第25話 それから、これから、ずっと

「メデュ! 見て綿畑よ! あっちは麻だわ。あ! 羊! メデュ、羊がいる!」

「お嬢様、身を乗り出さないでください。ほら、落ちますよ」


 すまし顔をしているけれどメデュのキラキラとした視線も放牧された羊に向けられている。

 実は私は今、国境を越えて隣国へと渡っているのだ。

 理由は⋯⋯冬のお茶会で逆プロポーズをした件があっという間に社交界だけではなく市井に広まり、周りが騒がしくなってしまったから暫く身を隠してみないかとのお父様の言葉に私はメデュと「偽りの婚約者」を辞めたら行きたいと約束していた隣国への旅行を願い出たの。


「──お嬢様、お仕事の邪魔をしてはなりませんよ」

「あ⋯⋯そうね。騒がしくしてごめんなさい」


 向かい側に座りノートを捲る婚約者に謝ると、優しく目を細められ私は頬が熱くなった気がする。


「仕事では無いよ。俺とシュリンの記事を読んでるんだ」

「⋯⋯仕事のでは無い」

「俺とシュリンの記事をこうしてスクラップしてるんだ」


 嬉しそうに記事や隠し撮りされた写し絵を綺麗にまとめたスクラップブックを広げられ熱くなった頬が一気に冷えた気がする。


「お茶会の時の記事は何度も読み返してるよ。嬉しい事が起きた日だから」


 ──シュリン様、逆プロポーズ「歩ませてください」に込められた決意──

 ──貴族間身分差を超えたお二人の覚悟──


 ⋯⋯恥ずかしい見出しに頬が引き攣る。

 そうだった。この人は「仕事」が早いのだったわ。一回目と言っていいのかしら、その時の新聞発表も、婚約届けも手際良かったわね⋯⋯。

 今回の新聞もお茶会の次の日には一面を飾っていたわね。


「嫌な事と嬉しい事が同時に起きた茶会だった。俺はずっと忘れない」


 婚約者、セリオル様は窓の外に視線を向けて少し自嘲の色を浮かべた。



 二回目の冬のお茶会。

 そこから私とセリオル様は「やり直し」を始めるはずだったのだけれど、私からの逆プロポーズはやり直しどころか「婚約解消の解消」を宣言するような形になってしまった。

 

 ⋯⋯宣言したけれど、実は婚約の解消はされていなかったのよね。


「私の仕事を忘れているのかい?」


 お茶会での騒動を報告した時、お父様はそう言って胸に着けている徽章をトントンと突いて珍しく含み笑いを見せた。その徽章は貴族院で貴族の戸籍を扱う仕事に就いている事を証明するもの。

 それは職権濫用では無いかと私は不安になったけれど、貴族の婚約、婚姻は個人のものでは無いと私が一番拘っていたのにスッポリと抜けていたわ。

 貴族院に婚約届けが受理されているのだから「家」の意向を無視しての解消や破棄は個人感情で勝手に行えないのよね。

 解消されていなかったと言う事はお父様は私の婚約解消を認めていなかったのだ。

 

「でもね、スカラップ家がこれから持ち直すか没落するかで私はシュリンの父親として解消の手続きをするよ」


 お父様はそう言ってセリオル様に「シュリンを頼みます」と少しだけ真面目な表情を見せた。

 

 そう、スカラップ侯爵家とフィレ侯爵家、それに連なる一族にはミディアム達が行って来たこれまでの事の後始末が待っている。

 その先駆けとしてお茶会の後スカラップ侯爵家とフィレ侯爵家はすぐに北の修道院と南の騎士団へパラミータとウェルダムの様子を確認する急使を飛ばした。

 一ヶ月程で帰って来た急使の報告では検査の結果、「薬」の影響は浅くパラミータもウェルダムも素直に日々のお勤めを果たしているらしい。

 それは演技などには思えず、驚いた事に反省をしているというのだからよほど修道院も騎士団も厳しいのだろうと思ったけれど、それだけではないと言う。

 二人は元々傲慢ではあったけれど、相手に対して自ら関わるまでの興味が無い方向で傲慢だった。それが「薬」を取り始めてから人と関わり、意地悪をする事が楽しくなって行ったのだと言う。

