第三章――①

 ピッ、ピッ、ピッ……


 規則正しい電子音が遠くで響く。


 どこかで聞いたことがあるような……ああそうだ。名前は知らないけど、病室に置いてある心拍だとか脈拍だとかを表示する機械の、バイタルサインの音だ。

 これまで病院とは無縁の生活だったから、ドラマやドキュメンタリーで観たことがあるという程度で、現物は直接見たことないけど。


 でも、なんでそんな音がしてるんだろう。

 あの世界にデジタル機器があるとは思えないから、これは夢なのかな。


 ぼんやりとした頭で考えながら体を動かそうとしたが、その場に縫い留められてるみたいにピクリとも動かない。

 手足だけじゃなくまぶたの開閉もできなくて、まるで寝たきりみたいな感じだ。

 悪夢にありがちな体の自由が利かないシチュエーションだが……まあ、別に夢ならいいや。そのうち目が覚めるだろう。


 ……てか私、庭で倒れて以降の記憶がまるでないんだけど、大丈夫なの?

 誰か助けてくれてるといいんだけど、私の待遇からして望み薄だ。あのまま放置されてるってことも十分あり得る。

 

 ちょっとやばくない?

 天気がいいとはいえ、夜まで放ったらかしにされてたら、風邪引くどころか下手したら死んじゃうかもしれない。

 早く起きなきゃ――って思うのに、まぶたも体も全然動かない!


 悪夢だと自覚して起きようとしても、なんでか起きれない謎の現象なのか。

 それとも、本当に意識が取り戻せないくらいやばい状態なのか。

 人生詰んだか……と頭を抱えたい気持ちになっていると、電子音以外に複数の声が聞こえてきた。



「……ご家族の方には連絡はついたの?」

「うん。『意識はまだ戻らないけど命に別状はありません』って話したら、『死亡確認が済んでから連絡をくれ』って怒られちゃったわ」

「ええ? 実の娘さんなのに、それはひどいわ。意識さえ戻れば大丈夫だって言ってるのに」


「でしょ。手続きに必要な書類も全部他人に任せっぱなしどころか、心配すらしてないなんて信じられない」

「それに、日帰りでお見舞いに来れる距離にお住まいなのよ。顔くらい見に来たっていいわよね」

「ホントよね……」


 看護師さん同士の会話だろうか。

 くぐもって聞こえるから、ドアを挟んだ廊下で話し込んでいると思われる。


 それにしても、『死亡確認が済んでから』なんて、うちの親が言いかねない台詞だ。夢の中だけでも親らしい愛情を向けてほしかったけど、きっと無意識のうちでも諦めてるんだろうなぁ、私。


 何を隠そう、オタクと言われる人種や趣味嗜好にまったく理解のない両親は、私を家族と認識していない節がある。

 美人で出来のいい、絵にかいたようなリア充の妹がいるからなおさらだ。


 しかも、高校を出て十年以上音信不通だったから、今さら親子の情を訴えるのも不毛だ。私も彼らと再会する時は今際のきわだと決めているし、老後の面倒やら介護やらに関わる気どころかビタ一文払うつもりもない。

 向こうは向こうで、私などアテにしていないだろう。


 そういえば、私は元の世界じゃ死んだはずよね。

 話し声から察するに植物人間扱いされているけど、多分夢の設定だ。それか、私じゃない別の誰かの容態かも。

 そんな不要で詳細なガヤ要らないけど、夢ってどうでもいいところが鮮明に描かれてることあるよね。無意識の理不尽か。


 ともかく、異世界に意識があるんだからひとまず死んだとして……あの人たちは私の死体を見て、何を思っただろう。

 迷惑な死に方だって文句言ってるかな。ちょっとくらい泣いたかな。いや、ひょっとしたら遺体も遺骨も引き取り拒否して、今頃無縁仏と化してたりして。


 ……うーん、ありえそうな想像で怖い。考えないようにしよう。


「あ、そろそろ“例の人”が来る時間じゃない?」

「あー、あのイケメンさんね。なんとも甲斐甲斐しいカレシよねぇ、あの人も」

「やばい。メイク直さないと……」

「もう。気持ちは分かるけど、患者さんのカレシにがっつかないでよ」


 弾んだ声色と足取りを残し、彼女たちは去って行った。

 カレシのお見舞いかぁ……三十路オタク喪女には縁のない話ですな。

 またもやどうでもいいガヤが入ったらしい。どこの誰か知らないが羨ましいことだ。リア充爆発しろ。


 と自分の夢に憤りを覚えている間にも、静寂の中に電子音だけが響く。


 それからどれくらい経ったのか。

 まだ夢から覚めないのかとか、本気でハティの肉体もやばいんじゃないかとか、不安に駆られながら過ごしていると、耳元で名前を呼ばれたような気がした。


*****

 

 その呼び声がきっかけだったのか不明だが、急に体の自由が戻って目を開くと、眼前にユマのドアップがあった。


「んぎょぇあ!?」


 女子としてあるまじき品のないの悲鳴を発し、ワタワタしているうちにベッドの上から転がり落ちそうになる。

 しかし、床にダイブするまえにユマが腕を引っ張って阻止してくれた。


「……大丈夫か?」

「は、はあ、まあ……」


 両手で赤くなった顔を覆いながら、こくこくとうなずく。

 寝起きにイケメン(しかも大大大推しキャラ!)とは実に心臓に悪い。


 というか、いつからいたの? 寝顔見られたってこと?

