第20話 山の上の蜂蜜とレモン

 可愛らしい小鳥の囀りが聞こえる。今日は昨日より寒さが柔らかいから小鳥達も嬉しいのかしら。そうそう、冬の鳥はコロンと丸くて可愛いのよね。どこに居るのかしら。

 あ、キツネ! わあっ子供がいるのね。ふふっお母さんの後を必死に追いかけて、可愛い。


「シュリン、ちゃんと聞きなさい」


 ⋯⋯長閑な昼下がり⋯⋯いけない、いけない。つい現実逃避してしまったわ。

 お父様は呆れたような表情。これは私に呆れているのと、侯爵家の二人に呆れているのと両方だろう。


「もう、知っての通りパラミータ達の所業は目に余るものがあった。何故放置しているのかと思われるがそれを揉み消す力が我が家にはあったのだ。しかし、いつかは表沙汰になる。一度侯爵家の信頼を落としてでも膿を出さなければ侯爵家の存続は危うい。その侯爵家を継ぐのだからセリオルには家の状態を把握してもらう為に動いてもらっていた」


 アイスティーを手に酔いが薄まった侯爵様がまだほんのりと赤い頬で語りだした「事情」。それはスカラップ一族のお家騒動だった。


 スカラップ侯爵家は筆頭貴族であるが故に多くの子飼いの貴族を有する。

 その子飼いの貴族達の力関係や様子を把握する為に定期的に報告を受けるのだそう。

 それが「スカラップ一族の会合」と呼ばれる報告会なのだそうだ。


 私が追い返された集まりの事ね。


 その一族の集まりは二部制になっていて、一部は互いの近況を語るお茶会スタイル。二部はその家の当主と後継ぎだけで行われるのだと言う。

 あの人が私の家に来たのはその二部が始まる僅かな時間の間だったのね。

 ⋯⋯私はそれを追い返してしまった。


「二年前から不穏な噂が出始め、各家に調査をさせたところ、フィレ侯爵家のミディアムとウェルダム、恥ずかしながら我家のパラミータが中心となってあちこちの茶会や夜会で好き勝手しているのだと報告が上がったのだ」


 子飼いの家の子達はミディアム達に追従する形で関わっていた。中には良心の呵責に耐えかねて父親達に相談した子がいて、それがようやく議題に上ったのだ。

 子飼いからすればスカラップ侯爵家とフィレ侯爵家は彼らの親。自分達が彼女達に逆らえば家が取り潰されるかも知れないと思ってもそれは仕方がないといえば仕方がないのよ。

 貴族間の身分差は上位に意見を言う事を暗に禁止しているのよね。

 下位から上位に話しかけてはならないなんていい例ね。規律を守る意味では作法と言えるけれどそれは上位が「人としてまとも」でなくては機能しないある意味扱いが難しい作法。

 

 侯爵様はコロコロと手の平を返せる⋯⋯ちょっと信用ならない人だけれど「愚か者」でなくて良かったわ。


「家名の下、誰彼構わず陥れているのだと。それを私はセリオルに確かめさせた。⋯⋯まあ、それが事実だった訳だ」


 侯爵様達はこのままではスカラップ侯爵家とフィレ侯爵家が貴族からいつか下剋上されかねないとミディアム達の処分に動き出したのだと言う。


「この一年、セリオルに監視させながら甘いと言われるだろうが家族の情で更生の余地を持たせていたのだが、更生するどころかその行いは悪化の途を辿り、いよいよ庇いきれない所まで来たのだよ」

「それが「薬」の使用。治療用であり、違法なものではないから俺は別の方向からパラミータ達の行動を調べたんだ。結果、もう、放置は出来ないとスカラップ侯爵家とフィレ侯爵家は判断したんだ」

「⋯⋯薬の横流し⋯⋯ですか」


 言葉ではなく頷いたあの人の瞳が揺れる。


「近くでパラミータ達の悪癖を見続けて俺は失望した。俺を使って女性を貶めようとするのを何度もかわしたりして証拠が揃い⋯⋯昨日の会合であいつらは、処分された」


 思わず息が詰まった。処分。家族をだ。


 スカラップ侯爵家の矜持。それが家族だとしても家に害なすものには容赦はない。ついさっき聞いたばかりの話。

 けれど、家族の情が全く無いわけではなくその行動を自ら正す事を期待していたのだろう。

 

