第四章――④

 お披露目から二日経過。

 今のところ穏やかに時間が流れている。


 やることといえば、時々訪れる面会希望者に“先代聖女”として対応することと、いざという時に備えての体力づくりをするくらいで、あとは正直暇を持て余している。


 転生チート、というものではないと思うが、元々聖女としてどんな魔法が使えるかは知っているし、先日の襲撃事件同様どうしたいかを思い描くと勝手に頭に呪文が浮かんでくるので、聖女としての修行はほとんどしていない。

 私が魔王を倒すわけでもないしね。


 というわけで、毎日ユマに見繕ってもらった本を読みながら時間を潰しているが、真面目な彼の選書なだけに学術的な内容の本ばかりで(多分自分がいない間も勉強していろということだろう)、基本読書が好きな私でもだんだん文字を追うのに辟易してきた。


 もっとエンタメ系の本はないんだろうか。

 いっそ童話とか昔話集みたいなほうが、時間潰しに最適で気もまぎれるのに。

 でも、ユマは私の代わりにいろいろ働いてくれているから忙しいし、年下に頼りっぱなしっていうのも年上としての面目が立たない。


 読みさしの分厚い本をパタンと閉じ、グッと伸びをする。

 うーん、今日もいい天気だなぁ。

 中庭を散歩したらいい気晴らしになるだろうけど、侍女たちと接触する機会はできるだけ減らしたい。


 今まで人身御供のように虐げてきた人間を、突然雲の上の存在として扱わねばならなくなった彼女たちの戸惑いは分かるし、同情もする。私が同じ立場だったらクソくらえって思うし。


 でも、私の前ではあからさまに媚びへつらうのに、影ではいつもと変わらず悪態をついている様を見ると、人間の醜さをまざまざと痛感してしまうし、彼女たちを騙している自分にも嫌気がさして鬱々とした気分になる。

 そうなると、うだうだ部屋の中で一人退屈に打ちのめされているのが一番平和だ。


 早くアリサが帰ってこないかな。

 とっととガツンと一発お説教かまして、はいさよならーってしたいんだけど。

 なんて投げやりなことを考えていると、外から騒がしい声が響いてきた。


 まさか本当にアリサが帰ってきた?

 いやいや、ここと山岳地帯を往復するだけでやっとの日程だ。聖女様ご一行は空飛ぶ乗り物で移動してるけど、あんなでかくて小回りの利かないもので、目的地にピンポイントにたどり着くなんて不可能だ。


 ある程度の距離までは近づけても、最終的には徒歩や馬などに頼るしかないし、四天王には手下がいっぱいいて道中はダンジョン化しているので、ボスとバトルするだけで帰れるわけがない。帰還するには早すぎる。


 首をひねりつつ身構えていると、ドアの前で揉める声が聞こえてきた。


「――だから。今の彼女は先代聖女だと、何度言えば分かるんだ?」

「お前には関係ない! ハティは俺の婚約者だ! いいから会わせろ!」


 ユマと知らない男性が言い争っている。

 婚約者という単語に胸がざわつく。根も葉もない噂に振り回されさえしなければ、今ごろはハティと夫婦になっていたかもしれない男性だ。

 公爵令嬢と結婚できるのだから、彼もまた高位の貴族なんだろう。


 一体どこから聞きつけたのか。

 まあ、あれだけ大々的にお披露目をしたし、おしゃべり好きな侍女たちの井戸端ネットワークがあれば、瞬く間にハティの居場所など知れるか。


 とはいえ、ハティのことを信じず婚約破棄した(勝手な解釈)奴など、本音を言えば相手にせず追い返したいところだが、屋敷内でこんなにも揉められては迷惑だ。

 会うだけあってさっさとおかえりいただこう。


 私は一応ノックで知らせてから、無言でドアを開ける。


「ハリ、下がって――」

「ハティ!」


 ユマが口を挟む間も引き留める間もなく、今なお婚約者を自称する男性は歓喜に顔を輝かせ、私に覆いかぶさるように抱きついてきた。

 う、うえおあああ!? なんですか、一体!?

 突然の出来事に何がなんだか分からず、全身が硬直して頭が真っ白になる。


「ちっ、離れろ!」


 苛立たしげにユマは悪態をつくと、力づくで私と元婚約者男性を引きはがし、私を背に庇って睨みつける。


「聖女に無体を働くなど許されない。即刻帰れ」

「それは困る。僕は今すぐハティを連れて帰らないといけない。どいてくれ」

「彼女にはまだやるべきことがある。しばらくすればハティの中の聖女もおかえりになるから、日を改めて出直してこい」

「時間がないんだ! 一刻も早くハティを渡せ!」


 一時的なショックからしばらくぽかんと彼らの会話を聞き流していた私だが、名も知らぬ元婚約者が、やけにハティに固執していることに嫌悪感を覚えた。

 過去に不貞を疑ったことを謝るわけでもなく、まるで不運に引き離された恋人のように振る舞い、あまつさえこっちの話を聞かず自分勝手に言い散らす。


 むかつくことこの上ない輩だが、彼の行動の裏が気になる。

 この男はハティが聖女の依り代だからすり寄り、復縁を求めてきているわけではなく、ただのハティを手に入れるため手段を選んでない状態だ。

 