 そう言えば本来「薬」は精神安定、高揚していればそれを抑え、落ち込んでいれば気分を明るくする効果のある物と聞いている。

 パラミータとウェルダムは心に鬱屈を押し込めるタイプなのだそう。だとしたら、二人は「薬」の効果で解放された気分の良さに飲まれてしまったのだろう。


 ミディアムは⋯⋯アルバ様と同じく心を壊してしまった。

 送られた西の修道院でずっとセリオル様の写し絵を眺めては幸せそうに笑っているそうだ。時々正気になる事もあるようだけれどその時は泣き喚いているのだとか。

 彼女は夢の世界と現の世界を行き来するだけになってしまった。

 私は少し、気の毒に感じている。

 だってミディアムはセリオル様がずっと好きだったのだから。幼い頃からそばにいて、周りからもお似合いだと言われていたら華やかで美人なミディアムはセリオル様に相応しいのは自分だと思い込んでしまうだろう。

 だから自分が選ばれると信じていたのに、選ばれないなんて認めたくないと「薬」にどんどん依存して行ったのかもしれない⋯⋯それに、ミディアムの時間は残り僅かなのだとか。それが「薬」の作用によるものか「薬」を使用するものか明確な返答は聞かされていないけれど、後者なのだろうと思う。


 「薬」はミディアムとアルバ様の騒ぎで使用を禁止する声が上がったけれど治療に必要な人がいるのも事実。

 「薬」の管理はトロス公爵家の専売ではなく、当主交代したトロス公爵家と対するもう一つの公爵家と互いを監視する意味合いも含めて共同で管理する事になった。

 そのトロス公爵家の前公爵様はアルバ様の痴態を隠し、王家との婚姻を進めようとした事で隠居を命じられた。前公爵様は否定したけれど王家乗っ取りを企てたと疑いがかけられ重い罰をとの声が上がったが、アルバ様は本当にエポラル殿下を慕っていた事、快楽を愉しんでいながらもその身は綺麗だった事が証明され、エポラル殿下とレモラの婚姻が近い事もあり恩赦の形で隠居という名の幽閉だとか。

 アルバ様は公爵令嬢だった事を忘れ奉仕の日々を送っている。

 

 そしてスカラップ侯爵家とフィレ侯爵家。両侯爵様もその爵位を次世代へと交代させた。

 ミディアム、ウェルダム、パラミータが社交界で好き放題していた事は嫌な言い方だけれど上級貴族にありがちな権力で揉み消す事が出来ていた。彼らは家の存続の為、揉み消して来た。

 けれど、アルバ様の件、ミディアムの件それを隠し続ける方がこれからの侯爵家の枷となると公表し、新体制の侯爵家となる事を発表した。

 両侯爵は領地へ隠居。新しい侯爵様と両家に連なる一族は威厳と信頼を取り戻す為に、また、貴族としての義務を改めて果たす為に新しい事業を立ち上げ雇用の形で国民に貢献する事を決めた。

 

 新しい事業。その陣頭指揮を取るのは当主となったセリオル様だった。



「正直、俺にやり遂げられるか不安だけれど⋯⋯やり遂げなくてはならないんだ」


 この旅行にセリオル様が同行している理由は婚約者との旅行ではないの。

 セリオル様は新しい事業の為に隣国の発明家を訪ねるのだそう。


 当初、別々の日程だったのだけれど目的は違っても目的地は同じなのだから一緒に行きたいと、お父様とスカラップ前侯爵様を必死に説得したセリオル様は「部屋は別」「二人きりにならない」「手以外触れない」の三条件を出されて酷く口を尖らせた後に渋々受け入れていた。


