Shoot!─3.05mの先へ─

玲莱(れら)

第一部 高校時代のこと

第1章

第1話 秘密の感情

 彼女を初めて見かけたのは、高校二年生の始業式の朝だった。初めて、と言うと嘘になるが、当時の俺にはそれが正しかった。彼女は友人たちに囲まれて、楽しそうに笑っていた。人気者らしく、他のクラスからも何人も挨拶をしに来ていた。

 もちろん俺も、彼女を知らなかったわけではない。

 趣味のギターを生かして路上ライブをしていたことも、おかげで学校はもちろん学校外でも有名になっていることも、噂には聞いていた。しかし、どういうわけか俺と彼女には、それまで全く話す機会がなかったのだ。

 俺もそれなりに人気者なのに、だ。

 毎年クラス替えの季節になると、俺と接触したそうにしている女子が必ずクラスにいた。他のクラスでも、俺を見つけて立ち止まる女子もいた。告白されたこともあるが、それは別の話になるのでいまは置いておく。バスケ部で、学校外のチームに入っているのもあって、他の奴らよりは注目されていたはずだ。それでも神様は、俺には彼女と接する機会を与えてくれなかったのだ。

 それまで俺が持っていた彼女の個人情報は非常に少なかった。あだ名は『ワカナ』、それだけだった。友人との会話で彼女が話題にならなかったわけではない。誰も本名を言わなかったのだ。しかもそのあだ名も、最近は使われなくなっているらしい。彼女の名前は何? など、俺が聞いたら面倒くさいことになりそうな気がして、知っているフリをしていた。

 クラスで一番注目を浴びている彼女がワカナだろうと思ったし、実際ギターの話をしているのも少し聞こえた。今年こそは接する機会があるだろうかと期待した頃、チャイムが鳴って生徒達は自分の席に戻った。友人たちと話していた俺も席に戻った──そして、目の前の席に座っているワカナにびっくりしたわけだ。

 担任から始業式会場への移動指示が出た瞬間、俺は教室を飛び出した。嬉しさと、謎の緊張で。こういうとき、後ろのドアのすぐ横の席でラッキーだったと思う。

 人気者の俺が、クラスで初日から恥はかきたくない。

 廊下で他のクラスの奴らに混ざりながら、同じクラスの友人を待ちながら、何とか平静を装った。


 俺が彼女の本名を知ったのは、始業式のあとのホームルームの時間だった。

 クラスメイト一覧の紙が配られて、俺はすぐに彼女の名前を見た。若咲わかさ叶依かなえ、わかかな、言いにくいから略してワカナか、なるほど。

 少し小柄で、長い髪はポニーテールにしていた。髪の色が明るいように見えたが、光のせいだろうか、それとも地毛なのだろうか。染髪は校則で禁止されているので、まさか染めてはいないだろう。と思ったが、生え際をよく見ると、ちゃんと黒だった、ということは、彼女は校則違反をしていることになる。学校に無断でやっているのか、許可をもらっているのか──しかしそれは、俺にはどうでもいい問題だった。

 紙を配る時に彼女が振り向いたほんの一瞬だけ、顔を見ることができた。その後、出席番号順に自己紹介が始まって、彼女はときどきそのほうを向いていた。俺は自己紹介をしているクラスメイトよりも、彼女の顔を見ようと頑張った。クラスメイトのほとんどは、知っている顔だ。

 それは彼女も同じだったようで、やがて自己紹介している生徒を見るのをやめて、何か考えているように見えた。教室を見渡しながら、頭を抱えながら、どうしよう、とでも聞こえそうな姿勢を散々とって、自分の席に座ったまま回れ右をした。しかし、それはほんの一瞬だけの出来事で、彼女はすぐに前を向いてしまった。何があったのかはわからないが、両手で口を塞いで妙に慌てていた。

 ──もしかして彼女は、俺を見てドッキリしたのだろうか。

 俺を見た瞬間に慌てる女子を、今まで何人も見た。そういえば始業式が始まる前、友人たちと話している時に妙に俺を見ている女子がいたな、と思い出した。若咲叶依の席とは違うところに座っていたが、その前の席にいるのは彼女の友人だった。壁際で教室のほうを向いて座り、メンバーを眺め、記憶にない俺の姿を見つけていたのだろうか。

 自己紹介がどこまで進んでいるのか確認してから、俺は少しだけ身体を前にして若咲叶依に近付き、話しかけた。

「若咲さん……? 何してんの?」

 俺が話しかけたことに、彼女はまた驚いていた。

「えっ、別に……。気にせんといて」

 振り返らずにそう言って、深呼吸して自分を落ち着かせようとしていた。

 ──やはり彼女は、俺の顔は見たくないらしい。

 このとき俺は既に、彼女に一目惚れをしてしまっていた。それまでに好きになった人がいなかったわけではないが、彼女は別だった。今まで同じ学校にいて全く接点がなかったのに突然近付けた、しかも全ての男子が好きになりそうな可愛さだった。まだ誰にも知られたくない、俺だけの秘密の感情だった。

 しかしそれを、俺が自分で公言してしまうことになるとは──。

 自己紹介の順番は彼女に回ってきていたが、彼女は気付かずに下を向いていた。

「なぁ。回ってきたで。自己紹介」

 再び声をかけると、彼女は立ち上がり、深呼吸をしてから口を開いた。

「若咲叶依です。趣味はギターで、ときどきステージとかで歌ってます。で……一応、コーラス部の部長です。ちなみに副部長も、このクラスにいますが……。正月生まれ、O型でノーテンキです。叶依って呼んでくださーい」

 前はワカナと呼ばれていたが今は名前で呼ばれるのが一番しっくりくる、と、あとで本人から聞いた。

 自己紹介というのは、前に言った人のを真似してしまう傾向にあるが。俺の口から出た言葉も、例に漏れずだった。

若崎伸尋わかさきのぶひろです。趣味はバスケで小さい頃からやってます。クラブはバスケ部で、キャプテンです。俺も──」

 叶依の紹介と一緒じゃないか、と苦笑しながら、俺は言葉を止めて彼女をじっと見つめた。もちろん、彼女は前を向いているので、見ているのは後ろ姿だ。

「俺も──正月生まれのO型やけど」

「えっ、そうなん?」

 俺のまさかの発言に叶依は振り返り、声をあげていた。驚いたのは彼女だけではなく、クラス中からざわめきが起こった。俺と叶依がきょうだいだとか双子だとか、勝手に決めていく。もちろん、俺と彼女にそんな関係はない。

「違うから、絶対、俺、一人っ子やし」

 俺が出席番号最後なのもあって、クラスメイトからの勝手な発言はなかなか止まらなかった。叶依も振り返って話しかけてくれたのは嬉しかったが、俺が彼女を好きになったということは、クラスメイトにバレてしまったらしい──ただ一人、叶依を除いて。

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