーは少し汚らわしいと言わんばかりに、ムッとして顔をそむけてしまう。しかし、ここでルーヴィックが真面目な口調になった。

「それで? ロンドンに着く前にお前の調べたことと俺が調べたことを合わせとくぞ」

 船ではろくに話し合いもできなかった。だが、人前でベラベラと話していいようなことでもない。周囲に人がいなくなるのを二人とも待っていたのだ。ヘンリーは自分が今までに調べ上げたことを話し始める。

 ルーヴィックは、時折、質問で口を挟むことを除けば、黙々と聞きながらメモする。まるで授業を受ける学生のように真剣に。

 話をまとめる頃にはすでに窓の外は暗くなっていた。車中も暗くなり、そこここから寝息が聞こえてくる。ヘンリーは毛布にくるまって横になるが、視線を向ければルーヴィックは僅かな月明かりを頼りにメモした紙を見ては、何やら考え事をしているようだった。


 彼は言った『天使の死について考えてしまう』と。


 当然だ。基本的には天使と悪魔は死なない。この世界で体が滅んだ所で、肉体は器に過ぎず、それは実態ではない。それゆえ、肉体の崩壊後は各々の住処に落ちたり、戻ったりするのだ。ルーヴィックをはじめエクソシストも、悪魔達と戦いその肉体を葬ったとしても、殺したわけではない。地獄へ送り返したにすぎないのだ。

 それが今まで一般的な流れだった。

 実際、ヘンリーも天使や悪魔を殺せるかと言われても、術が簡単には思い浮かばない(それはルーヴィックも同じだ)。人間ではほぼ不可能だろう。天使と悪魔を殺せるのは、やはり天使と悪魔なのだ。その天使は悪魔に殺された。天国へ強制的に送り戻されたのでもない、殺されたのだ。事故では済まない。相手は確実にモルエルを殺す気で殺した。あの夜、ルーヴィックはモルエルに呼ばれて会いに行った。そこで襲撃者と接触しているが、倒しきれていないと彼は確信している。だから、仇を取りに行くのだ。事件の真相を究明すると同時に、犯人に殺しのツケを払わせるためにわざわざ海まで越えてきた。

 ルーヴィックがモルエルの話をしている時、彼の様子から彼らが親しかったことは手に取る様に分かった。そして同時に、『もう少し早く行っていれば』という後悔と助けられなかったことへの失望が伝わってくる。

 だが、ヘンリーは思う。


 天使の死は彼のせいではない……


 月明かりに照らされる彼の顔は、どこまでも寂しげだった。10年間、アメリカを悪魔の手から救い続ける英雄の顔ではない。

「あなたは、寝ないんですか?」

 思わず声をかけてしまった。どう声をかけるべきか迷ったが、とりあえず口から出た。

「寝ないと体にさわりますよ」

 ルーヴィックと行動を共にして(まだ短い期間だが)分かったが、彼は極端に眠らない。常に何かをして、何かを考えている。まるで自分の体をいじめるかのように。

「寝てる暇もねぇよ。やることはいくらでもある。体が限界になったら、勝手にぶっ倒れるだろうよ」

 ルーヴィックは視線だけ向けながら、ぶっきらぼうに答える。

「自身の体を傷つけてまで、どうして頑張るんですか?」

「俺が1秒寝てる間に、1人の人間が死ぬかもしれない。俺が1時間寝てる間に、街が一つ消えるかもしれない。俺たちが相手にしてるのは、そういう奴らだからだ」

「……世界がみんな、あなたのような方だったらいいのに」

「冗談だろ。いい結果は見えないな」

「時々、思います。人は助けるに値するのかと。自分を傷つけてまで救う価値があるのかと。どれだけ悪魔から人々を救っても、表に出ることはない。感謝されることもなければ、褒めてくれることもない。自分は何のために悪魔を狩っているのか、と」

 ヘンリーの問いかけに、ルーヴィックは視線だけでなく、顔を向けると少し考えてから口を開いた。

「昔、俺も師匠に同じようなことを言った。誰にも感謝されない仕事に命を懸ける意味があるのか、と」

「……それで?」

「『人から感謝されなきゃ何もできねぇなら、さっさと止めちまえ。他人に命を懸ける理由を託すような人間に、命なんてかけられねぇ』とさ」

「厳しい人ですね。でも、その通りだ」

「あぁ、最高の師匠だ」

 窓の外へと顔を向けたため、表情までは分からなかったが、どこか懐かしそうでいて切ない、誇らしさに満ちた声だった。

「まぁ、だからお前だって無理をして救ってやる必要はない。いつだって止めていいんだ」

「それこそ無理ですよ。私が止めて苦しむのはあなたのように日々血を流している方です。なぜあなたは続けてられるんですか? コツは?」

「……目の前の事件に集中する。解決したら、休む間もなく事件が現れる。それだけ」

「辛くはない……」

 ルーヴィックに問いかけようとするヘンリーだったが、彼はヘンリーに人差し指をたて、ただシーと質問を止めさせただけ。彼はメモに視線を戻し、考えの中へと戻っていってしまった。

 ヘンリーはそんなルーヴィックを見ながら、ゆっくりと眠りについた。

 おそらく今夜も彼は眠らないのだろう。

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