「私に出来る事なら言ってくださいね?」

「ありがとう⋯⋯」


 私が出来ることなんて高が知れている。けれどセリオル様はこんな私でも必要としてくれるのだから私もセリオル様の為にやれる事をするの。


「そう言えば、良く発明家との面談が繋げましたね」

「友人が発明家達と知り合いなんだ」


 セリオル様のそのご友人は発明家ではないけれど発明家達と近い関係なのだそう。



「楽しみですね」

「ああ。発明家に会うのも彼と久しぶりに会うのも楽しみだよ⋯⋯でも心配がある」

「心配ですか?」

「彼は、その、とても綺麗⋯⋯なんだ。シュリンが一目惚れしたら⋯⋯それに、アイツがシュリンを気に入ったらと思うと⋯⋯」

「ええ!? そんな事ないです絶対!」

「でも、シュリンは俺の「顔」が好きだって言ってるじゃないか⋯⋯アイツだって俺と似たところがあって⋯⋯好みも同じだったりしたら」

「あり得ません!」


「──失礼ですが、よろしいですか?」

  

 すっとメデュが片手を上げるとセリオル様は何故か背筋を伸ばす。

 苦手とは言わないけれどセリオル様はメデュに怯えている。

 やって来た事が不信を買い、冷たくあしらわれてはいたけれど殴られた事はないのに、ボコボコに殴られた事があるような気がすると零された時は苦笑したわ。

 多分、セリオル様はメデュの殺気を本能で認識しているのかもしれない。メデュには控えてもらうように話さないとならないわね⋯⋯。


「セリオル様のご友人には心に決めた方がいらっしゃるとお聞きしております。そのようなご心配は無用かと」

「何でメデュがそんな事を知っているのよ⋯⋯」

「お嬢様に関わる事は下調べをして来ました。お嬢様をお守りするのが私の役目です」

「!? いや、それは俺の役目だ!」

「ふふっ。お嬢様の事は私の方が良く理解しておりますから。セリオル様は存分にお仕事をなされますよう」

「くっ!」


 どうしてだろう二人の間に龍虎が見えた気がする⋯⋯。


「まずはメデュ、君に勝たねばならないのだね」

 

 そう言ったセリオル様にメデュが目を細める。あれ? なんか不穏な空気な気がするけど、セリオル様がやる気になったのなら私は応援、⋯⋯ううん、支えるのよ。


「メデュ、お手柔らかに⋯⋯ね?」

「お嬢様の頼みでもお約束出来ません」

「大丈夫、俺は負けない」


 不穏ながらも穏やかな変な空気が漂う中やがて、私たちの馬車は大きな屋敷に到着した。


 到着を知らせにメデュが先に降りて馬車には私とセリオル様だけ。


「シュリン⋯⋯この商談が上手くいったら、俺からプロポーズをさせてもらえないだろうか」


 突然真剣な眼差しを向けられて私もセリオル様を見つめる。

 セリオル様が私のフリージアのコートの裾をつまみ口元を綻ばせた。


「あの冬の日、シュリンはこのコートを身に着けていた。シュリンを知る為に参加した夜会では友人達と楽しげに笑っていた」

「何故、私なんですか?」


 なんの特徴もない、なんの力もない平凡な私を何故セリオル様はこんなにも想ってくれるのか。

 嬉しいけれど私にはどうしても分からない事だった。


「最初は可愛い子だなって。それだけだったんだ。話をしてみたい。そう思って探すようになった。まだ知り合う前の夜会でミディアムとパラミータに嫌がらせをされていた令嬢がいただろう?覚えてない?」

「沢山、居すぎて⋯⋯」

「ははっ。そうだったね。アイツらはそれだけ最低な事をしていた。その時はドレスを汚され泣いていた令嬢にシュリンはハンカチを渡して「自分はもう帰るからドレスを交換しましょう」って言ったんだ」


 あー、あ! 有った。そんな事。その子はその日、初めて夜会に参加した子で、ミディアム達にドレスを汚されたのよ。その時は理由なんて分からなかったけれどおそらくセリオル様に見惚れた事でミディアムに目を付けられてしまったのだろう。本当、恋をするのは自由だけどやり過ぎなのよ。

