2-3 二番機の憂い

 爆撃機から放たれたは赤い炎の尾を引いて、すすかすんだ空間を一直線に切り裂いていく。

 立ち昇る黒煙をえぐるように貫き、戦車の上面装甲で青白い閃光をまたたかせると小さな白煙を上げた。 




、命中よし!」


 胴体下に装備するスポットライフ弾道観測砲ルの弾は、投下される爆弾とを空に描いた。照準弾を目標に命中させた今、彼女は爆弾投下の最終段階にある。


《一発の爆弾にすべてを懸ける急降下爆撃にと言う言葉はない》


 教官としてユモ訓練生に繰り返し伝えた光景が脳裏をよぎる。

 

「絶対、外さない……!」


 照準器を覗き込んだまま、爆弾投下スイッチをおおうカバーを跳ね上げた。

 信管の安全装置が解除され、300kgの徹甲てっこう爆弾が目を醒ます。

 

 垂直降下の乱流振動フラッターに負けじと、接眼レンズに押し付けた琥珀こはくの瞳に十字線レティクルが大きく映り込んだ。


「投下よーい!」

 

 まばたきも呼吸も止めて意識の全てを高めるハンナ。

 研ぎ澄まされた感覚が一瞬すらも引き延ばす。


 立ち昇る黒煙と巨大な戦車がゆっくりと映り、すべての音が彼女の耳から遠ざかる。

 

 投下スイッチに添えた手に力がこもった――



 ――その時だった。

 強烈な振動がハンナを襲う。


「きゃあっ!?」

 

 照準器の視界が。すべてが闇に包まれる。

 

「なっ……!! 何!?」


 接眼レンズに打ち付けた右目の痛みをこらえて顔を上げる。

 視界に飛び込んだのは、一つのだった。


 一つだったそれは一瞬で数を倍増させる。

 二つ、四つ、八つ――。


 花弁かべんが空に開く度、衝撃波と焼けた破片が機体を叩く。

 この正体を彼女はすぐに理解した。 


「……!! 一体、何処から!?」 


 巨大な戦車のやや後方、カメラのフラッシュ閃光電球のような明滅がから連続して放たれる。


「―—対空車輛!! 着弾痕クレーターに隠れてたなんて……!」


 泥の穴に身を潜めていたのは、次々に撃破される重戦車を救おうと最前線へ駆け付けた数輌の対空自走砲だった。


(仲間を守る事ために必死なのは、敵も同じってコトね――!)


 対空車輌に戦車のような大口径砲は装備されていない。代わりに連射が可能な機関1インチ砲を二本抱える彼らは、航空機にとって天敵だった。


 間断なく撃ち上がる砲弾の炸裂と飛び散る破片、これに重機関銃の射撃が加わって赤い光の曳光弾筋が機体の周りを引っ掻き回した。


 突如、コックピットに破裂音が甲走る。


「—―——!!」

 

 焼けた破片がキャノピーを突き破り、眼前の計器盤に深々と刺さった。

 ハンナは声を失う。

   

 計器は充填されたグリセリン耐震溶液を撒き散らし、灼熱の破片がこれを焼き焦がす。大きな蒸発音が機内に響くと同時に、半壊した窓ガラスプレキシグラスから黒い煙が濁流の様に流れ込んだ。


 硝煙とガソリンの臭気が肺に押し寄せ、彼女の顔と心を歪ませる。 

 

 鉄と炎の暴風に押し退けられた機体はバランスを失い、適正な降下軌道コースから外れつつあった。


「機体を立て直さないと……!」


 操縦桿の重さにあらが双肩そうけんが軋む。

 

 時速400kmの激流が翼と舵に絡み付き、ハンナの操作意志を阻害した。


 砕けた硝子蓋ガラスカバーの下で高度計が600mを指し示す。

 急降下爆撃機は最低でも高度300mで引き起こす必要があった。

 残された時間的猶予は


「時間がもう……ない!」


 砲弾の炸裂が一瞬弱まる。

 対空機関砲の再装填か、動作不良か。

 いずれにしろ彼女に好機チャンスが訪れた。


(―—今だ!)


 操縦桿を握りしめる。

 直感が彼女を突き動し、経験がそれを支えた。

  

 機体を立て直し、照準を修正―—高度500m。

 機関銃弾が主翼に命中。飛行が乱れる――高度450m。

 機体が揺れて顔面が接眼レンズに激突。

 痛みを堪えてラダーペダルを蹴る――高度350m。

 琥珀の瞳に戦車が大きく映り込んだ。 

 ――高度300m。


 

「投下!!」


 彼女は爆弾投下スイッチを叩いた。




 機体の真横で対空砲弾が炸裂したのは、全くの同時だった。

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