 いくら美人なハティの顔だっていっても、恥ずかしいものは恥ずかしい!

 よだれ食ってたり変な寝言とか言ってないよね?


 イケメンパニックで思考がとっ散らかる私とは裏腹に、ユマは気遣う様子を見せながらも、どこか差し迫った口調で尋ねてきた。


「体調はどうだ? 熱はすでに引いているが、吐き気や頭痛など感じないか?」

「はい……これといって何も……」

 

 イケメンのドアップでまだ心臓はバックバクだけど、それ以外の異常は多分ありません。多分だけど。


「よかった。なら、そこに置いてある服にすぐに着替えてくれ。急ぎで頼みたいことがある」

「……急ぎ? 仕事、ですか?」


 ようやく頬の熱が引いてきたので、そろそろと顔を上げると、いつもの無表情さのなかに切迫した険しさを滲ませたユマがいた。

 掃除や洗濯を頼むような態度ではない。


「仕事といえば仕事だが、本来はあんたに任せるべき役じゃない。だが、あんたにしかできないことなんだ。急いでくれ」

「か、かしこまりました」


 よく分からないが、ユマにはいつも助けられているし、大大大推しに「あんたにしかできない」と頼まれて断るなんて選択肢、オタクの私にはない。


 それに、なんだか嫌な予感がする。まるでボヤ未遂のあった夜みたいな、形容しがたい感覚が胸に渦巻いている。


 もそもそとベッドを出ると、サイドテーブルの上に畳まれた着替えが置いてあった。

 だが、それはいつも着ている侍女の制服ではない。アリサがいつも着ている聖女の衣装だった。


「ちょっ、着替えるってこれじゃないですよね? 私の制服はどこですか?」

「あんたが着るのはそれで間違いない。時間がない、早くしろ」


 それだけ言い置いて、ユマはさっさと部屋を出て行ってしまった。

 ええー……全然事態が呑み込めないんですが……?


 しばし衣装とにらめっこしていたが、観念して袖を通す。

 見た目こそ和服っぽい合わせや帯があって、一人で着られるか心配だったけど、メイド服と同じでほとんどボタンやフックで留める仕様だったから、和装知識がなくても大丈夫だった。


 それにしても、まるできっちり採寸したようにハティの体にぴったりと合うサイズで、驚いた。着心地は快適なのに、スーツを着た時みたいに気が引き締まる。

 聖女服ってこんな感じなのか。

 てか、モブが着てもいいの? 言われたから着るけどさ。


 この服だといつものお団子頭じゃ変かな。ヒロインはストレートに髪を下ろしてたけど――などと悩んでいると、遠くから悲鳴や破壊音が聞こえてきた。


 慌てて廊下に飛び出すと、ユマが待ってましたとばかりに出迎えて、私に棒状の物体を握らせる。

 見間違うはずもない。聖女の杖だ。


「えっ?」

「街を魔物が襲撃している。自警団だけでは対処できない。あんたの力が必要だ」

「え、ええ? でも、これはアリサ様の……」

「これは予備の杖だ。それに今、この屋敷にはアリサも騎士たちもいない。あんたが寝てる間に魔王側に動きがあり、アリサたちは被害のあった山岳地帯の村へ遠征に行っている。この場で頼りになるのはあんただけだ」


 必死にフリーズしそうな頭を再起動させ、四天王の一人が山中で仲間割れを誘いヒロインを一人する罠を張るイベントを思い出した。


 だが、それは日付の上ではもう少し後の話だった気がする。その四天王との対決の前に、魔物が街を襲撃するっていうイベントがあって――って、今まさにこの状況じゃない!


「ど、どうしてですか? こ、こんなの――」


 ゲームのシナリオと違う、と言いかけて飲み込んだ。

 ここはゲームじゃなくて現実だ。想定外のことが起きたってなんの不思議もない。


「説明は後回しだ。行くぞ」

「でも、私は……!」


 聖女じゃない、と続けようとしたところで、ユマが杖を握る私の手を包み込んだ。

 え、ちょ、なんかフラグ立ちそうなイベントですけど、ヒロインじゃないから大丈夫ですよね!?


「リュイの暴走を止めたのはあんたの力だ。まぐれでも奇跡でもない。その服と杖を身に着ける資格を持つ聖女だ。あんたなら街を救えると、俺は信じている」


 本当に何がなんだか分からないが、こう言い切る彼の信頼を裏切るわけにはいかない。緊張でカラカラの喉に唾を送り込みながら小さくうなずくと、無言で身をひるがえすユマについて街へと向かった。

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