第4話


「それじゃ、誰か知り合いを当たって見合いをしよう」

「……ティナは、本当にそれでいいの?」


 まだ顔は真っ青だったお母様が、弱弱しく私に話しかけてきた。私は安心してほしくて、胸を張って「もちろん!」と返す。


「元々ティナには王立学園を卒業したら見合いをさせるつもりだと話していただろう? それが早まっただけだよ」

「そうですけれど、でも……」

「ティナがこんな立派な事を言えるくらい成長してくれたんだ、これでもう安心だ。あの放蕩息子の事なんてもう忘れてしまおう。ティナ、急に呼びつけて悪かったな。疲れただろう? 今日はゆっくり休みなさい」

「はい、お父様」


 振り返ると、水差しを持って戻ってきた執事までも「ティナお嬢様……ご立派になられて」なんて言いながら涙を拭いている。すっかり元気を取り戻したお父様は私の食事を用意するよう指示を出し、お母様にはまだ気分がすぐれないなら部屋で休もうと、体を支えて寝室に向かっていた。


 私は未だに仲睦まじい両親を見送り、食堂へ向かった。お父様とお母様、互いを思いやり、その愛で私たち兄妹を包み込んでくれた。ただ私を虐げるだけだった前世の親の事を思い出した今では、それとは大違いの優しさが身に沁みる。だからこそ、あの二人には少しでも恩を返したい。……これで返すことはできるかな? 少し不安だけれど、これが今の私にできる精いっぱいの事。二人が安心して生活することができるなら、それでいい。


 私の言葉はいつの間にか屋敷中に広まっていて、他の使用人からも涙ぐまれたり成長を喜ばれたりしながら、私は食事を終えて自室に戻っていった。この部屋で眠るのは夏季休暇以来だけど、毎日掃除をしてくれていて、私が食事をしてくれている間にベッドも整えられていた。私は多くの人の優しさの中で育ったのだと実感する。目を閉じると、眠気は急にやって来た。気づかなかったけれど体はすでにクタクタになっていたみたいだった。何度か呼吸をしているうちに、眠りについていた。


 翌朝、両親と共に朝食を囲った。お母様はまだ体がすぐれないためスープだけだったけれど、昨日よりは顔は赤みがさしていて、表情も明るくなっていた。お父様も肩の荷が下りたのか、いつにも増して食欲旺盛。私は二人を見ながら、こう口を開いた。


「朝食を終えたら、私、学園に戻りますね」

「ええぇ!?」


 お父様は驚いたように声をあげる。


「もう少しゆっくりしていけばいいじゃないか! 昨日はゆっくり話をすることも出来なかっただろう?」

「えぇ。そうなさい、ティナ」

「そういう訳にはいきません。私は学生、学生の本分は学園で学ぶことですから」


 今時点で、そこまで一生懸命に勉学には励んでいないけれど。私はそれっぽい事を言って大きく胸を張る。


「それに、ちゃんと卒業しないと……」

「そうだな! 王立学園をもし中退なんて事になったら、見合いをしてくれる人もいないかもしれない!」

 

 その言葉がぐさりと刺さる。これは何が何でも卒業しないと……だからこそ、やっぱりベロニカから離れなければ。私はその決意をかたくする。


 私たちの話を聞いていた執事が馬車を用意してくれていた。私は荷物をまとめ直して、部屋をあとにする。馬車に乗ろうとしたとき、お母様が声をかけてきた。


「ティナは、本当にそれでいいのね。急にこんなことになってしまって……」

「気にしないで、お母様。ティナはこのシモンズ家の役に立ちたいの」

「ティナ……昔はこんなことを言う子ではなかったのに。わがまま放題でみんなを困らせて……まるで人が変わったみたいね」


 お母様の目は鋭い。前世の記憶を取り戻して、今までのティナと前世の自分が融合した姿が、今の私だった。母はその違和感すら見抜いてしまう。


「学園で素晴らしい教育を受けているからだろう? さあ、もう行きなさい、ティナ」

「え、えぇ……行ってまいります」

「気を付けるのよ、ティナ」


 二人に見送られて、私は馬車に乗って再び学園に戻っていく。胸には強い使命感が熱を帯びていた。


***


 学園につき、寮の部屋に荷物を置いて制服のワンピースに着替えてから、少しばかり遅れて教室に向かう。すでに1講時目は終わっていて、休憩時間の真っ最中だった。私が教室に足を踏み入れた瞬間、ざわめいていた声が一瞬だけ静かになった。妙な雰囲気を感じながら、自分の席に座る。いつもなら話しかけてくるはずのマリリンやベロニカが、今日は遠巻きで私の事を見ては口元を隠して何かを話している。


