ケープエリザベスの法人

城島まひる

本文:偶像礼拝

アメリカ合衆国メイン州南部海岸のカンバーランド郡に属する我が愛しき故郷、ケープエリザベス。神秘を孕んだ聖母の胎にして、私の生まれた地に他ならない。しかし最近このニューイングランドの地に潜む魔術的驚異の数々を知ってか知らずか、よそ者の異邦人どもが死体に湧き群がる蛆の如く観光のため、都市開発のためと言い触らしながら我がもの顔で闊歩している。物心ついたときから教会に毎日通っていた私、ダニエル・ステュアートは生粋のキリスト信徒にして神の熱心な信奉者だ。いずれ必要なら過去に倣い、異教徒の血を流すことになるだろう。この聖母の胎たるケープエリザベスを、ニューイングランドを異教の血で汚さなくてならない。

March 20th, 1629.

cited from - Daniel Diary


ポートランドヘッド灯台。ケープエリザベスにおいて、最も美しい場所だと私が認めている。

いくら男が女を暴力でねじ伏せ従わせようが、女の涙一つには勝てやしない。どんな人にも必ず良心がある。いくら女が男であるアダムの肋骨より造られた故に、男より劣っていると聖書が語ろうと、それだけは信じてはならない。

ケープエリザベスに打ち寄せ、砕け散る波はまさに聖母の涙だ。このニューイングランドに未だ潜む多くの神秘が暴かれていないが故に、人の子が理解できていないが故に、その事実に嘆き悲しんでおられる。

でなくてはどうしてこうも波の音は、私の身を海へ投げ出さんと誘ってくるのか。

しかしそんな郷愁じみた憂いとはおさらばしよう。

私は左手で分厚い聖書の表紙の感触を確認する。黒い表紙に金文字で書かれた旧約聖書という文字は、今の私にとって憂いを孕んだ呪詛にすぎない。

聖書を右手に持ち替え海へ投げた。打ち寄せた波が、落ちていく聖書を飲み込み沖へ戻っていく。するとこれじゃないと言わんばかりに再度波が打ち寄せた。強く、まるで私を巨人の手で以って、海の中へ引きずり込まんと言わんばかりに。

だが私はそれを嘲笑うかの様に、コートの右ポケットからラム酒の入った瓶を取り出すと


「サラスヴァティーに乾杯!!」


祝福の言葉は高らかに、酒を飲みほした。そしてコートのポケットからパイプを取り出すと、煙草に火を付ける。

フーッと一服つくことには、打ち寄せる波の音はただの水音で、神秘の地ニューイングランドは都市開発に乗り遅れた、哀れな田舎にしか見えなくなっていた。

捨て子だった私はケープエリザベスにある教会のシスターたちによって育てられた。感謝している。成人してもなお彼女らは私を大事にしてくれたし、若いシスターは夜の相手だってしてくれた(若い男女にとって禁欲など阿保らしい)。

何か不満があったわけじゃない。ただ群れるの事に憂いを感じてきたんだ。”群衆の中にあっても孤独を守る人こそ、至高の人である”とエマーソンも言ってるではないか。

だから私は教会を離れ、小説家になる道を選んだ。ウォルター・バグノールが交易基地を設立した際に、私は教会から貰い受けた金の半額を払い執筆した小説、計30部を代わりに売ってきて欲しいと頼み込んだ。

しかし彼は若輩者を見る、嘲笑を含んだその目で私の願いを断った。だがその後、彼の部下が船旅は暇だからと1部購入してくれたのだ。

この時の高揚感を私は今も忘れる事が出来ない。

同情にしろ、好奇心にしろ、私の書いた作品が他者の目に映る、私の見る世界が共有される。

この異様で表現しがたい感情の渦は、私が創作活動を行う上で重要な基礎を担っている。

幸いか私の作品がその部下には大受けし、ついにウォルター・バグノールも興味を持ち出し、売上金を分け合うという盟約のもと私の小説は全世界に発信されることになった。

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