「アルバの元々の性格もあるし、堕ちたのは彼女の自業自得ではあるけれど王太子の婚約者であったアルバが薬漬けになるキッカケはあいつらだ」

「侯爵家の者である身分は子供の悪戯、子供の戯れ。そんなものが許される立場ではない。もっともあやつらは子供の時期を過ぎている」


 責任を背負うからこそ侯爵家であり、侯爵家を守る事が義務となる。そう言い切る侯爵様に私は何も言えなかった。

 でも、その通りなのかもしれないわね。

 この国において貴族の位は絶対のもの。

 ミディアム達はその最上位だからと言って揉み消して来た。ここで何もしなければ同じ事を繰り返して行くだけ。


「仕事に行けばネフロは気付くだろうが、あやつらは侯爵家から除籍する事になった」

「そこまで⋯⋯ああ、確認しておこう」


 淡々と話す侯爵様はもう酔いが覚めたと言わんばかりに大きなため息を吐いて座り直した。


「これまでの行い。アルバ嬢の件、薬の横流し。直接なものもそうでないのもあるが罪は罪。しかし、完全に放逐すればいずれまた悪さをして害をなすかもしれぬ。ミディアムとパラミータは西と北の修道院へ。ウェルダムは南の騎士団に送る事とした」


 西の修道院は規律が厳しいと聞くし、北の修道院は貴族より平民が多いらしい。騎士団は実力社会。

 今まで思い通りになる事が当たり前だった彼らには辛いだろうな。


「俺があいつらに付いていたのは常に見張る為だったけれど⋯⋯毎回、シュリンを送れなかったのは⋯⋯言い訳にしかならないけれど⋯⋯」


 あの人はまた泣きそうに目を伏せた。


「毎回邪魔をしに来ていたのは分かっていたんだ。けれどあいつらは俺を「仲間」だと認識していた。証拠を集める為にあいつらの懐に入り込めるようにそうしていたから。俺の力不足で一年かかってしまったけれど、あいつらが「薬」を手に入れるタイミングがやっと分かったんだ」

「⋯⋯彼女達が帰りに病院へ寄ると貴方は掴んだのですね」

「──そうだ」


 時間をかけて入り込んでいたのだから彼女達の行動を読めるようになるだろう。

 私と出かける日、彼女達はその日に合わせて「薬」を手に入れる為に病院へ行くようにしていたのだ。

 病院側は経営者の家の者である彼女達に逆らう事は出来ず、易々と渡してしまっていた。


「⋯⋯初めて送ってもらった夜会の後も病院へ寄るはずだったのですか?」


 あの日、ミディアムと三回踊ったあの人。

 それを見た私はあの人はミディアムを愛していると⋯⋯察した、思い込んだ。


「いや、踊っている間にミディアムは「今夜は帰りにサロンへ行く」と言った。そこでパーティーを行なっているのだと⋯⋯それが薬を使う集まりだと。自分達に付き合いながらも薬を使用していない俺に使わせようとしていたんだろう」


 あの人は顔を伏せながら話を続ける。


「どこのサロンか、誰が開いているのか、どんなパーティーなのか聞き出している内に二曲目が終わり⋯⋯」

「三曲目になったので私は席を立ちました」


 苦しくて見ていられなかったから。


「三曲続けて踊る意味を俺だって承知している。ミディアムの意図も。三曲目が始まってすぐにミディアムから離れた。と言っても⋯⋯シュリンを傷付けたのは違いない⋯⋯」


 顔を上げたあの人は今度は私の目を見て言った。


「本当にすまなかった」

「なぜ、折角サロンへ行けたのに私を送ってくださったのですか」


 ミディアム達の行動を追っていたなら絶好の機会だったのではないかしら。


「ミディアムと離れる時「シュリン様も今夜は楽しまれるのだから」と笑ったんだ。あいつらがシュリンに何かをするのではないかと恐ろしくなった。⋯⋯そんな事はさせない。俺は頼りないけれど何よりも誰よりもシュリンを守らなくてはと⋯⋯」


