第7話 母の衣装。

大きな姿見に映る自分の姿を、リリアはまじまじと見つめる。


「あの、この衣装は……?」


部屋へ案内された途端、リリアはなぜかとても美しい衣装に着替えることになってしまった。

すでに用意されていたその衣装は、アマンダから借りた衣装とも生地からして違っていた。アマンダの衣装も木綿の服しか着たことがなかったリリアにとっては形も素材もあまりに着心地が良く驚いていたのに、今身に着けているものは、表面には優しい光沢があり、手触りはとても滑らかで非常に柔らかい。色も淡い薄紅色で形もふんわりとして可愛いのに品が感じられた。


「む、無理です! このような高価な衣装に着替えるなんて、出来ません!」


 何でも手作りしていたリリアは自分で服も縫っていたので、貴族の服について何も知らない。

 だが、そんなリリアでも一目でとても高価なものだと分かり、すぐに着る事さえ断った。

 しかし、マロウ夫人のたっての願いと言われてしまうと、それ以上断る事もできず、緊張しながらその衣装に着替えたのだった。

 だが、残念な事に、この衣装は今のリリアには少し大きかった。

 

「あの、やはり私には似合わないようです……」


 自分でも驚くほど落胆しつつも、どこかほっとしながらリリアは衣装を脱ごうとした。すると、マロウ夫人が慌ててその手を止める。


「いいえ、何の問題もございませんよ。少しお直しする必要はございますが、今日は仮縫いをするだけですので、それほどお時間もかかりません。ですから、どうかお脱ぎにならないでくださいませ!」


 そう言うやいなや、マロウ夫人はすぐに糸と針を手に、肩や腰、それに裾など、リリアの体に合うように調整し始めた。

 彼女の言葉どおり、それほど時間を掛けずにマロウ夫人は直し終えてしまった。

 

「ああ、本当に良く似合っておいでです……」


改めてリリアの前に立ったマロウ夫人は、感極まった様子で、再び目に涙を浮かべる。


「──このお衣装は、貴方様のお母君であらせられるエレーネ様が16才の時に着ておられたものなのですよ」

「え?! 私の母が?」

「はい」


 マロウ夫人の顔は涙に濡れていたが、喜びで満ち溢れていた。

 

「婚約されたばかりのエレーネ様に、アルフレッド様……、あなた様のお父君が贈られたものなのです」

「!」

 

 あまりに自分とは不釣合いで、よそよそしく感じていた衣装が、母が着ていたと知っただけで、突然温もりを伴い、リリアの心を揺さぶる。

 今までは父と母と言われても、顔さえ知らないリリアには、ふとした時にどんな人達だったのかと物悲しさを感じるだけの存在だった。

 だが、今は目を瞑れば瞼の裏に先ほど見た絵の中の優しく微笑む二人の姿が浮かんでくる。


「……父と母は、仲がよかったのですか?」

「ええ、それはそれはとても仲睦まじくていらっしゃいました……」


 マロウ夫人はリリアの質問に応じてくれるのだが、再び目頭を押さえている。


「マロウ夫人……」


 リリアが困ったように名を呼ぶと、涙を拭い取りながらマロウ夫人が微笑む。


「あらあら、いけませんね。この年になると涙もろくなってしまって……」

「そうですよ、マロウ夫人。泣いている暇など無いですよ。早くしないと、陛下からまだかと、催促が来てしまいます」


 しんみりとした部屋の空気を、シンシアのよく通る明るい声が変えてくれる。

 彼女はマロウ夫人が着丈を直している間に、解けかけていたリリアの髪を丁寧に梳かし、再び綺麗に結い上げてくれていた。今は花をあしらった髪飾りと宝石を散りばめたものの二種類を手に取り、どちらが衣装に合うか吟味しているようだった。


「リリティシア様には宝石よりも、花をあしらった物の方が良いかもしれませんね」


 シンシアはとても楽しそうに、薄紅色の大小の花の髪飾りでリリアの髪を飾りつけはじめた。

そして、飾り終えると満足そうに笑みを浮かべる。


「思ったとおり、良く似合っておられます。まるで花の精霊のようでございますよ」


 そう感想を述べると、すぐさま床に広げられていたアマンダから借りた衣装を拾い集め、そのまま部屋から出て行こうとする。


「ま、待ってください! その衣装はお友達の方からお借りしている大切なものなんです!」


 気付いたリリアが慌てて引きとめれば、シンシアは一瞬驚いた表情で立ち止まり、顔を強張らせているリリアを見つめる。

 そして、申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ございません。言葉が足りず、驚かせてしまったようですね。もちろん、このお衣装が大切なことは存じております。ただ、このお衣装は、ところどころほつれて汚れているところをお見受けいたしましたので、汚れを落とした後、綺麗に繕わせていただくつもりです」


 まるで安心させるように表情を優しく和ませ、シンシアはリリアにそう説明した。


「あ、そうだったんですね。私の方こそ、すみません……。捨てられてしまうのかと、勘違いをしてしまいました。ありがとうございます。どうかよろしくお願いします!」

「そんなお顔をなさらないでください。私達はこうしてお世話をさせていただけることが、何よりもの喜びなのですから」


 大切な衣装を汚してしまい、されに自分ではどうすることも出来ず気に病むリリアに、シンシアは慰めるようにやさしく笑みを向けると、扉の向こうへと消えて行った。


「そうでございますよ。衣装の扱いには私共は慣れております。精一杯綺麗に直させていただきます。それよりも、お疲れになったのではございませんか? 少し長椅子に座ってお休みになってくださいまし」


