第二章――①

 いろんな意味で衝撃的だった、生ゴミクッキー事件から一週間が流れた。


 あれで一旦彼女の留飲が下がったのか、直接的な嫌がらせは受けていないが、侍女たちの間に『ゲロ女の怪』以外の根も葉もない噂がまことしやかにささやかれているのだけは耳にしている。


 ほとんどが取るに足らない内容だが、一つだけ気になるものがある――『アリサとユマの仲を妬み、彼女を脅したりいじめたりしている』というもの。


 そりゃあ、大大大推しキャラがあんな性悪陰険女と一緒にいるってだけでジェラシー湧くというか煮えたぎってますけど、推しっていうのはあくまでゲームの中の話だし、彼に実際に恋愛感情を抱いているわけじゃないんだから、そんなベタな悪役令嬢みたいなことやりませんって。

 いや、ガチで恋してたって卑劣なことはしませんよ。小市民なんですから。


 まったく。女子ってどうしてこんな噂話が好きなんだろう。

 私もゴシップネタは嫌いじゃないから、あんまり人のことは言えないんだけど。


 とまあ、今のところは聞こえないふりをしてスルーしてるけど、またあの過激な聖女信奉者たちが絡んでくると厄介だ。

 下手にやり返せば噂に真実味が増すどころか、尾ヒレ腹ビレ背ビレ胸ビレがビラビラついた噂でやり込められるだけ。


 ストレスたまるけど、ここは黙って耐える他ない。


「ねぇ。あの子、いつまでいる気かしら」

「昨日はアリサ様のお召し物を汚したって聞いたわ」

「私はお食事に虫を入れたって聞いたけど」

「どっちにしたって侍女失格じゃない」

「まあ、なんてひどいことをするのかしら。さっさと辞めればいいのに」


 厨房で洗い物をしていると、戸棚の陰でペチャクチャおしゃべりしている侍女たちの声が嫌でも耳に入ってきた。

 が、身に覚えのないことを好き放題言われても無視し続け、無駄口叩くあんたたちも侍女失格じゃねぇか、と心の中で毒づきながら黙々と作業をしていると、


「……他人を見下しても自分の格は上がらない。むしろ、見下せば見下すほど己の格は下がるものだ」

「どうわっ」


 いつの間にかユマが真後ろにいて、格言めいた台詞をつぶやきながら茶器の準備をしていた。


 彼にお茶を淹れる趣味があるのは知ってるから驚かないけど、足音がないのって心臓に悪いんでやめてほしい。

 洗いたての皿を取り落とすところだったし、変な声出たし。


 たむろしていた侍女たちは女神の使徒である彼の顔を見るなり、そそくさと逃げ去った。咎められるのが怖いなら言わなきゃいいのに。

 悪役としては三下以下、取るに足らない雑魚さんたちだ。


 そして、厨房には私とユマだけが取り残される……なんとも気まずい(私基準)沈黙が落ちた。


 うう、どうしよう。ここは素直に鬱陶しいコバエ(おっと失礼)を追い払ってくれたお礼を言うべき?

 でも、ユマは私を助けたんじゃなく、陰口を叩く侍女たちを嗜めただけかもしれないし、自意識過剰って思われても困る。私は脳内お花畑女じゃないのでね。


 洗い終えた皿を拭きながら考えあぐねいていると、小さく笑う声が聞こえた。


「あんた、口先は強情だが、顔は意外と素直だな」

「そ、それはどういう……」


 振り返って反論すると、ユマは黙って傍に置いてあるヤカンを指さした。

 鏡面のようにピカピカに磨かれた胴体部分に、私の思案顔が映っていたらしい。


 単純なトリックだけど恥ずかしいったらない。

 ちなみに磨いたのは私(というか半ばハティによるオート機能)である。

 ちゃんと仕事しただけなのに墓穴を掘っただと……?


 愕然としつつも、今度は表情を取り繕って嫌味を返してやることにする。


「他人の顔を盗み見するとは、女神の使徒様はいいご趣味をお持ちのようで」

「使徒も人間だからな。時にはいたずら心も湧く」


 ピカピカのヤカンで茶葉の入ったポットに湯を注ぎ、わずかに口元を緩めるユマ。


 うう、無表情キャラがこうして笑うと破壊力抜群なんだよなぁ。

 一人ならバンバン作業台を叩いて悶えたいところだけど、そんなことしたら通報レベルの不審者だ。また茶化されたらたまったものではないし、不用意に表情に出すわけにはいかない。

