第一章――①

 次に意識が浮上した時に見えたものは、『聖魔の天秤』のキャラが集う楽しいお茶会の風景だった。


 キャラも服装も王道王子様の公爵家三男坊、ルカ。

 ダボダボな中華風衣装のショタ系キャラ、リュイ。

 和のテイストが盛り込まれた軍服姿の体育会系独眼竜、ロイ。

 ビジュアル系にアレンジした和服をまとうナンパな色男、キーリ。


 メインキャラたちが拠点であるお屋敷の食堂に集い、ヒロインと思しき黒髪の少女を中心に和やかに談笑している。


 ああこれ、オープニングムービーで何度も見たことがある光景だ。

 プレイできない無念が見せる、今際のきわの幻覚だろうか。

 私自身がヒロインポジションでないあたり、無意識でも分をわきまえているなぁ。それにしても、どうして一番の心残りのユマがいないんだろう。


 まさかユマ目線? そんなわけないか。

 ムービーでもいなかったし、記憶を忠実に再現しているだけだろう。


 なんて思いながら彼らの姿を遠巻きに眺めていると、不意にヒロインちゃんが私に手招きをした。

 何故か胸中に嫌な予感が広がったが、あまり深く考えず誘われるまま彼女の元に向かい――何かにつまずいて転んで派手に床へ顔面からダイブした。


「ひぶっ!」

「あら、大丈夫?」


 気遣うような声に顔を上げると、そこにはお相撲さんのような体形の女の子がいた。

 丈夫そうな椅子をギイギイ言わせながら腰かけ、羽扇で口元を隠しながら私を見下ろしている。

 頬っぺたもお腹もパンパンに膨らみ、糸目とタラコ唇の乗った荒れたニキビ顔に、ゴテゴテと厚化粧をしている。むせ返るような香水の香りと体臭が合わさって得も言われぬ異臭を放ち、近寄りがたさを倍増させていた。


 彼女が着ているのは、フリルとリボンでアレンジした巫女装束風のノースリーブワンピと、振袖を模したボリュームのあるアームカバー。

 ヒロインが着てる標準衣装だ。


 残念ながらこの体形では、お世辞にも似合っているとは言えない。

 ゲーム中のヒロインは、プレイヤーが感情移入しやすいようにか顔が映らない無個性タイプだったけど、二次元キャラらしく細身だったから、その落差が笑えるを通り越して可哀想に感じてしまう。

 まあ、三十路の私が着ても似合わないので、偉そうなことは言えないが……それより気になるのは彼女の表情だった。


 嗜虐的で下等生物でも見るような蔑んだまなざし。

 羽扇の影に隠れた三日月形に吊り上がった口角。

 それにドリルのように威圧的な縦ロールも合わされば、おおよそヒロインらしからぬ容貌で、むしろガチの悪役令嬢といった方がしっくりくる出で立ちである。


 ……一体どういうこと?

 状況を飲み込めずポカンとした顔で考え込む私に、上から違う声がかかる。


「おい、貴様。下賤の分際で何をぼさっとしている。姫が直々にお声がけくださっているのだ、返事くらいしたらどうだ?」


 この中でこうも尊大な言い回しをするのはルカだ。攻略対象に序列はないが、王子様系ということでメインヒーロー的な扱いを受けている。

 言い方は偉そうでも思いやりのあるキャラのはずだし、そもそも私が生み出した幻覚なんだから、もっと私に優しくあるべきじゃないの?


「いいのよ、ルカ。私はこんな醜く肥え太った最悪の見た目だもの。みんなは私のことを聖女だなんだってもてはやしてくれるけど、どうせ心の中では気持ち悪いデブスって思われてることくらい、知ってるもの……ううっ」