 いつのまにか部屋の中を綺麗に片付け終えたマロウ夫人が、リリアの体調を心配して長椅子へ手を引きながら連れて行ってくれる。

 母の貴重な衣装を着ているので、リリアは気を付けながら椅子へ腰を下ろした。


「ふう~」


 座った途端、深いため息がもれた。思った以上に、慣れない衣装はリリアをとても疲れさせていた。


「マロウ夫人、ありがとうございました。……あの、クロウとシャイルに会いたいのですが、会いに行ってもいいでしょうか?」


 リリアはずっと気になっていた事を尋ねる。少しでも早く二人に会いたくて仕方がなかった。


「ご心配なさらなくても、陛下とのお話が済めば、すぐにこちらへ参られますよ」

「わあ! とっても綺麗だね! 見違えちゃったよ!」


 控えめに扉を叩く音と共に、聞き覚えのある声に顔を向ければ、お茶の用意を持って部屋に入って来たシンシアと一緒に見知った男達が入って来た。

ガルロイとルイの二人だった。

 彼らはリリアに付き添って一緒に部屋へ来てくれていたのだが、今まで部屋の外でずっと待ってくれていたのだ。

 二人の顔を見て、リリアの不安が少し和らぐ。

 いつもどおりの彼らの姿にリリアは心から笑顔を見せた。

 そして、改めて自分がいる部屋の様子に目を向ける。

 お城の中は基本的にどこも天井が高かったが、リリアのために用意された部屋もやはり天井は高く、普通の部屋より広かった。

部屋と言っても、居間と衣裳部屋が備え付けられた寝室、そして本がたくさんある書斎が繋がっていて、すべて扉で仕切られていた。

 どの部屋も白を基調にして淡い翠色で統一され、とても居心地良く設えられていた。

 窓からは湖はおろか、遠くまで見渡せる。

 丘の上にある王城からの景色は想像以上の絶景だった。

 シンシアが用意してくれたお茶をガルロイとルイの三人で飲んでいると、扉をコツコツと叩く音が部屋に響いた。

 すぐにマロウ夫人が扉を開ければ、そこにはユーリックが一人で立っていた。


「リリア様をお迎えに参りました。陛下がお呼びです」


 ユーリックは事務的な声で用件を伝える。


「我々が付き添っても問題はありませんか?」


 不安そうな表情を浮かべたリリアをまるで安心させるように、ガルロイがユーリックへ問う。


「構いません。では、ご案内いたしますので、私の後について来てください」


 リリアはマロウ夫人とシンシアに急いでお礼を言うと、付き添ってくれると言ってくれたガルロイとルイと共に部屋を後にした。

 リリア達は3階から2階へと移動し、ガラス張りの明るい廊下を歩いて行く。

 窓の反対側は大広間になっていて、そこでは酒席が設けられたり、異国の使者をもてなしたりするのだそうだ。

 開いた窓からは、花の香りを乗せたそよ風がまるでリリアを誘うように入って来て、無意識に窓辺に身を寄せる。

 ふと視線を遠くへ向けた瞬間、城門に向かう石畳の上に黒い馬に騎乗した男の姿が目に飛び込んできた。

 途端、まわりの音が消え、自分の鼓動の音しか聞こえなくなる。

 慌てて辺りを見回し、リリアは開かれていた吐き出し窓を見つけると、急いでバルコニーへ飛び出して行った。

 そして、そのまま石造りの手すりを握りしめ、声の限りに男の名を叫んだ。


「クロウッ!」


 馬上で黒髪の男が振り返った。やはりクロウだった。まるで時間が止まったかのように二人は見つめ合う。

 何をしているのかと問いたいのに、声が出なかった。それほどに、クロウのリリアを見つめる眼差しが遠くであったにも関わらずとても強く感じたのだ。それはまるでリリアの姿を目に焼き付けようとしているようにさえ思えた。

 ふとリリアの胸に不安が過る。と、その瞬間、リリアの眼差しを遮るように、クロウがフードを被り、静かな夜を思わせる黒髪と秀麗な顔を覆い隠してしまった。


「クロウ……?」


 まるでリリアの呟きを振り切るかのように、クロウは手綱を引くと、馬首を城門へ向ける。嫌な予感にリリアは思わず手を伸ばした。


「! 待って! クロウッ!」


 リリアが叫ぶのと同じくして、クロウが愛馬を駆けさせた。落ちそうになるほど手すりから身を乗り出すリリアの体を、突然背後から伸ばされた腕が抱きかかえた。


「リリア、危ない! ここは2階なのよ!」


 声はシャイルのもの。


「離して、お願い! クロウが行ってしまう! クロウッ──」


 走り去る後ろ姿を追うように、リリアは手を伸ばし続ける。その華奢な体をシャイルは強く抱きしめた。シャイルの腕に抱き抱えられながら、リリアはクロウの姿を覆い求め、城門を凝視する。


「どうして……どう──」


 まるで譫言のようにリリアは問いかけ続ける。

だが、彼女の問いにシャイルは答えてはくれなかった。縋るように見上げた彼の瞳もとても悲しそうに揺れている。

 クロウがリリアの元を去ったのだと否が応でも悟らされた。


「……シャイルも、私を置いてどこかへ行ったりしないわよね?」


 震える声で、リリアはシャイルの胸に縋りつく。


「……」


 ただ苦しそうに黙り込むシャイルの顔を見つめ、呆然となりながらリリアは膝から崩れ落ちていった。

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