03_不死身の化け物

 黒瀬は自分を食そうと大きな口を開くダーカーの恐ろしい姿を間近で見た。人を食らうことになんの躊躇ためらいも感じさせない虚ろな白い目に、口の中に規則正しく並んだ無数の鋭利な歯。口から鼻を刺すような血肉の匂いがただよう。


 その恐ろしい姿をひと目見た瞬間、黒瀬は全身に戦慄せんりつが走り、心臓がギュッと握りしめられる。現実から目をそらすように目をつむった。


「諦めないで!私があなたを守る!」


 ダーカーの後ろから、紅園の力強い叫び声がした。彼女は、いつの間にか鎌状の武器を持っており、それをダーカーの首に、思いっきり振り下ろす。彼女の鎌を振り下ろした時の風が黒瀬の顔に優しくあたる。


 直後、黒瀬の目の前で上半身と分断されたダーカーの頭が宙に舞う。黒瀬は一瞬の出来事で何が起こったのか分からなかった。放射線状に宙を舞うダーカーの無表情な顔をなぞるように呆然と眺める。


 ダーカーの頭は地面に転がると、影にすっと溶け込み消えていく。同時に、ダーカーの手が、首からぽとっと剥がれ落ちた。


「ゴホゴホゴホ!!」


 ダーカーの手から解放された黒瀬は、地面に膝をつき、勢いよく咳き込む。額から溢れ出た汗が、地面にこぼれ落ち弾け散った。


「はあ……はあ……はあ……」


 身体が酸素を求めている。深く息を吸って、酸素不足の身体に急いで空気を取り込む。口から取り込んだ酸素が、心臓の鼓動とともに全身を駆け巡っていく。次第に、意識が明瞭になり、呼吸が安定する。


「た、助かったよ。ありがとう」


 黒瀬は、顔を上げて命を救ってくれた紅園に感謝の気持ちを伝える。


「まだ、安心するのは、早いわ」


 紅園は、冷静にそう一言言って、周囲を警戒する。


 彼女の緊張の糸は切れていない。どういうことだ。


 もしかして、ダーカーの頭を切り裂いて終わりじゃないのか。


 黒瀬がそう思い周囲を見渡した時だった。彼らの近くの影が急にうごめきはじめ、一箇所に集まる。そして、一箇所に濃縮のうしゅくされた漆黒の闇から再び先程のダーカーがゆっくりと何事もなかったかのように姿を現す。


「首を切断したのに、生きているなんて……。あの化け物は、不死身なのか」


 大きく見開いた眼に異様なダーカーの姿が映る。黒瀬の中で平然としているダーカーに底知れない恐怖が充満した。自ずと、手が震え出す。手の震えを止めようとしても彼の意思に反して小刻みに震えてしまう。


「あの化け物はダーカー。ダーカーは首を切断したくらいでは倒せない。倒すには、コアを破壊する必要があるの」


 紅園は、何事もないダーカーを目の当たりをしても依然として落ち着いた様子だ。


「コアだって......」


 聞き慣れない言葉に、黒瀬は戸惑う。


「ええ、でも、一筋縄にはいかない。あなたは見ておいて。私があいつを倒す。そのために私が今ここにいるのだから」


 紅園は、黒瀬に微笑みを浮かべると、まっすぐダーカーを見つめる。ダーカーを見つめる彼女からは、心底から激しく燃え上がる熱い闘志とうしを感じる。


「あいつを倒すなんて、危険すぎるよ」


 一人の少女が恐ろしい化け物と戦おうとしている。黒瀬にとって、得体のしれない化け物と一人で戦うことは無謀でとても信じられないことだった。


「心配してくれてありがとう。でも、私は影隠師。私にはあなたを守り抜く義務があるの。安心して。きっと、あの化け物を倒してみせるから」


 紅園はダーカーから人々を守る影隠師だった。どんな窮地でも、ダーカーから守り抜く。そんな覚悟で、日々、影隠師の仕事をしていた。


「でも.......」


 黒瀬は、彼女の言葉を聞いてもなお不安は拭えない。自分が無力なことは分かっている。だけど、自分のために、彼女が命を失うかもしれない。そんな事はあってはならないという気持ちがあった。


「そろそろ、奴が来る」


 ダーカーの邪悪な気配を感じ取り、紅園は鎌を構え直す。ダーカーは身の毛がよだつような不気味な笑顔を浮かべると、黒瀬たちに向かって真っ直ぐ影をぐっと伸ばす。切れ味のよい影は花畑の花をいともたやすく切断して勢いよく進んでくる。美しく咲いていた花が無惨に散り舞う。


「来たわね」


 紅園はとっさに黒瀬の手をぎゅっと掴む。


「えっ!?」


 黒瀬はいきなり紅園に手を握られ、顔を赤らめた。あまり女性に手を握られたことのない黒瀬は急に紅園に手を握られなんだか恥ずかしかった。


「こっちよ」


 黒瀬は視線を下に向けて答えた。


「う、うん......」


 紅園の握る手は、細いながらも、とても力強かった。黒瀬は彼女に誘導されて駆けていく。その直後、先程まで黒瀬たちが立っていた場所に影が到達し通り過ぎる。


「危なかった。誘導してくれなかったら、今頃、串刺しになってたよ」

 

「まだ安心するのは早いわ。あなたはそこの木々に隠れておいて」


 紅園は、近くの大木を指差し黒瀬に言った。


「君一人であの化け物と戦うつもりなのか。僕にもできることがあったら言ってほしい」


「大丈夫よ、私なら一人で戦える」


 そう言うと、紅園は一人でダーカーの方に走り出した。


「朱音!」


 黒瀬は、走り去っていく彼女がとても遠くに行ってしまうような感覚に襲われた。だけど、自分の身を心配してここに留まるように言ってくれた彼女の気持ちを無下にする訳には行かない。黒瀬は彼女の後を追うことができなかった。


 朱音はすごいな。化け物に殺されるかもしれないのに、躊躇ちゅうちょなく僕を助けるためにあの化け物に立ち向かっていけるんだなんて……。


 大木に隠れた黒瀬は自分の無力さを感じ拳を握りしめる。


 曇天どんてんの空が怪しげな音を轟かせる。あたりは真っ暗になり、激しい風が吹いた。


 このダーカー、今まで戦ってきた奴らよりも攻撃が読めない。


 紅園は、ダーカーから目を離さず全速力で走る。一瞬の油断と迷いが命とりになる。幾度ものダーカーとの戦闘経験から、自ずとそのことを彼女は学んでいた。


 一瞬で終わらせる。


 紅園は、ダーカーの元へ走りながら、影を操り巨大な鎌を作り出すと、右手で握りしめる。


「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!!」


 紅園が向かってくるのを見て、ダーカーは甲高い叫び声を上げると、身体を変形させて黒い球体をいくつか彼女に飛ばす。


「なんだ、あの球体は……」


 黒瀬はダーカーから放たれた黒い球体を見て、思わず声が漏れる。無数の謎の球体が迫る中、紅園は球体一つ一つの動きに目をやり立ち止まることなく進んでいく。

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