第2章 助けて! 求愛が止まりません!

第6話

 郵便局でアルフレッドと大喧嘩をした翌日。私の噂はあっという間に書き換えられて『嫡男が平民の娘と駆け落ちした家の娘』から『皇太子殿下のプロポーズを断り、口ごたえまでした女』に変わっていた。どちらの噂もいいものではなく、前世の記憶を取り戻してから困ったことがひっきりなしにやってくる。私はげんなりと肩を落としていた。


「シモンズさんって、いつの間にアルフレッド様と仲良くなったの?」


 そんな探ってくるような質問は全部無視。微妙な笑顔を浮かべながら、その場を即座に離れるに限る。それに、今の私はそんな事に付き合っている場合ではないのだ。


「あらぁ、これはこれは、未来の皇太子妃殿下じゃありませんこと」

「べ、ベロニカさん……」


 そう。あの一件以来、私はベロニカから一方的に敵視されている。それもそのはず、彼女がアルフレッドの事を狙っていることを一番身近にいた私は知っていたはずなのに、抜け駆けのようなことをしたのだから。ベロニカの怒りに火がつくのは当たり前。その横でマリリンがハラハラした様子で私たちの様子を見守っていた。口出しをすると、今度はその火の粉をかぶるのが自分になってしまう。ずるい真似だと思うけれど、憶病なマリリンがそうするのは仕方ない。私は乾いた笑いをしながら、ちょっとずつ後退る。


「どんな媚びを売ってアルフレッド様に近づいたのかしら? こんな安い女に誑かされるなんて、アルフレッド様も想像以上にちょろいのね」

「えっと、あの……私、図書委員の仕事が」

「あぁ、あのつまらない図書委員ね。あなたみたいなつまらない女にぴったり」


 私は隙を見て逃げ出す。ベロニカの嫌がらせは嫌味だけでは済まなかった。自分の机に入れていた教科書がなくなってしまい、寮のご飯も少ししかもらえなくなったり。極めつけは、私宛の手紙に入っていた剃刀! まさかここまでするなんて……イヴ(ヒロイン)には嫌味しか言わなかったのに! 私は指先に貼った絆創膏を見ながら、深くため息をつく。小さな怪我だから医務室に行くほどの物ではない。実家から持ってきた絆創膏1枚で事足りる。でもしばらくの間、手紙には気を付けないと。

 とぼとぼとした足取りで図書室に向かった。心が重たかったら体も重たい。ベロニカもいなければこそこそと噂話されることもない、今の私にとって図書室だけが唯一の癒しだった。


「シモンズさん! ちょうどいい所に、図鑑が入荷したからこれを本棚にいれていて欲しいの」

「え……? これ、全部ですか!?」


癒し……だと思っていたのはどうやら私だけだったらしい。ここにもベロニカの息がかかった者がいた。大型図鑑セットがどっさりと机の上に乗っていた。


「それじゃ、よろしくね」

「あの、私一人でですか?! ……行っちゃった」


 私の悲痛な叫びは誰にも届かない。私は仕方なく、それらをワゴンについて図書室の奥に進む。いつも以上にずっしりと重たいそれを力いっぱい押していく。何度もため息をついて、額に流れる汗をぬぐいながらそれを一冊ずつ本棚に仕舞っていく。それを終えて事務室に戻ると、また机の上には返却図書の山がどっさり積んである。それらにだれも見向きもしない……これを全部、私が片づけろって事? 陰湿な嫌がらせに私は苛立ちながらも、私はそれらを再びワゴンに積んで、もう一度本棚を巡った。


 どうして今日ばっかりこんなに本が多いの?! 心の中で文句ばかり呟く。最後になった小説のコーナー。そこにたどり着いた時、私は見慣れた人影に気が付いた。私が今こんなに大変な目に遭っている元凶ともいえる彼も私に気づいたらしく、顔をあげて片手をあげた。ムカムカと苛立ったままの私はそれを無視して、本を棚に戻し始める。


「どうしたんだ、その絆創膏は」


 彼は私の手に巻かれたそれにすぐ気づいた。


「……殿下には関係のないことですから」

「昨日はちゃんと俺の名を呼んだくせに、もう戻るんだな」

「あれは……その時の勢いと言うか」


 私がもごもごと口を動かすと、アルフレッドは持っていた本を本棚に仕舞った。


「どうせハワードの娘による嫌がらせだろう? その傷は。さしずめ、手紙に刃物でも入れられていた。違うか?」


 どうしてこの人、そんなことまで知っているんだろう? もしかして見てた? 恐ろしくなった私が答えられずにいるのを、彼は肯定だと受け取ったらしい。そのまま私の横をすり抜け、歩いて行ってしまおうとする。


「あの、殿下……?」

「ティナは何も気にする必要はない。俺が一言注意しておこう、もうそんな無意味ないたずらはやめるように」

「ちょ、ちょっと!」


 それがさらに事態を悪化させることに、彼は全く気付いていない。私とアルフレッドが親しくしていると皆に思われているせいでベロニカから嫌がらせを受けているのに、それじゃ事態が悪化する一方じゃないか。私は慌ててその背中を追う。しかし、先に図書室を出て行ってしまったアルフレッドの姿はどこにもない。


