第五章――②

 やばい。逆ギレして正気を失ってるんじゃないか、これ。

 ていうか、被害妄想が激しすぎるんだけど、これがアリサがこれまで抱えてきたコンプレックスなの?

 この分じゃひどいいじめにもあってきたことは想像に難くないけど、今は同情している場合ではない。


 もう勝負どころの話じゃなくなってきた。

 どうやって話の落としどころをつければいいのかも分からないし、シナリオだのヒロインだのメタな発言を散々飛ばしてくれて、みんなにどう言い訳すればいいのかもサッパリだ。


 ああもう、面倒なことになった!

 可哀想な子なのかもしれないけど、あえて言わせてくれ。

 これだから脳内お花畑ヒロインは嫌なんだ!


「アリサ、落ち着い――わわっ」


 胸中で喚きつつも、どうにか事態を収拾しなければと思い、アリサに向かって歩み寄ろうとした矢先。

 急に足元がグラグラ、ガタガタと細かく振動を始めた。


 まさかアリサの地団駄でのせいじゃ……なんていう失礼な冗談はともかく、揺れているのは床じゃなかった。

 屋敷全体が小刻みに震えている。


「地震……?」


 震度でたとえるならせいぜい三くらいで、立っていられないほど激しい揺れではないが、地震大国で生まれ育った身としては潜在的な恐怖が湧き起こる。


「いや、違う。これは……魔力だ。魔力の振動だ」

  

 ユマのつぶやきに意識を集中させると、確かに禍々しい魔力が周囲に充満しつつあるのを感じる。

 魔物や残りの四天王の襲撃を警戒したが、その発生源がアリサだと気づき全員が驚愕した。


 魔王やその眷属たちが使う魔法も、聖女や騎士たちが使う魔法も、結局は同じ魔力から生み出される術だ。

 だが、その質は使用者によって異なる。ざっくりと言えば、聖女側は聖属性で、魔王側は魔属性と言えば分かりやすいだろうか。


『魔』がやたらと被ってややこしいが、とにかくアリサが今まき散らしているのは、魔王側の魔力だということだ。聖女ならありえない話である。


「……ハリは魔力の中和を頼む。俺たちは一般人の避難誘導に出る」

「任せて」


 一般人に魔力を感じ取れるものは少なく、この異常事態に気づいている者はいないだろうが、聖女が禍々しい魔力を放っているなど前代未聞だ。

 醜聞である以上にこれから何が起こるか分からないので、非戦闘員は屋敷の外に出すのが正しい選択か。


 私が対となる清浄な魔力を周囲に拡散するのと同時に、ユマは騎士と共に使用人たちの誘導に走った。

 ほどなくして建物の振動は収まったが、アリサからは依然として魔力は放出され続けている。私が魔力の中和を止めたら、再び揺れが起きるだろう。


 気が抜けないままアリサと対峙している中、彼女はまだ一人で勝手に叫び続けていた。


「どういうことよ! 話が違うじゃない! 私は特別だって、選ばれた者なんだって、二度とあんな惨めな思いをしなくていいって言ったのに! どうして……ここでも私はこんなにひどい目に遭わなきゃいけないわけ……!?」

「いい加減、ゲームと現実をごっちゃにするのはやめたら? 異世界だろうが乙女ゲームの世界だろうが、なんでも思い通りになる世界なんかないの。ヒロインだからって、無条件で愛されると思ったら大間違いよ!」

「ああもう、うるさい! うるさぁぁぁい! あんたなんか消えちゃえ!」


 癇癪を起した子供かよ!

 カチンときた私はアリサを黙らせるべく、魔力の中和を一旦止めて再び影縛りの魔法を使おうとしたが――術が完成するより早く、黒い何かが私の目の前にぬっと現れたかと思うと、鳩尾に強烈な衝撃が加えられて吹っ飛んだ。

 一瞬呼吸が止まり、悲鳴も呻きも上げられないまま、私は床に転がる。


 痛みをこらえながら腹部に手を当て、出血がないことを確認してほっとするが、むせ返る気管に鉄錆の味がして眉をひそめる。

 臓器の損傷が心配されたが、それよりも突如現れた脅威が何なのかを確かめる必要がある。


 運よく手放さなかった杖に寄りかかりながら立ち上がると、そこには真っ黒な何かがいた。


 人の形状をしているが、老若男女の区別もつかないほど輪郭はおぼろで、ノイズがかかった映像みたいに揺らいでいる。

 しかも縦にも横にも大きい。巨人というほどではないにしろ、長身な男性でも見上げるほどの背丈で体躯も四肢も太く、ダンジョンに出没する小型のゴーレムという印象だ。

 

「…………アリサ」


 ハウリングしたマイクから響くような、キィーンとひび割れた声が耳を突いた。

 その声に応えるようにアリサは黒い影に駆け寄り、すがるように抱きつく。


「助けて、イーダ……!」


 彼女から漏れた名前に、背筋に戦慄が走る。


 魔王イーダ。

 女神セリカノリスと対になる存在で、聖女とも対立関係にあるはず。


 それに、私の知るイーダはこのような真っ黒でゴーレムみたいにいかつい姿ではない。

 ストーリーの合間では仮面をつけた姿しか出てこないが、本来は儚げな絶世の美青年なのだ。


 こんな時に言うのも不謹慎だが、イーダもユマ同様人気だったのに攻略対象ではなく、移植版でやっと攻略できるようになったキャラだったりする。

 ということは、ここは移植版に対応した世界で、まさかアリサはイーダルートの真っただ中ってこと?