「……大変ね、シモンズさんのおうち」

「貴族の嫡男が平民と駆け落ちなんて……家の恥さらしもいいところね」


 ひそひそと聞こえてくる声が、私の耳に飛び込んできた。それは我が家に関する噂話で、私だって昨日知ったばかりの兄の失踪がすでに学園中に広まっていた。私は驚き、ぎょっと目を見開く。どうしてみんな知っているの? 頭の中は混乱と恥ずかしさでいっぱいになっていく。私が学園に戻って来たのがみんなの好奇心に拍車をかけたのか、その声は少しずつ大きくなってきて、私は醜聞のど真ん中に晒されていく。


「その平民の娘とはどこで出会ったのかしら?」

「シモンズさんに聞いてみたら? 何かご存知かもよ」

「えー、やだぁ。かわいそうじゃない、そんな事を聞いたら。ただでさえおうちの一大事なのに」

「これからどうなさるのかしらね? 家も取り潰しなんて……」

「やだわぁ、考えるだけでぞっとしちゃう!」

「我が家は大丈夫だからいいけど、大変よね、シモンズさんの家は」


 それがひどく耳障りで、胸がぎしりと痛み始める。もうこれ以上この空間にいるのは耐えられない! 私はガタッと大きな音と共に立ち上がり、教室を飛び出し逃げるように走っていた。


 気づけば、私は図書室にいた。人が少ない図書室はいつも以上に静まり返っている。それでも私は視線が刺さるのを感じ、身を隠すようにさらに奥に進んでいく。好奇心に満ちた視線を振り切ると、ざわついていた心も少しずつ落ち着いていった。やっぱり、お父様の言う通り少し家でゆっくりしてきた方が良かったかしら。でも、帰るのが遅くなれば今度はどんな噂が立つか、考えるだけで背筋が冷たくなる。大きくため息をつきながら角を曲が……った瞬間、誰かとぶつかってしまった。下を向いていたせいで人がいたなんて全然気づかなかった。


「も、申し訳ございません」


 少し下がって頭を下げると、相手は「大丈夫か?」と私に声をかけてくれた。……この声、聞き覚えがある。


「あ、アルフレッド、様……?」

「まだその呼び方を……まあ、いい」


 そこにいたのがアルフレッド様だった。本棚にもたれかかって本を読んでいたみたいだった。授業も始まりそうな時間なのに、真面目な彼が珍しい。


「どうしてここへ?」

「教室の空気が悪い」


 アルフレッド様はそう呟いた。


「……大変だったようだな」

「え?」

「あれだけ噂になっていれば、俺の耳にもすぐに届く」


 まさか彼まで知っているとは思わなかった。私は驚き、そのまま肩を落として小さく自らを嘲笑った。きっと彼も我が家の醜聞に興味津々に違いない。


「そうですよね、みんな話していたし」

「肩を落とす必要はない、あんな噂、気にするな」

「でも……」


 私は大きく息を吐く。ほんの少しの間、二人の間に流れた静寂を破ったのはアルフレッド様だった。


「ティナの兄上には、何度か会ったことがある」

「え?」


 アルフレッド様を持っていた本を本棚に収め、私の方を向く。


「とても穏やかで実直な青年だと思っていたが……随分大胆な事をしたと私もとても驚いている」

「私もです。まさかお兄様が駆け落ちだなんて」


 正直、まだ信じられないでいる。明日になったらひょっこり帰ってくるんじゃないか、そんな淡い期待が捨てきれなかったけれど、朝食を終えても学園に戻ろうとしたときも、お兄様は帰ってくることはなかった。

 きっと、その女の人に本気の恋をしてしまったのだ。


「……誰かに恋をすると、人生をなげうつ者もいるのか」


 アルフレッド様は小さく呟いた。それはすんなりと私の耳に飛び込んでくる。彼が【恋】について考えている姿を見るのは、やはりヒロインだけの特権なのに。そう考えながらも、疲れ切った私はその言葉に返事をしていた。


「アルフレッド様もそのような恋に憧れをお持ちですか?」


 私の問いに、彼は少しだけ悩んだ。そして、静かな図書室に、彼の言葉が響く。


「憧れ、か。もし恋をした相手が望むのであれば……王位すら捨ててしまうかもな、私は」

「へ?! な、なにもそこまでしなくてもいいじゃないですか!?」


 思わず大きくなってしまった私の声に驚いたのか、彼はきょとんとした表情で私を見た。その顔が何だか幼く見えて、少し可笑しくなってしまって……気づけば、私は声を押し殺して笑い始めていた。


「もう、殿下がそんな事を言うなんて珍しいですね」


 笑い過ぎてにじみ出た涙を指でぬぐいながら見上げる。するとそこにあったのは、まるで安心しきった子どものように頬を緩ませる、アルフレッド様の姿だった。柔らかく、優しく、まるで私を包み込むかのように笑みを浮かべる。それを見ていると、私の中で張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れた。その瞬間、今度はボロボロと涙が溢れ出してきた。

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