出会いまで悔やむのは間違っている

「おい、いつまでそうしているつもりだ」


 俺の頭上からエリアスの声がする。


 顔を見なくても分かる。きっと腰に手を当て、眉間に皺を寄せているのだろう。


「……はぁ」


 呆れたような大きな溜息が聞こえる。


「…………」


 気が付いたら俺はエリアスの部屋に来ていた。


 正確には、エリアスの部屋の隅に。


 ドアを開け放ち、ノックも無しに入ってきた俺を怒る彼女の声を無視して、何故戻ってきたと訊く声も無視して、無言のまま部屋の隅に座り込んだ。


 そうやって、膝を抱えたまま座り込んで数十分が経つ。


「キミが追いかけて行った女性……彼女が、キミの恋人だったのではないのか?」


「…………」


 恋人……? 


 考えてみれば、俺とミルの関係って何だ?


 もう過去形か。何だった?


 恋人? 婚約者? ただの家主の娘と居候?


 ……あれ? そういえば、俺は一度も彼女から「好き」とか「愛してる」とか、ハッキリ好意を伝える言葉を掛けられたことはないぞ。


 ただただこの能力を使って、言って欲しい言葉を投げ掛けて、うっとりする彼女を眺めていただけではないか?


「……あ」


「何だ、どうした」


「俺も……一度も彼女に好きだとか、結婚しようとか、好意を伝える言葉や、関係を確立させる言葉を言ってなかった……」


「……それはいかんな。女はハッキリ伝えられることを好むからな」


 エリアスなりに気を遣っているのだろう。俺の独り言に逐一返事をしてくれる。


 だが俺はそれどころではなかった。


「……あれ?」


「何だ。どうした?」


「そもそも俺、彼女のこと……好きだったのか?」


「何を言ってるんだ。好きだからキミはその人の為に出稼ぎに来たのだろう?」


「……分からん」


「おいおい」


「俺の言葉に真っ赤になったり、うっとりする彼女を……楽しんでいただけかもしれん」


 俺はこの能力の実験体として彼女を利用していただけかもしれない。それはミルではなく、能力で遊んでいたと言ってしまって差し支えないのかもしれない。


「滅多なことを言うものじゃない。まぁ、そう思いたくなるのも無理もないが」


 どうやら俺がフラれたのを察したらしい。


「彼女は……右も左も分からない俺を村に連れてきてくれて、受け入れてくれた。だから俺は彼女に恩を返しながらあの村で暮らしていこうと……思ったんだ」


「うむ」


 気が付いたら俺は語り出していた。エリアスは静かに続きを促してくれる。


「そんなある日……彼女がゴブリンに攫われて……俺は急いでゴブリンの巣に向かって……ミルを助け出したんだ」


「危険な真似をする……」


「彼女を助け出して……村に帰ったら、別動隊のゴブリンに、村が襲われていた……村人は避難していたし、ゴブリンはソルやジャーが倒してくれていた……でも、ミルの牛……モルは死んだ」


「……すまない」


「だから、俺は……モルを……ミルの家族を守れなかった償いと、これから彼女達が生きていくには、新しい牛が必要だから……ここにきたんだ。何より……生き死にの境にある怪我人がいると聞いて……それを見捨てることは出来なかった。それをミルに伝えることは出来なかったが……きっと、分かってくれるって……」


「キミの考えを説明する時間も無かったのだな……私のせいだ」


「なぁ……俺はどうすれば良かったんだ?」


 そこで俺は初めて顔を上げ、エリアスの顔を見た。


「俺は一人しかいない。牛とミルだったらミルを救うことは間違っていないだろう!? 家族を失った悲しみに襲われてはいたが、ミルの命は助けることが出来た! そこで次は尽きそうな命が、俺なら救えるかもしれない命があるって言われて、それを救いに行って何が悪い!」


 本当に好きだったか分からないとか言っておきながら、俺は自身の頬を伝う何かに気づいていた。


 どうしても答えが出なかった。俺は最善を選んだつもりだった。それは間違いだったのか?


 歪んだ視界に映るぼやけたエリアスが近づいてくる。


「私も、ちゃんと礼を口にしていなかったな……ありがとう。助けてくれて」


 耳元で聞こえる声と、彼女の匂いから、俺は彼女に抱き締められているのだと分かった。


「エリアス」


「私が思うに、その娘はただキミにそばにいて欲しかったんじゃないか? 生活費だとか、牛だとかより、まず家族を失った悲しみに一緒に浸かって欲しかったのだと思うが」


 そういえば、俺はいつだか彼女に言ったことがあった。「ミルのそばにいたい」と。


 俺の脳裏にミルの言葉が蘇る。


 ──最初は泣き続けていましたけど、テウマがずっとそばに居てくれましたから──


「でも……俺が隣にいたところで、悲しみが消えるワケでも、モルが生き返るワケでもない」


「それでも……彼女は安心しただろうよ。隣を見れば悲しみを分け合う者がいるのだから」


「そう……か」


 まず、悲しんで。


 少しずつ、少しずつ。


 一緒に立ち直って。


 それからだったんだ。コレからのことは。


 そのあとだったんだ。解決に向かうのは。


 俺は早足過ぎたんだ。彼女とは歩くペースが違ったんだ。


「だがキミがその娘と一緒に悲しめなかったのは、私の責任だ。私を治す為に馬車に押し込まれたのだろう? そのことがなければ、キミはその村を離れることもなかった」


 俺の首に回された腕に力が込められる。


「ならば私にはキミを慰める責任がある。こんな男のような女……嫌だったら振り払ってくれて構わない」


 この距離だから分かる。彼女の心臓がとんでもない速さでバクバクいっているのが。


「タイト……キミのおかげで助かった人間がここにいる。キミは間違ってなどいない」


「いいんだ……いいんだよ、エリアス」


「良くない。キミは私がいくら美しくも可愛らしくもないと言っても、そう思う男がここにいることは覚えておけ、とそう言ったろう」


「あぁ……」


「ならば私もこう言おう。キミがどんなに悔もうが、自分を責めようが、キミのおかげで命が救われ、感謝している女がここにいることは、忘れないでくれ……ありがとう」


 俺は、この世界にきて初めて俺の為に無理をしてくれる人の、その優しさに、涙が出た。


 彼女の背中に手を回し、その胸で声を上げて泣かせて貰った。

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