 ここはじっと我慢だ。無我の境地だ。

 今私が戦っているのは皿だ。この皿を無心に拭くのだ。


「あんたは……本当にこのままでいいのか?」


 そうしてしばし無言が続いたのち、砂時計を傾けたユマがぽつりと問いかける。

 私は振り返ることなく、皿を拭く手を止めず、淡々と答えた。


「ユマ様はどちらの味方ですか? 天秤が釣り合うよう錘を載せるだけで、全てが解決するとは思わないでください」


 ユマが驚いたようにこちらを振り返るが、私は無視して仕事を続けた。


 さっきよりも重い沈黙が厨房を支配する。


 ユマが仕える女神は、世界全体の聖と魔のバランスを整える役割を担っている。同時に使徒たるユマも、その生き方を強要されてしまう。

 魔王やその手下たちを滅ぼさずに封じるだけに留めるのは、あくまで聖の力だけが正しいと主張しないためであり、聖女という代理人を立てるのも、人間が善悪に翻弄され葛藤すること自体が聖魔の均衡を保つことに繋がる――というのが『聖魔の天秤』のタイトルの由来だと、作中では説明されていた。


 それは確かに素晴らしいことだ。仏教でも中道という教えが重視されるように、世界中の人が善悪に偏らずフラットな意識になれば、みんなが平等に幸せになれるかもしれない。


 でも……人は自分だけの味方を、自分にとっての唯一無二の存在を望んでしまう。

 それが引き金になって均衡は崩れ、争いが起きてしまう。


 はぁ……結局私はヒロイン視点が抜け切れてないんだろうな。

 ユマはどんな時も公明正大だけど、やっぱりヒロインにはちょっと甘かったもの。そういう特別感がツボだっただけで、いざ第三者の立場になればどっちつかずの日和った言動にしか思えない。


 まあ、だからといって推しはやめないけどね。

 ゲームと現実は別腹だし、彼の考え方自体は好きだもの。


 皿を拭き終えて全て食器棚に戻すと、何を考えているのか分からない無表情のまま突っ立っているユマに一礼をして、厨房をあとにした。


「あら、あなた。お久しぶりね」


 ユマのことを一旦脳内から追い出し、次の仕事をどう処すか考えながら廊下を歩いていると、前方から来たアリサに声をかけられた。

 反射的に生ゴミクッキーの味がよみがえって、口と腹の中に得も言われぬ不快感が渦巻くが、それを理性で押さえて侍女らしい態度で対応する。


「お久しぶりでございます、アリサ様。して、私に何かご用でしょうか?」

「ユマがどこにいるか知らない? 魔法を教えてもらおうと思ったんだけど、部屋にいなくて」


 何故それを私に聞くのか。他に仲のいい侍女など腐るほどいるだろうに。

 また何か仕掛けてくるのではと構えつつも、嘘をついても利はないので素直に居場所を教える。


「ユマ様でしたら、先ほど厨房でお茶を淹れているところをお見かけしましたが」

「あらそう。ありがとう」


 アリサはそう言って、頭を下げて見送る私の傍を通り過ぎ――


「ユマを誑かさないで。彼は使徒なんだから」


 羽扇の影からつぶやきと鋭い眼光を残し、豊満すぎる肉体を揺らしながらドスドスと足音を立てて、厨房の方へと去って行った。


 な、なんだろう。これって牽制? もしかしてあの噂が原因?

 誑かす気など毛頭ないんだけど、人気ひとけのないところで会話してることが多いから、誤解されてもおかしくはないか。


 これ以上変な方向に噂が広まらないよう気をつけないと。

 推しに迷惑をかけないのが正しいファンのあり方である。


 アリサに同意するのは癪だけど、誤解されるとユマが困るのは確かだし、私がユマに恋愛感情を持ってるなんて周囲に思われても嫌だし。特別視はしてるけど、推しっていう枠だから。


 といっても、話しかけられて無視するのはよくないし、ひとまず遭遇しないように注意するくらいしかできないけどね。

 ……あの忍者のような気配のなさを回避できるかという問題は、今は考えないことにする。


 ふう。なんかたった十分かそこらでどっと疲れた。

 アリサが完全に遠ざかったのを確認し、深々とため息をついた。


 が、死角にいた侍女長にそれを見とがめられてお説教を食らい、罰としてトイレ掃除をさせられた。

 たびたび汚い話で申し訳ないが、皆さんが想像する便器のお掃除ではなく、ボットンに溜まった汚物をバケツで汲んで、肥溜めに入れる仕事である。


 アリサが絡むと納得がいかないオチが多すぎる!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る