第11話 初夏の夜会

 空気が重い。

 応接室へ入った瞬間にあの人から向けられた視線に私は少しだけ胸が痛んだ。

 だって、綺麗な顔を歪ませたあの人はひどく悲しそうな瞳をしていたから。


「シュリン、一体何があったんだい?」


 挨拶をしただけで言葉を発さない私と俯いたあの人を交互に見ながら尋ねるお父様。

 はっとしたように顔を上げたあの人の表情が悲しみから怯えの色を映した。


「私は婚約破棄を願い出ました」

「シュリン! 俺は破棄などしないっ解消もしない! 何故そんな事を言うんだ」

「昨日お話した通りです。私は一年、夢を見たかっただけです。憧れの人に望まれた一時の夢。もう夢から覚めなくてはならないのです」


 そう言って頭を下げた私の手があの人に掴まれた。驚いて顔を上げると、あの人は真剣な目で私を見つめていた。

 その瞳に宿る熱量を感じ取って私の背筋がぞくりと震えた。


「俺は認めない。確かに最低な始まりだった。シュリンを傷付けた⋯⋯でも、あの日しかないと俺は⋯⋯」

「私を騙すのはあの日しかなかった?」

「違う! 騙そうなんて思っていなかった。俺はずっと前からシュリンが好きだったんだ」

「信じられません。あの日より前にお会いした事がないのに」


「シュリン。婚約破棄だとか解消だとか穏やかではないね。なんだか二人にすれ違いがあるように私は思うよ」


 私達のやり取りを聞いていたお父様が口を挟んだ。その言葉を受けて、あの人は苦しそうな顔をして唇を引き結ぶ。


「シュリンとセリオル君は確かに会った事は無かったかも知れないね。でもセリオル君はシュリンを知っていたんだよ。まさかシュリンに話していなかったとは⋯⋯」


 お父様がため息をついた。


「ならば、今この場で話さなくてはならないね。それに、セリオル君はあの事もシュリンに説明をしていないようだ。それもシュリンに話して欲しい。いいね? セリオル君」

「子爵⋯⋯はい」

「シュリン。辛いだろうけれど覚えているよね⋯⋯可愛い娘には思い出して欲しくない出来事があった夏を」


 お父様が何を言いたいのか私はすぐに分かった。

 夏のシーズン。それは忘れようとしているけれど未だに忘れられない出来事が起きた季節なのだから。


「⋯⋯あの出来事と何か関係が⋯⋯あったのですか!?」

「⋯⋯あると言えば有る。無いと言えば無い⋯⋯」

「まさか、知っていて⋯⋯なんて⋯⋯酷い人」

「あんな事をしでかすなんて知らなかった! 誓う! 俺は君を守りたかった! 本当だ!」


 私はあの人を思わず睨んだ。

 夏のシーズンが始まる王宮での夜会。あの日、この人は全てを知っていたのだろう。


 だから──私を助ける事が出来たのね。


「王宮の夜会。私は助けてもらえたと⋯⋯嬉しかったの、に」

「⋯⋯ごめん。間に合って良かったと俺は思っている。本当だ」


 王宮の夜会。その夜に起きた出来事。私は名前を呼ばないと決めていたあの人の名前を一度だけ叫んだの。



 春から夏へと変わる季節。この季節になると夏のシーズン到来を知らせる夜会が王宮で開かれる。


 私はあの人のエスコートを受けて参加した。

 この国ではパートナーがいる者は相手の色を身に着ける事がどのパーティーでも暗黙の了解となっている。

 それはドレスであったり、アクセサリーであったり。


 私はあの人から碧色のドレスを贈られ、あの人には私の茶色⋯⋯琥珀のクラヴァットピンを贈った。


「シュリン、ありがとう。君からの贈り物⋯⋯こんなに嬉しいなんて。大切にする。ずっと⋯⋯」


 大袈裟に喜ぶあの人に少しだけ揺らいだ。本当は愛されているのかも知れない。それが本物であれば良いのにと。

 

「シュリン、踊ってくれますか」

「ええ、喜んで」


 周囲の目は相変わらず好奇を含んでいたけれど私はあの人の婚約者なのだと胸を張り、好きな人と踊る。好きな人に見つめられる。好きな人と同じ時間を過ごす。私は本当に幸せを感じ、その一つ一つを胸に刻んでいた。


「何か飲み物を持って休もうか⋯⋯一緒に取りに行こう」


 この時少しおかしいとは感じたの。

 普段なら私を待たせるあの人が頑なとも取れるほどそばを離れようとはしなかったのだから。

 夜会が中盤に差し掛かってもあの人が一時も離れず、そのおかげか私に話しかける人は少なく、話しかけて来た人もあの人の前なのかキツイ言葉を投げて来る事もなかった。


 もしかして、守ってくれているのかな、なんて。


 そんな事を思いながら私はあの人と休みながら何曲か踊ってそろそろ帰ろうかとした時、意外な人から声をかけられたのだ。


「こんばんはセリオル様。ご婚約されたのは本当でしたのね⋯⋯ふぅん。ふふっ貴方の好みとは正反対の可愛らしい方ね。初めまして、トロス公爵が娘アルバです」

「シュリン・フリンダーズです。アルバ様にお会い出来て光栄です」


 挨拶をする私を嘲笑うような笑み。弧を描いた瞳からねっとりと絡みつく視線。それはゾッとするような嫌な視線だった。


「シュリン様、婚約者だからと独占するのは良くありませんわ。セリオル様と踊りたい方は沢山おりますのよ」

「申し訳あ──」

「アルバ、俺がシュリンとだけ踊りたいんだ。そんな言い方をしないでくれ」

「まあっ! 婚約者以外と踊ってはならない訳ではありませんでしょう? 社交は貴族の義務ですもの。さあ、みなさんがセリオル様と踊りやすくする為にも私と踊ってくださいませ」

「申し訳ないが俺達はそろそろ帰──」

「シュリン様、コチラの方がシュリン様と踊りたいそうですよ」


 そう言って一人の男性を促すアルバ様。

 人の良い笑顔のその男性に強引に手を取られた私はホールへと連れ出され、あの人もアルバ様と踊り始めた。


 そして⋯⋯私が忘れたい事、それが起きた。

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