アラヤ平原

王子が外に出ると、出迎えたのは暗い夜空だった。


星一つさえ見えず、しかし雲はない。ただ巨大な月が地上を照らしていた。


「………………」


王子の頭に回るのは、先程の魔女が言ったこと。


『アノローンは滅んでいる』


「…馬鹿馬鹿しい」


そんなことあるはずがないだろう。あの塔で目覚めるまで、私は確かにアノローンにいたのだ。


きっとあの魔女は嘘をついているのだ。いや、そもそも魔女かも怪しい。国を助ける存在が、国は滅びたなどという虚言を言うはずがない。


魔法が達者なだけの、王子を攫った大罪人。それがあの女なのだ。


王子は内に憎悪を秘めながら歩を進めた。魔女の嘘を鼻で笑ってやるために。






「これが……アラヤ平原だと…?」


転がっている動物の骨。だいぶ時が経っているらしく、ヒビも入りボロボロの状態だ。


僅かに骨に付いている僅かな腐肉。それを奪い合い、肋骨などが剥き出しになっている醜悪な獣が殺しあっていた。


目がこぼれているもの、脚が足りないもの、見るに堪えない獣らは異様に発達した爪で、牙で互いを裂く。


酷い惨状に口を抑える。たとえ戦場でもこれほどの惨いことにはならないだろう。


気を取られていた。殺し合いに注視していたために、王子は背後から近づく獣に気付けなかった。


凶爪が王子の背を裂く。ようやく背後の獣に気づいた王子、ロングソードを抜き放ち振り向きざまに一閃。獣の首を断った。


王子は幼い頃から鍛錬をしていた。いや、父である人王に厳しく扱かれていたというのが正解か。


元は武人であった人王は、息子が軟弱に育つことを嫌った。身体も心も鍛えるために無理難題を押し付けもした。


そのために、王子は痛みに怯まず剣を振った。人王との立ち会いの際に受けた傷と比べればまだぬるい。


しかし、一連の交差で獣たちが王子に気づいた。殺し合いをやめ、獲物へと次々に飛びかかっていく。


まだ生きている新鮮な獲物。その肉は腐肉よりもよほど美味だろう。


王子はすぐさま背を向けて逃げ出した。一体の獣ならば容易に勝てても、複数体となると話は別。為す術なく四方八方から襲われ食われてしまうだろう。故に逃げる。


しかし獣と人では走力に差がある。追いついた獣が飛びかかり、王子が斬り払う。それを繰り返し……いつしか獣はみな地に伏せた。


「…上手くいったな」


王子は獣から逃げ切るという策を初めから考えてはいなかった。獣の目には光がなく、尋常ではない様子だった。肉を食うためならば言葉通り死ぬまで追ってくるだろう。


身を守るためには殺すしかない。しかし獣たちを一度に相手するなど愚行に過ぎる。なればこそ、逃げつつ各個撃破することを選んだ。


いかに獣とはいえ、一斉に飛びかかれば互いの身体がぶつかり狩りにならない。故に先頭から一匹ずつ襲いかかるだろうと予想した。


その読みは当たり、跳ねた獣を順番に斬ることができたのだ。


「……せめて安らかに眠れ」


飢えた獣、その姿は怪物のものだった。しかし、見境が無くなるほどに苦しんでいたのは明らかだった。


死後の世界では満腹になれるようにと、王子は獣の亡骸に手を合わせるのだった。



平原には獣の他にも怪物たちがいた。翼を失くし地を駆ける怪鳥、首が三つに別れた蜥蜴など。その全てが王子に牙を向けた。


親の仇とでも言うかのような敵意、執拗に追いかけ続ける執念、どれをとってもかつての平和だったアラヤ平原とは似ても似つかない。


しかし、流れる小川や複数の丘は確かに記憶にあるアラヤ平原と同じもの。これはいったいどういうことなのか。


『アノローンだけではない。遠い昔に、国々はすでに滅び狂人と怪物の巣窟となっている。今やまともな人などそう居ないぞ』


脳裏に魔女の言葉がチラつく。必死に頭を振って何度もありえないと言葉にする。しかし、生じた胸騒ぎは少しもおさまりはしなかった。


やがて見覚えのある外壁が見える。人の国アノローンの外壁。王子は願いながら、祈りながら門へと向かっていった。


全て夜の悪い夢なのだと信じて。

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