 彼女達にとって余程私は疎ましい存在なのだと背筋が冷えた。

 あの日、ミディアムに冷えた視線を向けていたあの人の凍えた目。

 あの人は私にではなく本当にミディアム達へ怒りを向けていた。


「俺がシュリンに告白したのは本心だ。あいつらの悪癖をチャンスだと。多くの人の目がある所でシュリンは俺のものだと⋯⋯周りに牽制したかったんだ。それなのに俺は今も言い訳ばかりで⋯⋯信用されなくて当然の態度だった」


 私の手を握りしめて来たあの人の手が震えている。今にも泣いてしまいそうな顔に私は胸を締め付けられた。


「一人で帰るシュリンが心配なのに。追いかけたかった、全てを話し、馬車を用意しようと考えたけれどあいつらにバレてしまうかも知れない。だから、街馬車の通る所を出掛け先にしていたけれど⋯⋯どうすれば良いのか分からなくなって──」

「セリオルがな、シュリン嬢に警護を付けてほしいと言ってきた」


 警護。どこにそんな人が居たの!? 全く気が付かなかった。でも、そう言われれば納得するのよね。人通りが多い所を選んではいたけれど明らかに着飾った貴族が一人で歩いているのに誰一人声をかけて来なかったから。どんなにおめかししても影が薄いのかと少し落ち込んでいたのよね⋯⋯そう、護衛が守ってくれていたのね。


 ──あ、そうか⋯⋯毎回一人で帰る事が当たり前だと私も聞こうとしなかったし、何故毎回置いていかれるのか聞かなかったのよね。あの人に騙されている、遊ばれている偽りの関係だからと諦めていたから街馬車なんて使わないでやるとの意地もあった。

 私も、もっと聞いていれば、話をしていれば良かったかも知れない。

 そう思ったら急に恥ずかしくなって来た。いや、もう十分に恥ずかしい事を話したのだけれど。


「あいつらの戯言を利用した最低な始まりだったけれど⋯⋯シュリンに全てを話そう、許されなくとも婚約者として尽くそう。そう思った矢先に婚約⋯⋯破棄してくれと⋯⋯目の前が真っ暗になった」

「私は、優しくされる事。それは私を騙す為、陥れる為だと思って、思い込んでいましたから⋯⋯」

「全部裏目になってしまったんだね」


 苦しかったけれど私もあの人を苦しめていた。


「シュリン、どうか、俺に時間をくれないか。この一年の償いをさせてもらえないだろうか」


 縋るあの人に侯爵様も「巻き込んだ事、償わせて欲しい」と頭を下げた。

 

「オルモー、頭を上げてくれ。お前はこの国筆頭の貴族であり侯爵だ。スカラップ派に属していない私に弱さを見せるな」

「しかし、ネフロ。お前は私の友人だ。そしてシュリン嬢はお前の娘。私は友人を無くしたくはない」

「シュリン、こう言っているが、お前はどうしたい? 私はシュリンの気持ちが一番大切だ」

「でも、お父様、侯爵家に逆らったら我が家は⋯⋯」

「オルモーとセリオル君はそんな「愚か」な事はしない。そうだろう?」


 強く頷く侯爵様と不安そうに瞳を揺らしたままのあの人。


 私はあの人を信じられるのだろうか。


「⋯⋯見ていただきたいものがあります。メデュ「アレ」を見せます」

「はいっ!」


 メデュの元気の良い返事に少し不安になる。一応はこの一年の「事情」を聞いて彼女なりに仕方ないと感じる部分はあるようだけれど常々「理由があるからとやって良い事と悪い事があるのです!」と言っていたのだからあの人に対して完全に不信感を払拭した訳ではなさそう。

 だから私は「アレ」を見せる。あの人の誠意を私が不誠実に受けていた事実。


「さあ、お入りください」


 私はお父様、侯爵様、そしてあの人を部屋へと招き入れた。


 そこにある不思議な山。頂きにちょこんと乗った蜂蜜とレモン。


 それを見た全員が息を呑んだのだった。

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