戦神たちの花嫁【読み切り版・貴族令嬢&令息“いいなずけ初デート”短編集】

ヨドミバチ

「 劇 」~生真面目娘と新米貴族(年下)~

『戦神作戦』……貴族令息たちを戦場に送ることで、自国軍の士気高揚をめざした作戦。国の英雄として謳われる「戦神」の伝説にちなみ、占星術によって選ばれた令嬢たちが、令息たちの婚約者にあてがわれた。語り部いわく、「いいなずけの待つ家に、兵士は必ず帰るだろう」



【登場人物】

・ケイトレット……侯爵家令嬢、十六歳。才媛ながら三女であるため、その理知を容認できる家柄との縁に恵まれずにいた(二人の妹は婚約済み)。


・トレンブレン……子爵家令息で嫡男、十一歳。家は爵位を授かったばかりの元商家。新米貴族だが、王室に重用の芽がある。







 戦時下でも戦いの物語はよく売れるらしい。


 ようやくコトコトと車輪が転がりはじめ、遠ざかりだした熱気と喧騒を小さな車窓からうかがっていた。布張りの座席からは、毛平織りモスリンの厚いパニエ越しにも路面のでこぼこが伝わってくる。貴賓席があっても民営の劇場周りは道が悪い。


「やっと動いてくれましたね」


 ひざを突き合わせて座る彼が、助かった、といまにもうめきそうに言う。

 進む向きと逆を向いている彼からは、まだ群衆が見えているのだろう。大きな琥珀色の目が、感心と呆れのどっちかに迷って、決めきれなかったようなひ弱なまなざしをガラス越しのとばりに投げかけている。


 どうも他人事に思えているらしいが、出待ちの群衆にふさがれない場所に馬車を回しておかなかったのは彼の手抜かりだ。いつもの自分なら、とうに言ってとがめている。いまは少し、気分ではないだけだった。車輪もゴロゴロとやかましい。


「本当に、初めてだったのね」


 ため息に変わりそうだった言葉をまた別の言葉に代えてこぼす。図らずも気づかうような言いぐさになってしまった。あまりわたしらしくはない。

 彼は恐れ入って照れた笑みを向けてくる。


「恥ずかしながら、勉強ばかりしていたもので」

「勉強ねぇ。出待ちも知らないなんて」

「ケイトレットさまは――」

「ケイト」

「う……」


 照れ顔のまま彼が固まる。五つも年下とはいえ、婚約者をいつまでも敬称呼びしていては次期子爵家長の沽券に関わる。何度も諭してはいるが、こればかりはことさら苦手らしかった。許してやるつもりもないが。


「け、ケイ……ト、さまは、劇場には何度も?」

「……まあね。わたしたちはこっちが勉強だから」


 髪と同じくらい白かった顔を真っ赤にして言いなおすので、ひとまず及第にして会話を進めてやる。あれも勉強なら、これも勉強だ。貴族令嬢がどういうものかも彼は知っておいたほうがいい。観劇のたびに指定された量の感想文を提出させられていたと聞いたら、どんな顔をするだろう。


「さすがは侯爵さまのおうちですね。娯楽も教養のうちだなんて」

「嫌味くさいわよ、そういう言い方」

「そ、そんなつもりでは……!」


 今度はみるみる青くなる。世辞も言えば済むというものではない。苦言で返されても動じない気構えを持つのが――とはいえ、即座に口にできたことは立派ではある。


「流行を押さえて、感想くらいスラスラ言えるようにならないとね。社交界で馬鹿を見るようになるわ。まあ、その点は心配いらなかったみたいだけど」

「あぁ……すみません。さっきは、つい……」

「謝らないの。たのしめたんならいいじゃない」


 思わず目を伏せてしまって、暗がりにあの女の顔が浮かんだ気がした。自分の物言いが、不意にうしろめたそうだったような気になってくる。


 馬車が動きだすのを待つあいだ、彼のほうは終始興奮した様子だった。印象に残った役者の立ちまわりや台詞について、とめどなく語りつづけていた。そのときのいまにも踊りだしそうな顔と来たら、車窓から見えた出待ちの庶民たちとそっくりだった。

 無理もないこと、とは思う。大成した商家だろうと庶民は庶民。彼は元来、あちら側の人間。


 家が爵位を授かったからと、愉しんではいけないわけでもない。むしろ愉しむ余裕があるほうが、貴族相手にも人好きのする印象を与えられるだろう。

 初めての観劇で、だからいまはまだ、子供らしすぎるだけ。戦場から戻ったあと、嫌になるまで観させてやれば、それなりに落ちつきも――


 ――いつ?


 ふと、顔をあげていた。

 目が合って、彼のほうがどぎまぎした様子でまばたきをする。


 あごが小さくて下がり眉で、髪を短くしていても女の子のように見える顔だ。ただでさえわたしの妹たちより小柄なのに、そのあどけない顔でくらにまたがり、細い腰に剣を差すのだという。


 いまにして思う。どうして、と。


 戦神作戦の参加令息は、原則成人済みか、出兵中に成人する見こみのある年齢かのどちらかだ。嫡男も少ない。

 彼だけが規格外の最年少――それが許されたのは、家が爵位を受けたばかりだから。彼に男兄弟がいなかったから。移民の血を引く白い髪をしていたから。その血のにじむ努力で祖父と父がつかんだ子爵の称号を、一代限りのものにしたくなかったから。


 どうして――あの女の声で聞こえてくる。


 歴史の浅い移民の家系が王室への忠誠を示すことを、彼のような子供が大切に考えている。自分の命よりも。意中の人と添い遂げる未来よりも。

 本当に、そうなのだろうか。彼自身、子供であるだけに、気づいていないだけなのではないだろうか。余暇に気兼ねなく劇場を訪れ、若い役者や歯の浮くような物語にうつつを抜かす――素直なかわいらしい恋人と手を繋いで――そんな日常のほうがはるかに似合うということを。


