07 R-ワンルーム・フレグランス


「蜜実ってどこ住み?」


「え~、華花ちゃん、なんぱー?」


「そ、そういうんじゃないけど……」



「なんだこれ」


 少なくともナンパではない。



「……実はいま、一人暮らし中でー」


「ホントに?私もそうなんだ」


「じゃあ、おうちに行ったり、来てもらったりできるねー……」


「う、うん……」


「えへへ……」



「どうしよう、メチャクチャいかがわしく聞こえる」


 朝の教室で繰り広げられる二人の会話。

 頬を赤らめ、視線はどこか落ち着かない様に小刻みに揺れていて。しかし決して目をそらすことはなく、ついでに握り合った両手も全く離れる気配がない。登校一番にそんなものを見せられては、未代が妙なことを考えてしまうのも、無理からぬことだろう。


「じゃ、じゃあ今日、ウチくる……?」


「うん、お邪魔してもいいかなー……?」


 互いへの愛情は七年かけて熟成されたものなのに、立ち振る舞いは付き合いたてのカップルさながら。

 アンバランスなその様相はまるで、溢れるのも厭わずコップに水を注ぎ続けるかのごとく、周囲に妙な桃色アトモスフィアを垂れ流していた。


「あっ、イイ……」


「あの百合乃婦妻が、こんなにも初々しく……!」


「私たちはもしかして今、大変に貴重な歴史的資料を目の当たりにしているのでは?」


「記録しなきゃ……わたしの脳内百合乃婦妻博物館に寄贈しなきゃ……」


 それを亡者の群れと呼ぶかユートピアと呼ぶかは、人によって意見が分かれるところだろう。


「おはようございます陽取さん」


 ……と、華花と蜜実のみならず、あまりマトモとは思えないことを口にしているクラスメイトたちも含めて呆れていた未代に、声をかけるものが一人。


「おはよ深窓さん」


 先日の実習でペアを組んだ、二年二組のお嬢様枠こと深窓 麗であった。


「昨日は結局、授業自体がうやむやになってしまいましたが……何はともあれお世話になりました」


「いえいえ。深窓さんはもう大丈夫なの?」


 それは、最低レベルとはいえ、VR体験初日にモンスターに轢かれてしまった不運な令嬢を気遣う言葉だったのだが。


「ええ、あのお二人を眺めているだけで、朝からこんなにも満たされた気持ちです」


「あ、そっかー……」


 風もないのに濡れ羽色の長髪をなびかせ、ほぅ……と上品にため息を吐く麗の姿を見て、こいつも手遅れだったかと天を仰ぐ未代であった。




 ◆ ◆ ◆




 そして放課後である。

 ここに至るまでも例によって、華花と蜜実の初々しい婦婦ふうふ的営み(健全)の余波により、周囲の人々が百合ハザードに晒されるという災害めいた出来事が多々あったものの、今回は割愛とする。

 何せこれから、二人の初・リアル自宅デートなのだから。


「わたしたちって、結構近くに住んでたんだねー」


「学校挟んで正反対とは言え、まさか歩いていける距離だったなんて」


 腕を組み指を絡め、下手な二人三脚走などよりよっぽど寄り添い合いながら二人が辿り着いた先は、現在親元を離れ絶賛一人暮らし中の華花の家。


「ここかー……」


「ん。三階の角部屋なんだ」


「角部屋っ、いいねー」


 一人暮らし向けのマンション、その三階の一室に、二人して足を踏み入れる。


「おじゃましまーすー」


「どうぞ、なんにもないところだけど」


「なくないよ、華花ちゃんがいるよー」


「蜜実……」


「華花ちゃん……」


 ドアも閉めずに玄関でいちゃつくのは、有り体に言って近所迷惑というやつである。


「ワンルームなんだねー」


「うん、ここ、一人暮らしの学生とかもターゲットにしてるみたいだから」


 華花は元々私物が少なく、生活する上でそう広いスペースがなくとも問題ない人間である。また、仕送りはあれども、特にバイトなどもしていなかった(ミツといる時間が減るから)彼女にとって、家賃の安さは何よりも魅力的であり、百合園女学院高等部入学以降、特に不満もなく暮らしていた一部屋だったのだが。


「小さい分、華花ちゃんの匂いでいっぱいだー」


 幸せそうに呟く蜜実の言葉で、この部屋の評価はもううなぎ登りであった。


(ワンルームを選んだ去年の私と勧めてくれた不動産屋さん、ナイス過ぎる……!)