 心の中で文句を垂れていると、ヒロインちゃんはさも悲劇のヒロインぶって、気丈に振る舞う素振りをしながら羽扇で顔を覆い、嘘泣きして見せる。

 私の角度からは口元が笑ってるのが見えてるので嘘がバレバレなのだが、周りの騎士たちはまんまと騙されているようで、


「泣かないでよ、アリサ! ボクたちはキミのキレイな心を知ってるから、いつかきっとみんな分かってくれるよ!」

「そうだ。外見で判断するような奴に屈してはいけない。こういう時こそうつむかず、前を向いていなければ」

「アリサの美しさは目には見えないものだからね。下々の者には理解しがたいのさ。気にすることはない」

「みんな……ありがとう……」


 リュイもロイもキーリも、口々にアリサなるヒロインちゃんの傍に駆け寄って慰めている。ハーレムか、畜生。リア充爆発しろ。

 てか、彼らは慰めてはいる風ではあるが、デブスを肯定した上の慰めなのでなんだか微妙なんだけども。


 私だったらちっとも癒されないどころか、こいつらにマジギレしてフルボッコにしているところだわ。

 なのにアリサはそれを喜んでい受け入れて、健気に微笑んでいる。

 演技力は大層なものだが、お粗末な芝居だ。


 それにしても、私は未だにすっ転んだままの状態だというのに誰も助けようとしない、というかもう気にしてもいない。

 すごくシュールな図だ。


 あまりの扱いのぞんざいさに、怒りを通り越して呆気に取られていると、


「興が醒めたね。アリサ、気分転換に少し外を歩かないかい? 庭の花がちょうど見頃なんだ」

「キーリ、抜け駆けは許さんぞ」

「そうだよ。みんなで行こうよ」

「ふふ、そうね。それじゃあみんなでお出けしましょう」


 悲嘆に暮れていた空気はどこへやら。和気あいあいとした会話を繰り広げながら、彼らは私をまるっと無視して食堂を出て行ってしまった。


「い、一体これはなんなの……?」


 しんとした食堂に私のつぶやきが響くが、もちろん答えは返ってこない。


 混乱する頭を抱えつつ立ち上がり、ぐるりと室内を見回す。

 テーブルにはほとんど手つかずのお菓子と、まだうっすらと湯気が立つお茶が各人のカップに残され、お茶会は始まったばかりだったと推測された。


 庭の散策だから、しばらくしたら戻ってくるだろうか――と考えつつ、甘い匂いに誘われて焼き菓子を一つ摘み上げる。


 何だかイライラするし、こういうときは甘いもので精神安定を図るべし。一つくらい食べたってバレやしない――なんて己の悪魔の命ずるままに口に運ぼうとしたところで、バンッとドアが開いた。


 すわ、奴らが戻って来たのかと思いきや、入って来たのは和風メイドな服を着た妙齢の女性。あれは『聖魔の天秤』に出てくる侍女の服装だ。

 彼女は憤怒の表情で私の元ツカツカと歩み寄り、深く息を吸い込んで怒号を発した。


「もう、またアンタなの! 聖女様に無礼を働いた上につまみ食いだなんて、本当に侍女の風上にも置けない女ね! 家出同然のアンタを拾ってやった恩を忘れたの!?」


 うおおお! キンキンとした金切り声が耳に痛い!


 ええ? 次から次へとわけわかんない話を振られても困るんですが。

 そりゃあ、つまみ食いに関しては言い訳しませんけど、アリサって子に関しては完璧冤罪ですよ。自作自演で悲劇のヒロインぶってただけですよ。


 そう言ってやりたいけど、突然の叱責でうまく頭の中で言葉がまとまらない。


「何よ、その反抗的な顔! これだから元お嬢様は嫌なのよ! なんでもやってもらって当然みたいな顔しちゃって、憎たらしいったらありゃしない!」


 いやー……私はお嬢様と呼ばれるような身分ではないのですが……?

 モロ平民ですよ? ヒエラルキー底辺ですよ?

 そもそもこの貧相な外見でお嬢様とか、片腹痛いというか腹筋崩壊じゃね?


 そう思いながらもこれ以上心の中ですら突っ込む気力を失い、黙ってうなだれる私。

 こういう時は嵐が過ぎ去るのを待つしかないのを経験則で知っている。ヒステリーなお局様をやり過ごす方法と同じだ。


「いいこと、侍女というものは主様に誠心誠意お仕えする心が大事で――」


 くどくど。ガミガミ。くどくど。ガミガミ。


 軽く一時間くらい似たようなことを繰り返し叫んだのち、「これを片付けておきなさい」と言い置いて、侍女さんはプリプリ怒ったまま部屋を出て行った。

 派遣先でいろんなお局様を見てきたけど、ここまで延々説教を垂れるタイプはいなかったわ。恵まれてたんだなぁ、私。


 ……って、そんなことより片付けろって言われてもなぁ。どこで何をしていいかさっぱり分からん。

 うんうんその場で悩んでいると、不意に手足が動き出した。


 部屋の隅にあったカートにテーブルの上の物を次々と乗せ、それを押して迷うことなく廊下をすたすた歩き、広い厨房のような場所までやって来た。

 残せるものは保存用の木箱に詰め、食べ残しをゴミ箱に捨て、食器を洗い、それを終えると掃除道具を持って食堂へ戻り、部屋を隅々まできれいに清めた。

 プロの家政婦さん並みの手際だったが、全部私の意思とは関係ない動きである。


 どんどん謎が深まっていくのだが、それを追求する間もなくさっきの侍女さんがチェックしに戻って来た。

 底意地の悪い姑のような表情で仕事の出来を舐め回すように見て回り、一応納得したのかお小言は出なかった。

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