第2話 だったら私も楽しませてもらうの【回想】

 スカラップ侯爵家から帰宅してすぐに私はドレスを脱ぎ捨てお気に入りのワンピースに袖を通す。


 ソファーへバサリと投げ捨てたドレス。二度と着る事はない。


「お嬢様⋯⋯もう少し丁寧にお脱ぎください」

「だって早く脱ぎたかったのだもの」


 専属侍女のメデュは呆れながらも拾い上げて「これも返却ですね」と部屋の隅に積み上げられている荷物の山へと放り投げる。

 私に丁寧に脱げと言ったのに。


「今日は如何でした?」

「今日も、よ。お茶をしながら愛を語られ、終わりにあの人達が来て笑われる。いつもの通りよ。でも、婚約破棄してほしいって、そう伝えたわよ」


 お茶をする。パーティーにエスコートされる。観劇に行く⋯⋯そして彼の従姉弟と妹が現れて私を嘲笑って行く。いつも同じ流れ。

 この一年、そんな事をされても構わないほど私はあの人が好きだったのよ。


「婚約破棄を承諾する言葉は引き出せなかったけれど。私はもう夢から覚めると決めたの」

「お嬢様がクズ⋯⋯ゲス⋯⋯アイツ⋯⋯くっ⋯⋯アノオカタを好きだと仰るので我慢しておりますが、私はあのヤロウをぶん殴りたいのですよ」

「ふふっ口が悪いわよメデュ。辛い思いをさせてごめんなさい」


 私はメデュにこの茶番を話してある。

 メデュはあの人達の戯れで私は彼に愛を囁かれ、婚約までして馬鹿にされ、嘲笑わられるのだと話した時は「なんて最低な人達だ!」と憤ってくれたのだ。

 私が戯れに乗る事を勿論メデュは止めた。けれど私は偽りでも構わない。彼が好きだから少し夢を見たいのだと宥めた。

 あの人達の楽しみの為に偽りで好きだと言うのなら私はそれを自分の夢を叶える為に利用するのだと。

 最低な人。だけれど好きだから好きな人に愛を語られたい。同じ時間を過ごしたい。

 メデュは「最低な男のどこが良いのか分からない」と呆れながら私に付き合ってくれていた。


「顔だけはよろしいですものね。あのお綺麗な顔を本当、ぶん殴りたいですよ。形が変わるまで」

「ふふっメデュ。やめて私はあの顔が好きなのよ」


 見かけで一目惚れをしたのだから顔はやめて欲しいかな。本当に顔は良いと思うのよね。

 人の心を弄ぶ事を楽しむ性格は最低だけれど。従兄弟と妹も人を嘲笑う事が趣味なのだからスカラップ一族は性格が歪んでるわね。


「さあさあ、お嬢様、お疲れ様でした。夕食までお休みください」

「ありがとう。そうさせてもらうわ」


 メデュに促されて私は窓辺に置いたロッキングチェアに身体を任せた。

 夕方に向かう日差しは柔らかくて心地よい。

 暫く揺れた私は微睡に身を任せた。



 今思えば「それ」を知れて良かった。だって知らないでいたらただ浮かれて絶望していたのかもしれないのだから。



 フリンダーズ家は文官の家。

 お父様が王宮で戸籍を管理する仕事に就いている為、王都の貴族街の端に住まいを持っていた。

 馬車で五日程離れた領地は葡萄と酪農を生業とする長閑な田舎。

 夏のシーズンが終わり領地運営を任されているお兄様とお母様は領地へと帰り、私とお父様は王都に残った。


 私が王都に残ったのは行儀見習いの為。

 立派な淑女となり、貴族としてお父様のお眼鏡に適った相手と結婚する。それが貴族に生まれた私の使命だから⋯⋯と言ったらお父様は大笑いしたの。


「シュリンは好きに生きれば良い」


 無理に貴族と結婚しなくても良い。もし、平民でも良い人と出会えたらそれで良いし、出会えなくともしたくない結婚をしなくても良い。

 フリンダーズは兄のオマールが背負ってくれる。だからシュリンがやりたい事を見つけたのなら応援するよと。


 そんな事を言われて驚いたわ。

 私は貴族として生まれたからには家の為に結婚しなくてはならないと思っていたから。


 でも、その言葉で私は楽になったのよ。貴族社会は見栄と虚栄の窮屈な世界だから。

 貴族が平民を蔑むように貴族同士でも階級の上下がある。

 子爵家と言う事に不満はない。お父様が頑張ってくれているから私は子爵の娘でいられるのだ。

 だからなのかも知れない。彼に目を奪われても見ているだけで良いと思ったのは。


 その彼に一目惚れをしたのが冬の日のお茶会だった。

 夏が終わり秋が過ぎ穏やかに時間が過ぎる冬の日。スカラップ家でお茶会が開かれると招待状が届いた。


 珍しい事だった。

 冬のお茶会も、招待された事も。

 この国で公爵の地位にある家は王家の血族。謂わば王族。だから侯爵位が貴族の中で最高位となる。特にスカラップ侯爵家は貴族の中でも侯爵家の中でも最上位の家。

 よほど親しい間柄で無ければスカラップ侯爵家のお茶会に子爵位や男爵位、準男爵位が呼ばれる事はなかったのだ。


 そのお茶会は冬の事もあってコートの着用がドレスコードになっていた。

 勿論、コートに隠されるとしても招待された会にはちゃんとした服装をするのは当然のことだけれどたとえどんなに豪華なドレスを着たとしてもコートで隠されてしまう。

 私は面白そうだと思ったの。

 コートでなんて滅多にない機会だもの。お茶会や夜会ではパーティーが始まれば脱がれてしまうコートが主役になれるって事でしょう?