 でも、じゃあなんでイーダは真っ黒なの?

 この世界じゃ美少年じゃないってこと?


 いやいや、今はビジュアルを問題視してる場合じゃない。

 どうしてラスボス自らが、敵対しているはずの聖女アリサの傍にいるのか、そこを知らねば何も解決しない。


「……アリサ、これはどういうこと?」

「どうもこうもないわ。理想の世界を作るため、イーダと契約を結んだの」


 黒い影に抱かれるように包まれたアリサが、恍惚とした表情で語る。


「イーダは世界の管理者になりたい。私は私の思い通りになる世界が欲しい。でも、どんな道を歩んでもイーダは封印され、私は元の世界に戻される。他の騎士と結ばれても聖女の力は失われ、無力な女の子に逆戻り。

 そんな不条理なシナリオをぶち壊すためには、女神を滅ぼすしかないでしょう? そのために協力しようって約束したの」

「何を馬鹿なこと言ってるのよ。そんなことしたら――」


「聖魔のバランスなんて言いながら、結局女神に優位なように世界を操ってるだけ。イーダはいつも悪しきものとして蔑まれ、封印されるしか道がないのに、女神はいつも崇められる立場でしかない。そんなの、正しい均衡状態とは言えないわ。だったらいっそぶち壊すべきでしょう?」


 アリサの言うことはある意味正論だ。

 一足飛びに破壊とは思い切りがよすぎだが、イーダを封じるしかないシステムは、確かに不平等だし理不尽だと思う。


 ……もしかしたら女神が作りたい歴史とは、イーダを封印しないで済む道かもしれない。魔王との共存が本当の望みだとしたら、ループを繰り返しているのもうなずけるし、使徒に真意を告げられなくても当然だ。


 しかし、仮にイーダを封印せず済む道が見つかったとしても、アリサの思い通りになる世界が作れるわけではないので、彼女にとってはやはり破壊するしか望みを叶える術はない。


「――丁寧なご説明、どうもありがとう。けど、そんな話聞いて、勝手にどうぞって言えるほどドライにはできてないのよ!」


 むしろ聞き分けのないお子様にお仕置きせねばならないのが、大人の務めだ。


 杖を持たないアリサに攻撃能力はなく、目の前の脅威はイーダのみ。

 とはいえ、私一人で魔王を倒すなんて無理難題なので、ユマたちが戻ってくるまで時間を稼ぐべく、二人まとめて拘束する光の縄をイメージして杖を振るう。


 しかし、黒い影に触れる間もなくパチンと弾けて消えた。

 ちっ。やっぱりラスボスなだけに拘束系の魔法は効かないか。


 こうなったら高威力の魔法をお見舞いして一旦ダウンさせたいところだが、それよりも……と逡巡している間に、お返しとばかりにイーダが放った魔力の塊が右肩を貫いた。

 焼けつくような痛みに絶叫し、取り落とした杖はカラランと音を立てて床に転がった。


「ハリ!?」


 誘導を終えて戻って来たユマの叫びが聞こえる。

 すぐさま駆け寄ろうとしたが、マシンガンのように放たれるイーダの魔弾でこちらに近づくことができない。

 そんな私たちの無様な姿を嘲笑うように、一発のイーダの魔弾が、杖を木っ端みじんに打ち砕いた。

 まるでドライアイスが溶けるように風化していく杖の欠片を眺めながら、アリサは狂気の笑みを浮かべる。


「はは、あははははっ! 傑作ね! これであんたはただの役立たずよ! 二度と私に逆らわないで!」

「ハリ、大丈夫か?」


 弾幕が途切れた隙に、ユマは私とアリサたちの間に割って入る。

 ゆっくりと私を抱き起し、血が流れ出る傷口の治療をしながら、アリサを睨みつけた。


「これはどういうことだ?」

「私の味方じゃない人に話すことなんか何もないわ」


 ついっと顔を逸らすアリサにさらに言葉を重ねようとしたところで、複数の足音が駆けてきた。

 イーダは空気に紛れるように消え、入れ違いになるようにホールへ戻って来た騎士たちが、予想外の流血沙汰を前に戸惑い立ちすくんでいた。


「な、何があったんだ?」

「あ、あの人……魔王の手先だったの。ユマを洗脳して味方に引き入れただけじゃなく、私を操って悪者として陥れようとしたの……ごめんなさい、私がしっかりしてなかったばっかりに、みんなに迷惑をかけて……」


 さっきまでの狂気じみた暴言が嘘のように、しおらしい態度に転じポロポロと涙を流すアリサだが、ロイはそれにほだされた様子もなく悲しい瞳で首を振った。


「……アリサ。もうやめろよ、そういうの」

「え……?」

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