 あの女の顔が浮かぶ。シエラ。土壇場で婚約を破棄して、すべてを台なしにした、あの女。

 やめればいい。なにもかも全部、やめてしまえばいい。


 戦地で令息たちが前線に置かれることはないと聞いた。それでも、風に乗った矢や砲弾が飛んでこないとは限らない。うっかり敵軍に迫られた折には、背後からの挟撃に遭うかもしれない。

 それで生きて帰ってこられたところで、待ちかまえているのは訳知り顔ばかりが板についた貴族たちの口さがない世界だ。侯爵令嬢なんて身の丈に合わないものをめとったばかりに、面倒事と心労ばかりが増える日常だ。押しつぶされて、いまのように笑わなくなっていく自分自身と、色あせていく無邪気だった思い出たち。


 そんなもののなにが大切だろう。爵位がなんだというのか。家がなんだというのか。


 貴族の子息たちが戦場に出れば、徴用された民たちの士気が高揚するのだろうか。

 一代子爵で終わってしまうなら、屋敷もなくし、物乞いにでもなるというのだろうか。


 まいごとだ。はなから世迷言ばかりなのだ。戦神作戦も、古いだけの侯爵家との婚姻も。


 でも――幼い彼の覚悟もまた世迷言だと言って、水を差せる資格は、わたしにはない。


「ケイトさま? どうなさったので……」

「トレンブレン」


 名前を呼ぶ。

 みんなのようにトーリとは、わたしは呼ばない。呼んではいけない。

 彼を主人として立て、妻としてかしずくのだから。毎度途方に暮れた顔をして見つめ返す彼自身が、望もうと望むまいと。


「本当に、この劇でよかったの?」

「え、ええ……いま一番人気の演目と聞きましたし」


 知っている。話題の若い役者ばかりを集めた派手な演目だった。仮に脚本がなくとも、歌って踊るだけでいいもうけになっただろう。逆に言えば、勉強づくめで役者のひとりも知らないような商家の跡取り息子とは、水と油になるしかない呼び水型の商品だ。


「ケイトさまは、その……お気に召しませんでしたか?」

「別に……」


 わたしのことはいい。あなたが愉しんだものを愉しいと言い、あなたが気に入らなかったものを気に入らなかったと言う。それがわたしの役で、わたしの演目だ。降りて逃げだすことは許されない、わたしの舞台。

 その同じ舞台に、あなたは立った。慣れない足取りで、頼りない姿で。言いわけのきかない一度きりの初公演に、遅れてきた主役として。


 だから、言いなおすことにした。まだ舞台そでから出てきたばかりの、ひ弱なあなたに。


「……いいえ、そうね。退屈だったわ」


 不安か安心かあいまいだった顔が、一気に悲鳴をこらえるような有り様に変わる。その姿に思わずのどが閉じかけるのを感じて、隠すようにこぶしをあごに当て、さりげなく顔をそむけた。


「正直、ありがたがってる連中の気が知れないわね。新進気鋭の豪華俳優陣だかなんだか知らないけど、無理やり役を詰めこんだのを脚本家が処理しきれなかったのまで丸わかりだったわ。主役以外に名前を覚えてる役がいくつある? ヒロインなんか最低よね。話題性のある女優を集めるだけ集めて、全員主役の恋人ってことにしちゃえばまんべんなく売りこめるとでも思ったのかしら。ドレスと髪型が違うからなんだっていうのよ。役の個性は動きと立ち位置よ。あんなに誰が誰だかわからないんじゃ、いっそひとりくらい助けそこねて死んでても気がつかなかったでしょ。実際死んだのは主役の恋のライバルだけだった気がするけど、あれもいつ死んだのかしら。歌の組み立ても最悪。出演料につぎ込みすぎて、演出家はど素人を雇ったのね」


 少し首もとが汗ばんできた気がして、いったん息をつく。ひと息にしゃべりすぎてしまった。

 まだ言いたいことの半分も言えた気はしていなかったが、試しに視線を前に戻すと、両手で顔を覆ってずっしりうつむいている白銀しろがねのうなじと背中が目にとまった。


「ちょっと。このぐらいで落ちこまないでよ。あなたが訊いたんでしょう、気に入らなかったかって」


 彼は顔を起こさない。白い髪のそばで赤い耳が目立っている。やっぱりまだ子供だ。

 そうわかるといっそううんざりさせられそうになって、でも、どこかに少しだけ、ほっとしているようなわたしもいた。


「……わたしはたくさん観てるから、そう思うってだけよ。初めてだったんならしょうがないじゃない」


 しまい込みたくなる腕を出して、震える肩に手を置いてみる。跳ねた体が見かけどおりに華奢で、そのまま捕まえていたくなった。どこにも行かないように。


「もっとたくさん観て勉強しなさい。今度はわたしのお気に入りを教えてあげるから」


 ようやく持ちあがった顔を見て、意識してあげた口角を見せつける。彼は目もとと鼻を真っ赤にしていて、その顔は十分おかしかったけれど。


 いまはまだ、あなたの演目は始まらないから。

 あなたが舞台の真ん中に立てるまで、わたしが前座で手を引いていよう。どうせ逃げだせないのなら、最後まで演じていよう。

 そうして演じつづけていれば、いつかあなたの演目で、わたしがわたしを演じる日が来る。


 だから、この手を離すから、人目の届かない、この小さな馬車の中のような照明の下に、この手が届くだけの場所に、あなたが帰ってこられますように。




  「 劇 ‐ ケイトレットとトレンブレン 」了

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