 珍しく冷静さを欠いているユマの袖を引き、「くわしく話を聞き出して」と小声で伝える。

 彼も単に追い返しただけでは同じことの繰り返しになると悟ったのか、私をきっちりと背の後ろに収めてから、改めて問いかける。


「すでに婚約者でもない彼女を求める目的は何だ?」

「一方的に破棄したのは公爵の方だ。僕は婚約破棄を望んでいなかった。ハティを愛しているからだ。公爵家を追放されてからも、ずっと探してたんだ。ようやく見つけたと思ったら、聖女を降ろした侍女なんて肩書のせいで他の男たちが群がって来るし、今すぐハティを僕の手元に戻さないといけないだろう?」


 筋が通った話にも聞こえるが、どうも胡散臭いというか芝居臭いというか。

 愛していたなら追放される前になんらかの救済措置が取れただろし、貴族がその気になれば人探しなど造作もないことで、探していたという言葉も信じられない。

 ユマも同様に感じたのか、重ねて問いかける。


「仮にあんたの気持ちが本物だとしても、ハティがあんたに愛想を尽かせていれば迷惑なだけだ。それを確かめてからでも遅くないと思うが」

「それじゃあ遅いんだ! 先代聖女がやることが何かは知らないが、それの邪魔はしないと約束する。だから、今すぐハティを渡してくれ!」


「……さっきから渡せ渡せと、人を物のように扱う言い回しをするな」


 ゾッとするほど低い声がユマから漏れた。

 私の立ち位置からは彼の表情はうかがい知れないが、わずかに肩が震えているのが見える。怒ってるのだろうか。


「色恋がなんたるかも知らない使徒の俺でも分かる。あんたはハティを愛してなどいない。その他大勢と同じ、彼女の名誉や肩書に目がくらんだ愚者だ。逃がした魚の大きさに気づき、他に先んじて必死に確保しようとしているだけ。違うか?」

「ぼ、僕は、違う。他の連中と一緒にするな。僕はハティを――」

「愛しているなら、どうして家を追放される彼女を救ってやらなかった! 噂に惑わされず、彼女の言うことを信じて傍にいてやればよかったんだ! それをしなかったのは、貴族令嬢という肩書のない彼女に価値がなかったからだろう!? あんたは――」


 ぐいっと強く袖を引いて、明らかにいつもの冷静さを欠いているユマの発言を止めた。悔しさを滲ませて唇を引き結ぶ彼に、私はゆっくりと首を振った。


 ユマの言いたいことは分かる。

 憤りもやるせなさも、同じくらい感じている。

 でも、婚約破棄の真相を知らない私たちが口を挟むべき問題ではなく、これ以上はただの一方的ななぶり殺しと同じだ。


 私はまだ物言いたげな顔をするユマをそっと押しのけて、元婚約者の男性の前に出る。


「あなたはどうしてそこまでハティを求めるのですか? 愛だけではない、何か執着じみたものをを感じます。彼の言うように、彼女の持つ名誉や肩書を欲してのことですか?」

「……ひ、否定はしない……でも、それだけじゃなくて……」


 ゆっくりと言葉を紡ごうとした矢先、さっきよりも騒々しい喚き声が廊下に響き渡る。

 侍女たちの悲鳴にも似た制止を振り切り、彼と変わらないくらいの男性が何人も部屋に押しかけてきた。


 口々に騒ぎ立てるので何を言ってるのか聞き取れないが、名も知らぬ元婚約者さんと同様に私を捕えようと手を伸ばしてくるので、ユマが小太刀で脅して(抜き身の刃でだ)、全員を床に座らせてから事情を尋ねると、順にこうのたまわった。


「ローガン公爵から取引を持ち込まれたんだ」

「ハティ嬢を真っ先に家に帰したものに、公爵家が有する貴金属鉱山の所有権利を譲るってな」

「ついでに娘を嫁にやると言われて……」


 おいこら、公爵。ハティを取引材料にしてんじゃねぇよ。

 貴金属が領地に眠ってるなら目的ではなく、大方聖女様の威光を笠に着たいってところだろうが、どんだけ自分の娘を馬鹿にしたら気が済むんだ。


 人の欲には際限がないのか。

 貴族の結婚に利権や政略が絡むのは当然のこととはいえ、あまりにやることが汚く、他人事ながらはらわたが煮えくり返る行いだ。

 でも、もしこれが本当なら、元婚約者さんの性急な行動の理由は察しがつく。


「じゃあ、あんたはこういう輩からハティを守ろうとしたのか?」

「……そんなわけあるか。僕が真っ先にその権利を奪おうと思っていた。本来なら彼女は僕のものだったんだ。他の誰にも渡すわけにはいかないって……」


 うなだれて唇をかむ彼からは、それが嘘なんじゃないかと感じさせた。

 そういう気持ちもあったかもしれないが、それがすべてではなかった。彼がハティに抱く感情が愛なのか執着なのかは私には分からないが、少なくとも目先の欲にくらんだこいつらとは一線を画するのだけは確かだ。

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