「どこに行ったのよ、もう!」


 アルフレッドの居場所は分からない。けれど、ベロニカならわかる。彼女は放課後、談話室でお茶を嗜んでいることが多い。私は先にそちらに向かうことにした。


 廊下を駆け抜けながら、私は昔もこんなことがあった気がするととある出来事を思い出していた。それは今のティナとしての人生ではなく、前世の時のこと。ブラック企業のブラック上司から無理難題みたいな残業を押し付けられて悲嘆にくれていたら、後輩が私以上に怒ってくれて、上司に一言文句を言ってやると息巻いていた。あの時も、こうやって必死に彼の事を止めたような気がする。そんな事をしたら彼だってただでは済まない、それなら私の仕事を手伝って! って……。


 いや、今は懐かしい思い出に浸っている場合じゃない。談話室にたどり着くと、ベロニカがマリリンと一緒にお茶をしている姿が目に飛び込んできた。しかし、飛び込んできたのはそれだけではない。背筋を伸ばしてベロニカに近づいていくアルフレッドの姿もそこにある。


「ハワード嬢。今、少しよろしいか?」

「え!? あ、アルフレッド様……え? んんっ、ごほん! え、えぇ、よろしくってよ」


 ベロニカは髪を整えながら立ち上がった。その声はどことなく甘く、すでにアルフレッドに対して蕩けてしまっているのが聞いただけで分かる。けれどアルフレッドの言葉は、彼女が期待しているようなものではない。その前に、何としてでも止めなければ。


「ティナの事で話が……」

「あーーーーベロニカさん!!!!」


 私はアルフレッドの声をかき消すように大きな声を張り上げた。ベロニカはムッと頬を膨らませる。


「何よアンタ、今私は殿下と話を……」

「いや、あの、えっと……」


 話を続けないと。私は「あー」だの「うー」だの言いながら、何を切り出そうか悩む。その時、ベロニカの後頭部できらりとバレッタが光るのが目に入った。豪華な宝石で彩られたそれは初めて見る。これだ!!


「と、とっても素敵なバレッタですわね!」


 私の声が変に震えてしまった。これではベロニカの気を変えるのは無理かもしれない。そう思って目をぎゅっと閉じた瞬間、ベロニカは「そうでしょう~!」と高い声をあげた。彼女が素直で本当に助かった!


「……え?」


 話に置いていかれたアルフレッドは私の横顔をじっと見つめていたけれど、私はそれを無視してベロニカの話に相槌を打つ。


「これはピエール・マモンティの新作なのよ! まだ販売されていないけれど、お父様が私のために特別に取り寄せてくれたの! よく気づいたわね、ティナ。素敵でしょぉ?」

「え、ええ、とても素敵です!!」


 私も少しだけ声を高くしてベロニカの自慢話に乗っかった。ベロニカが大好きなデザイナーの新作、自慢したくてうずうずしていたに違いない。どんどんベロニカの鼻が高くなっていくようだ。


「本当に羨ましいですわ、さすがベロニカさん。それを身に着けていると、さらに高貴に見えてきますわ」

「えぇ、えぇ、そうでしょう」

「やはり皇太子妃はそのような、気品があってオシャレで美しい人がなるべきですわ。私のような地味な者は到底ベロニカさんのような方には敵いません!」


 一気にそう言い切ると、ベロニカは満足したようににんまりと笑った。そして、ちらりとそのバレッタを見せつけながらアルフレッドに近づいていく。パシパシと瞬きを繰り返し、体をくねらせて、甘い声で「殿下ぁ」なんて呼びながら。アルフレッドは慄いているようすで、少し後退っていく。


「一緒にお茶でもいかがですかぁ? 私の将来の事とか、お話しませんこと?」

「いや、私には時間が……」


 意外にも、こうやって女性に迫られることには慣れていないらしい。あしらうことも出来ず、私に助けを求めるようにチラチラとこちらを見てくる。私はフンッと顔をそむけた。


「ベロニカさんの邪魔になってしまうから、行きましょう、マリリン」

「え、えぇ……ごゆっくり」


 アルフレッドも離れようとしたけれど、ベロニカに捕まってしまう。私とマリリンはそのまま談話室を後にして、私は再び図書室に戻っていく。仕事を放りだしたままだから早く戻らないと。


 あの変てこなプロポーズ、あれはきっと罰ゲームの一環だったにちがいない。私はそう考えることにしていた。きっと冴えないモブ女をからかって遊んでいる連中がいて、それに彼が巻き込まれただけだと。彼がそんな連中とつるむと思えないし、罰ゲームで人を弄ぶようなこともしないとは思うけれど。でも、そうじゃないと納得できない。皇太子が自分のような女に求愛をする理由なんて、どこにもないのだから。私はそうやって自分自身の気持ちに折り合いをつけていた。


 アルフレッドとのティータイムのおかげか、翌日のベロニカは上機嫌。私に対するつまらない嫌がらせは無くなり、それとは真逆のねっとりとした優しさを私に向けてくるようになっていた。


「ティナ、私のお父様から、ご実家のお父様にいくつか見合い写真を送ったって連絡があったわ」

「本当? ありがとうございます!」

「冬季休暇が始まったらすぐにお見合いが始まるわね。寂しくなるわぁ、ティナが見知らぬ殿方の奥様になるなんて……」

「あ、あはは」

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