 その日はその子とドレスを交換して私はそのまま帰ったのよね。

 その時から友人になった彼女は領地へ帰って結婚してしまい、会える距離ではないけれど今でも手紙のやり取りがある。

 そうだ、この旅行のお土産を送ろう。

 私も、婚約したのよって知らせたいもの。


「優しくて強い。しかも大胆な子だなって。一目惚れだったと思っていたけれど、多分その時に好きになったんだ。それから⋯⋯シュリンを知れば知るほど惹かれた。俺がシュリンを傷つけて偽りの婚約者だと思い込ませていた間も君はその優しさと強さ、大胆さを貫いていた。俺はそんなシュリンが眩しかった」

「ごめんなさい。セリオル様の事情も知らずに⋯⋯」

「良いんだ。俺があんな茶番を使おうとしたからシュリンを傷付けた。話すタイミングは有ったのにちゃんと話をしなかった俺が悪い。シュリンは何も悪くないんだ。だから俺を傷付けたとか感じないで欲しい」

「私は、偽っていたのですよ?」

「あんな話を聞いて騙されている。そうシュリンが思っても当然の事だ。聞いていなかったとしてもアイツらから受ける仕打ちや俺の不誠実さはシュリンを傷付けていた。本当にすまなかった」


 切なげに碧色の瞳を揺らすセリオル様はしっかりしていそうで打たれ弱いところがある。

 私はそんなところが愛おしい。


「私は悪く無い⋯⋯セリオル様、この商談。必ず成功させましょう⋯⋯あの、わ、わ⋯⋯私が付いてます!」


 セリオル様が驚いた顔をした後、嬉しそうに笑う。その笑顔を見て胸がキュンと高鳴る。

 ああ、やっぱり私、セリオル様の事が好き。セリオル様は私の手を取り、そして力強く握りしめてくれた。


「ありがとう⋯⋯シュリン。君が居てくれる。それだけで、頑張れる」


 セリオル様の熱の籠もった瞳にドキドキしてしまう。セリオル様の顔がゆっくりと近付き──。


 一回目は、私を助ける為。二回目は突然に。


 私は恥ずかしさと期待に目を閉じる。唇が重なったのは一瞬だった。


「子爵との約束。破ってしまったね」

「ふふっ。こういう時こそ何事もなかったと偽れば良いのです」


 私とセリオル様は額を付けて笑い合った。


「セリオル様、お嬢様ご用意は宜しいですか」


「さあ、行こう」


 戻ってきたメデュの声にセリオル様が差し出した温かい手を私は迷わず取り、開かれた扉から差し込む強い光の中へ二人で踏み出した。


「愛してる。シュリン」

「セリオル様。大好きです」


 同時の告白にセリオル様は一瞬目を見開き、優しく細めてから強く私の手を握って来る。

 セリオル様の熱が伝わる手。その手を私も強く握り返した。


「いらっしゃい。セリオル。君が来る事を楽しみにしていたよ」

「ああ、俺も楽しみにしていた。久しぶりだな」

「色々聞きたい事はあるけれどまずは紹介してくれないか?」


 屋敷の前で歓迎してくれるセリオル様の友人は黒髪に深緑の瞳の男性。背が高くスタイルも良い。うん、確かに綺麗だわ。


「⋯⋯シュリン」


 不安気な瞳を揺らしたセリオル様に私は肩を竦めてしまった⋯⋯あり得ないと言ったそばから、ごめんなさい。


「⋯⋯シュリン挨拶を」


「シュリン・フリンダーズです。突然私まで付いて来てしまい申し訳ありません」

「俺の婚約者だ」


 牽制するように肩を抱いてきたセリオル様に私は思わず吹き出してしまった。


「セリオルは相変わらずだな」

「お前は俺と似ているからな」


 失礼かと慌てたけれどセリオル様の友人も吹き出して笑っていた。


「さあ中へどうぞ、皆、来るのを楽しみにしていたよ。俺の自己紹介はその時に」


 私はセリオル様の腕を取り一緒に歩む。

 それがこんなにも幸せな事だなんてあの頃の私には分からなかった。分かろうとしていなかったのね。



 嘘と偽り。それは相手を悲しませるもの。それを知る私達はこれからどんな嘘と偽りがあってもお互いを想う気持ちを忘れないでいれば乗り越えられる。

 それが、私達の幸せだと信じている。



 私はもう、偽りの婚約者を演じないのよ。

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