3-20

……)

 まどろみの中、ミコトは夢の中でかつての仲間が発した言葉を反芻していた。

 自分の居場所。本当に、自分の居場所は此処なのか。

 衣食住にも困らず、食事は必要最低限ではなく、所謂『美味しい』ものを食べられる。病気になれば、病院へ行って適切な処置を受け、学校では友人がいて、当たり前に教育を受けられる。

 悩むことだって、そうだ。目の前のことしか考えられなかったあの時とは違って、自分は今、たったひとりの人間に拒絶されたことなんかを気にして悩んで、落ち込んでいる。

『……お前も、たまに想うことは無いか。戦場を。そして、この世界が息苦しいと思った事は無いか。清浄すぎる水は、一部の魚しか棲むことはできない。私たちのような、汚濁に等しい水に棲んでいた生物には、……とても、生きづらいと』

 サヴェリエフの言葉を思い返す。

(生きづらい、に決まっている……)

 ミコトは苦々しくつぶやいた。

 今までの経験も通用しない、今まで培ってきた知識など、必要どころかむしろ邪魔でしかない。自分が常識だと思った事は、非常識だと叱責される時だってある。

 この国に、白華学園に来てから、すべてが目新しく、未知の経験ばかりで、自分の中にあるものが、抱えてきたちっぽけなものたちがどんどん崩れていくのが分かる。

 今ここに立っているのに、自分は未だ、あの寒空の戦場に取り残されているような気さえする。

 居場所が無い、というのはこういう気持ちなのだろうか。

(帰りたい、あの戦場に……)

『オレたちの居場所は此処だよ、兄弟。戦場こそが、――いや、だけがオレたちの居場所なんだ。帰る場所も、ここ』

 脳裏に残っているライカの言葉がよく響いた気がした。――大事な事だから、ずっと覚えていたのだろうとミコトには思える。

(帰りたい)

 きっと、沁みついている硝煙と血の臭いに身を浸して、人の悲鳴と怨嗟の声を聞きながら、自分はようやく息ができるようになるのだ。

(帰りたい)

 この水は、あまりにも綺麗すぎる。

 戦場こそが居場所なのだ、こんな平和な世界は、に相応しくない。

 だから帰りたいのだ。

 あの苛烈で無慈悲な場所こそが自分の居場所なのだから。

 間違っても此処は自分の居て良い場所では、居たい場所ではないはずだ。

 刺されてなくても、撃たれていなくても、こんな痛みのする場所はもうたくさんだ。それなのに、どうしてか足が動かない。

 ここから動けない。帰る場所が他にあると分かっているのに、動かないのだ。

 戦場を離れてから、ずっと、クリスマスイブの日にあの若い日本人の医者の男に頭を撫でられた時と同じ、原因不明の胸のざわつきと、正体不明の痛みがミコトを苦しめ続けている。

 片瀬が友達になってくれた時、花崎とくだらない会話をしている時、御宅田に感謝された時、そして、ゴロウに拾われたあの時。

 片瀬に拒絶された時、花崎が泣いた時、ゴロウの元から離れてこの学園に来た時。

 戦場では感じたことがない気持ちばかりが自分の中で渦巻いて、処理しきれない。

(痛い……)

 胸を刺し貫かれるような痛みから、逃れたくて仕方がなかった。

 誰か手を引いてほしい。感情も思考も自我も必要なかったあの場所に帰りたい。

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