「えっと、取りあえずテーブルのところにでも座って……あ、クッション一つしかなかった……」


 来客など全く想定していなかった華花の家に、客人用のアレコレなどあるはずもなく。


「じゃあ、一緒に座れるねー……」


「う、うん……」


(おっきめの買っておいて良かった……!本当に良かった……!)


 床に敷いた一つのクッションを共有するという天才的発想が生まれるのも、当然にして必然だと言えよう。



「「…………」」



 ……まあ、自宅デートなどと意気込んでみたところで。

 ゲーム内プライベートルームにいるときのように振る舞えるかというと、現実ではそうもいかないのが、今のこの二人。結果、何をするでもなく、テーブルの前に座り込み、寄り添って体を預け合う華花と蜜実であった。


「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」


 蜜実の呼吸は、トランス状態に入ろうとする瞑想家の如く深いものになっていたのだが。


「……そんなに、匂いするかな」


 反応からして嫌な匂いではないのだろうけれど、こうもあからさまに嗅がれては、多少なりとも気になってしまうもので。華花は、また今までにない気恥ずかしさを覚えながら、蜜実にそう問いかける。


「なんだろう……華花ちゃんの匂い、初めて嗅いだはずなのに。すっごく安心して、でも体の奥がきゅってなって、不思議な感じがするんだぁー……」


 目を閉じ、華花の胸に頭を預けるようにしてもたれかかりながら、囁くようにそう答える蜜実。

 [HELLO WORLD]内では、匂いやそれに反応する嗅覚等も勿論再現されてはいるものの、流石に個人の体臭までもを忠実に再現する事は憚られたようで。


「すごく、好きな匂い……」


 倫理コードに阻まれ、今まで知る由もなかった最愛の人の香りを、身体に覚え込ませようとご満悦な蜜実であった。


「そう、じゃあ良かった……」


 恍惚とした表情で深呼吸を続ける蜜実だが……しかしこれだけ密着していれば、彼女の纏う香りもまた、華花の鼻腔に届いてしまうもの。


(蜜実の方こそ、すごい良い匂いする……)


 自分の部屋が、自分の匂いでいっぱいだというのならば、彼女の部屋もまた、今こうして自分を惑わす彼女の匂いでいっぱいなのだろうか。

 例によって思考回路がぶっ壊れた華花の脳は、どこかで聞いた哲学者の言葉を思い返していた。


 (深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのである……)


 フリードリヒ・ニーチェはそのようなことが言いたかったのではない。

 ……はずだ。きっと。




 ◆ ◆ ◆




「……じゃあ、今日はこの辺でー」


「うん……」


 アロマテラピーめいた健全過ぎるひと時を過ごしたのち、総合冷凍食品フルパックチルドで早めのディナーを済ませた二人だったが。


「ほんとに、送って行かなくて大丈夫?」


「だいじょうぶだよー、帰りはバスに乗るから」


 無情にも別れの時はやってくるのである。


「分かった。じゃあ、また後で、向こうでね」


「お風呂入ったらすぐ行くねー」


 まぁ、バーチャルなセカイですぐに再会するのだが。


「今日は楽しかった。今度は、私が蜜実の家に行くよ」


「うんっ、楽しみにしてるねー。じゃあ、お邪魔しました~」


 エレベーターに乗った蜜実の姿が見えなくなるまで見送った後、玄関の戸を閉める華花。


「蜜実ぃ……」


 一瞬で寂寥感に襲われ、僅かに漂う蜜実の残り香を胸中に取り込もうとするあたり、彼女も大概、堪え性というものが無くなって来ていた。




「華花ちゃん……」


 エレベーター内で独り切なげに呟く蜜実共々、まさしく似た者婦婦ふうふだと言えよう。

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