3-13

 ほんと、そんなに大したことないよ、などと言いながら走り高跳びのピットに向かう片瀬の後ろをミコトは黙ってついていく。

(……周りから受ける評価に反して、片瀬は自己評価が著しく低いな)

 彼を良く言う者も、そして悪く言う者も口をそろえて片瀬を「優等生」だと評価しているのをミコトは知っていた。

 あきらかな賞賛を何度も受けているのにもかかわらず、謙遜というより、それは。

(極端に卑屈に思えるが……)

 それが彼の処世術なのかもしれないが、それにしてもあまりにも卑下が過ぎる気が

 する。

『なんで? そういうことだろ? 代わりがいれば、それでいいじゃない』

 屋上での片瀬の言葉を思い出す。謙遜、卑屈、卑下、自虐、それどころか彼は自分自身には価値が無いと言いたげな、代わりがいるなどというあの言葉。

 ミコトは幼い日の事を思い出してならなかった。あの硝煙と血の戦場を。いくらでも自分の代わりは存在するのだとしていたあの頃を。

(――自己評価が低いという次元ではない、気がする)

 底知れぬ何かを笑顔の裏に隠している、そんな気がしてならなかった。


「えーっ」

 片瀬がバーの高さを調整していると、それを通りすがりに見ていた女子部員が不満げに声を上げた。

「片瀬君二メートル跳べるのに、なんで一八〇?」

「いや俺今制服でしょ。制服で二メートルのバーなんて飛べないし、無茶だよ」

 苦笑しながら片瀬が答える横で、ミコトはその高さに感心していた。

「これでも君にとっては低い方なのか。すごいな」

「まぁ、このぐらいなら。でもさすがに二メートルはないよ。無理だって。制服で飛ぶのに」

 軽くストレッチをしてから、片瀬はミコトに「じゃあ、見てて」と告げ、駆け出した。

 地面を蹴り、バーに向かってカーブ気味に助走をつける。バーに近づいて来ると俊敏な動きからたん、たん、と踏み鳴らしてタイミングを掴むとまた素早く助走をつけ――片足を力強く踏み切った。

「ふっ――」

 跳躍に成功し、宙に舞い上がった彼の身体は空を仰ぐように反り返る――力強い跳躍とは対照的に、バーを乗り越えた姿勢クリアランスは優雅で美しいものだった。

 マットの上に転がるように着地した片瀬はふう、と息をついてネクタイを直した。

「……と、まあ、こんな感じだよ、走高跳」

「素晴らしい跳躍だった。君の運動能力の高さは分かっていたが、それを再認識した」

 片瀬はミコトの言葉に照れくさそうに頬を掻いてから、

「まあ……走高跳だけは、小学生の頃からずっとやってるから。結構自信あるんだ。良い記録取れるたびに楽しくて、好きだった。記録ってさ、努力とか、そういうのが具体的に分かるから俺は好き。がんばったーってことが、目に見えるのがいい。実感、できる」

 そう答えた。普段、人から言葉で称賛され、人の事も称賛する彼が、単純な数字の羅列でしかない記録を好ましく思うのだ、と。

「……努力したらちゃんと報われるんだって、頑張れば結果が出るんだって、それをはっきり示してくれるから。俺の頑張りは無駄じゃないんだって……」

 噛みしめるように、片瀬は言う。ミコトは彼の熱のようなものを初めて垣間見た気がした。

(片瀬にとって、走高跳というのは、なにか特別なものなのだろうか。それとも……)

 ぼんやりとそう思っていると、片瀬がにっと笑ってミコトに手を差し出してきた。

「――だから、さ。楽しいよ、陸上。よかったら、入部お願いしまーす」

 冗談めかして言う片瀬に、ミコトはしげしげとその手を見つめて黙り込んだ。

「……しかし、俺にはやらねばならないことが……」

「あー、いーよいーよ、すぐ決めろってわけじゃない。気が向いたらってだけの話だからさ」

 片瀬は苦笑しつつ、伸ばした手を下ろす。

「天原が来てくれたら、陸上部も安泰なのになあ」

 片瀬はそんなふうに言いながら、マットから立ち上がると制服についた砂埃を払い落とした。

「じゃあ、部活動見学はこれでおしまいだ。もう時間も時間だし、また見てみたい部活あったらいつでも声かけて」

 片瀬に言われて、時計を見やれば部活動もあと一〇分ほどで終了の時刻になっていた。陸上部の部員たちはミーティングをしているし、サッカーコートではサッカー部員たちがボールや備品の片付けなどを行っている。

「帰ろっか」

「……ああ」

 友人と同じ色の黄昏に染まる空に、ミコトは背を向けた。


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