 

 そうして、私は着る機会の少ない裾に満開のフリージアが刺繍されたお気に入りのコートを着て冬のお茶会へ参加したの。


 お茶会は大盛況で多くの人が参加していた。

 冬だと言うのに花が溢れ、暖をとれるようにと焚き火が焚かれ、そこで常に暖かいお茶を楽しめるようにと湯が沸かされていた。田舎の風景を持って来たかのような素朴で暖かいお茶会。

 流石スカラップ侯爵家、面白い趣向だと皆楽しんでいた。

 

 私も友人達とお喋りしたりお菓子を食べたりと楽しく過ごしていたのだけれどそこへ挨拶に出てきた彼を一目見て胸の高まりを感じたの。

 サラリと流れる金色の髪に碧色の瞳の彼。次期侯爵を継ぐスカラップ侯爵家嫡子セリオル・スカラップ。


 彼があっという間に令嬢達に囲まれるのを私と友人は遠くから眺めていた。

 彼を取り囲んだ令嬢は皆上位爵位の家。

 私達は下位爵位の家。

 身の程を知っているからこそただ憧れを持つだけで満足だったの。


 会が中頃に差し掛かった頃、私が建物の壁と生垣の間に置かれたベンチで一休みしていた時だった。


「──だよなあ」


 誰かの声がしてどこから聞こえたのかと空を見上げて、丁度ベンチの上に少し空いた窓を見つけた。声はそこから聞こえていた。

 盗み聞きになってしまうとその場を離れようとしたのだけれど続けて聞こえた話に身体が固まってしまったのだ。


「ねえ、このまま終わるのは面白くないわ。わたくしパラミータと面白い余興を考えたのよ」

「ここでお兄様が爵位の低い家の女に告白するの! 身の程を知らずにもあの子達、お兄様に見惚れていたのよ。話しかけられない身分のくせにね」


 クスクスと笑う声にサアッと血の気が引いた。


「お前達相変わらずだな⋯⋯お前らの楽しみの為に俺をダシに使うな」

「面白そうじゃないか。なあ、お前に言い寄られて悪い気はしないだろう? 少し付き合って夢を見させてやるんだ。悪いことじゃないさ」

「嫌だね」

「あら、夢を見させるのも人助けですわ。夢を見させてあげる代わりに私達を楽しませてもらいましょうよ」

「貴族と言っても下級だし少し優しくしてあげればすぐ落ちるわ」

「万が一、婚約する事になってしまったら破棄すれば良いだろ」

「嫌だね」


 それはセリオル様とセリオル様の従姉弟フィレ侯爵家双子の姉ミディアムと弟のウェルダム。そしてセリオル様の妹パラミータの声。

 なんて酷い人達だと怒りが湧いたけれど、盗み聞きしていたなんて知られたらどんな事をされるか。彼らは侯爵家、私だけではなく、フリンダーズ家も無事では済まない。

 私は神経を張りながら少しずつ後退った。


「お前はスカラップ侯爵家だ。何をしても揉み消せるさ」

「では、こうしましょう。夢を見させて捨てる事によって相手を絶望させられたらセリオル様の勝ち。わたくしたちでセリオル様の希望を一つ叶えますわ」

「わあっいい考え!」


 聞いている限りセリオル様は乗り気ではなかったようだけれど、結局、彼らの提案に乗ってしまった。

 

「と、言っても全く興味ない女ではセリオルも気が乗らないだろう。誰かいないのか?」

「ウェルダム兄様! お兄様に相応しい女が下級にいるわけないでしょう」

「⋯⋯フリージア、の刺繍」


 私の心臓が跳ねた。


「刺繍? ⋯⋯ああ、あの地味な子ね。フリンダーズ子爵家の」

「ああ、あの女なら簡単そうだな。地味だし、平凡だし良いんじゃないか?」

「お兄様のお好きなタイプと真逆ね。お兄様はミディアム姉様のような美人で上品な方がお好きだもの」

「もうっパラミータったら恥ずかしいわ。ふふっ」


 こんな状況であんな最低な話を聞かされているのに私はドキドキしていた。セリオル様がこの人混みの中で私を見てくれたのだと。馬鹿よね。


 ⋯⋯そして、お茶会の終盤。

 セリオル様は優しい表情でまるで本当の告白のように私の前に傅き手を取ったの。


「貴女に心を寄せています」


 恥ずかしさと同時にセリオル様に嫌悪が浮かんだ。悲しかった。惨めだった。

 これからこの人は私を騙す。そして捨て、絶望を望む。

 ⋯⋯だったら夢を見させてもらおうじゃない。そう、私が好きになったのはセリオル様の外見。私は簡単に絶望なんてしない。セリオル様が私を利用するのなら私も利用する。

 好きな人との時間。夢を楽しませて貰う。


 

 だから私はセリオル様に向けて「光栄です」と頬を染めて見せたのよ。

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