第2話 再会

「奥様~、よくお似合いですよ~!」


 甲高く鼻にかかった様な店員にのせられて、私は一着3万円もするワンピースを買ってしまった。

 両手にある紙袋を少しだけ持ち上げてため息をつく。それらの中には、先ほど購入したワンピースの他に、ブランド物の靴や新しい化粧品たちが仰々しい箱に詰められて入っている。


(はぁ……。私何やってるんだろ……)


 彼からの呼び出しを翌日に控え、私は夫には内緒でデパートへ買い物に来た。色々買い揃えたが、別に明日彼の所へ行くとは決めていない。

 だが都合の良いことに、夫は今日から2泊3日の出張に行っており不在だ。


「どうせ暇だし……ね……」


 私は誰もいない部屋で言い訳じみたことを呟いた。買ったばかりのワンピースとハイヒールを履いてみる。メイクもしてみたが、腕が少し落ちた気がする。


 引き出しを開けると、買ったまま出番のなかった勝負下着を手に取った。その表面積が少なくフリル多めな下着をじっと見つめる。


「まっ、一応……ね……」


 一体私は誰に言い訳しているのかと可笑しくなり、一人でクスクスと笑った。シンとした部屋に私の笑い声が響く。


 ……あぁ、笑うなんていつぶりだろう。


 彼に会えるのを楽しみにしているからなのか、はたまた今まで押さえつけられていた女の部分が久しぶりに目覚めて喜んでいるのか……。

 私は鏡の前で一回転してワンピースのスカートをふわりとさせた。無性に楽しくて仕方がない。




 次の日、また朝から義母の“孫催促”の電話がかかってきたが、不思議と憂鬱な気分にならなかった。


 朝食を食べて自分の部屋に戻ると、壁に飾られたワンピースを眺めた。それはいつもの地味な服とは違い、華やかな色使いとセンスの光るデザインだ。


「うん、会いに行ってみよう。何か用があるんだよ、きっと……」


 ワンピースに袖を通し、仕上げに淡いピンクのグロスを塗る。完璧に仕上がった自分を見て、《虐げられたお姫様が魔法によって変身して舞踏会に行く》という映画の名シーンと重なった。



 約束の30分前には指定されたお店に着いた。外から中の様子を見てみるが、彼はまだ来ていないようだ。

 中に入ると店員さんに奥の席へと案内された。この店は学生時代に彼とよく来たカフェだ。美術館が近くにあるため、店の周辺にはたくさんの緑がありとても落ち着いた雰囲気である。


 頼んでいた紅茶を一口飲む。すると華やかな香りが鼻を抜け、“彼はまだか”とはやる気持ちを落ち着かせた。


「麗華?」


 急に名前を呼ばれ、私ははっと視線を上げた。

 私の目の前には細身のスーツを身にまとった男性が一人立っていた。その男性はとても紳士的な雰囲気を醸し出している。


「えっ……、巧?」


 私が驚くのも当たり前だ。学生時代の彼は服装に無頓着で、いつも絵の具が付いた服を着ていたし、伸ばしっぱなしの髪はいつも乱れており、芸術系学生の典型的なイメージそのものだったからだ。


「麗華、久しぶり。綺麗になったね」


 私はそう言われて答えに困った。だって夫と結婚してからというもの、“綺麗”なんて言葉をかけられたことなんてなかったから。


「巧もその……格好よくなったね?」

「あぁ、ありがとう」


 『格好いい』と言われても全く焦ることなく大人の振舞いをする彼を見て、“この数年で雷にでも打たれたのか?”と思わずツッコミたくなった。



「今日は来てくれてありがとう」

「こちらこそ絵葉書ありがとう。でも突然会いたいなんて驚いちゃった。私に何か用があったの?」

「別に用はないけど、久しぶりに仕事の都合で日本に帰ることになったから麗華に会いたくなって」

「仕事? 巧はどんな仕事をしてるの?」

「絵画修復だよ」

「わっ! 絵画修復士なんて凄いね!」 

「麗華は今は何してるの? 就職先は確かインテリア系だったよね?」


 彼に仕事の話を振られ、私は急に恥ずかしくなった。彼と違って今の私には誇れるものは何もない……。


「……うん。インテリア会社に勤めてたんだけど、結婚して退職したの」


 私は左手の薬指に光るダイヤがあしらわれた指輪を彼に見せた。私ができる精一杯の自慢は、夫が周囲へ見せつけるために私に買い与えたこの指輪だけだった。


「結婚したんだ……。ならごめん呼び出して。旦那さん大丈夫だった?」

「大丈夫。ちょうど出張でいなかったし。それにあの人、私のことなんて興味ないから……」


 こんなこと彼に言って何になるというのだろうか……。きっと呆れられるだけなのに……。


「麗華、今幸せ?」


 私はその予想外な問いに即答できなかった。すると彼が私の手を取り、話を続けた。


「麗華と別れる時、『将来が不安だから別れよう』って言われてショックだった。でも俺それから頑張ったんだ。いつか麗華を不安にさせないくらい立派になって迎えにいくんだって自分を鼓舞して」

「そんな……。もう遅いよ……。私、別の人と結婚しちゃった」

「ねぇ、麗華? さっきも聞いたけど、本当に今幸せ?」


 彼に再びそう問われ、私は小さく頷いた。


「じゃあ、なんでそんなに泣きそうな顔をしているの?

 俺は麗華のことがまだ好きだよ。結婚生活に幸せを感じていないなら俺が奪いに行く。だから教えて。麗華は今幸せなの?」



 この時の私は何と答えるのが正解だったのだろう……。

 気づいた時には、巧の手を取り店の外へと歩き出していた。

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