君の瞳はあの日の瞳

飯田太朗

第1話 依頼

 アルドリッジ総合学校の四年生から卒業するまでの三年間、私を支え続けてくれたあのある種の「奨学金」とでも言うべきお金に関して私が関心を持ったのは、至極真っ当というか、まぁ普通の人間なら知りたくなるような事項だった。何せ自分には全く覚えのないお金が……それも女子一人の三年間の学費に加えて交遊費に使ってもなお余りあるくらいの途方もないお金が、いきなり降って湧いたのだから。

 そういうわけで私は学校を卒業して二年間、教師として真面目に勤めて賃金を得て、まとまったお金ができると真っ直ぐに首都ランドンへ向かった。噂の名探偵の力を借りるために。

 ――シャロン・ホルスト探偵事務所。

 セントクルス連合王国首都、ランドンのロースター街122Aにある私立探偵事務所だ。

 この探偵事務所の噂は本当に色々聞く……例えば、バルミングムの郊外にある「沼屋敷」の亡霊を退治した、だとか。例えば、古代ジプトゥンの秘宝、白金仮面の盗掘事件を解決した、だとか。例えば、魔術王グリーンフィールドの隠し遺産事件に関与した、だとか。要するに、凄腕なのだ。聞くところによると政府の人間もこの事務所に内密の案件を依頼しに来ることがあるらしい。

 そんな素晴らしい腕前の探偵事務所に、私のようなつまらない女の、つまらない事件を解決してもらうのは何だか気が引けたが、しかし私は、やると決めたらやるのがモットーだった。三年間の学費に加え遊んでも遊びきれないくらいのお金をもらった恩を返さずに、ナイトリー家の名が語れるか。母のゾーイはいつも言っていた。「人にはふさわしき贈り物を」。どこかの誰かが私に「ふさわしい」と判断して多額のお金をくれた。私も彼が……あるいは彼女がこのお礼に「ふさわしい」と思うから返しに行く。それだけだ。私は事務所のドアをノックした。

「どうぞ」

 艶やかな女性の声が聞こえた。シャロン……という以上は女性なのだろうけど、随分妖艶な声だ。もしかしたら女性が女性として屈したと思ってしまうほど素晴らしい女性がいるのかもしれない……と、ある種の期待というか緊張感というか、複雑な気持ちを抱いてドアを開けると、果たしてそこにいたのは少女だった。いや、私もまだ十代で、多分一般的には「少女」の範疇にいる人間なのだろうが、そんな私から見ても幼い、かわいらしい女の子がデスクに着いていた。

「どうぞ」

 彼女が椅子を勧めてくる。先程ノックした時に応えた声とは全く別物だ。草の陰で鳴く虫さんのようなかわいらしい声。ではさっきの妖艶な声は……? と見渡して、見つける。

「どうも」

 しっぽを、ゆらり。

 品のいい猫が一匹、デスクの端に丸まっていた。大きな丸い目で私のことをじっと見つめている。この猫、話す……ということは、魔法使いか、その使徒か。

 すると、そんな私の思考を読んだかのように、デスクの少女が笑った。

「こちらは母です。訳あってこの体に」

 はぁ、お母様。私がそんな納得をしていると、少女が続けた。

「改めまして。シャロン・ホルストです。この度は私の探偵事務所にようこそ」

 果たしてデスクの少女がシャロン・ホルストだった。こんな女の子が国中の……いや、ジプトゥンの事件は国外だから、国内外の多数の事件を解決してきた? 笑ってしまいそうだった。いや、失礼なのは分かっているが。

 するとシャロンさんが、まるで私に「安心してください」とでも言うかのように笑った。それからピシッと告げる。

「法改正があってから教師は大変ですよね。オフィーリアさん」

「ええ、本当に」

 私は勧められた椅子に腰かける。

「七年ぶりに教科書の改訂……私が学生をやっていた頃とは勝手が違ってどうにも……」

 と、言いかけて気づいた。私、自分の話なんて一切してない。それはそう、名前さえも。

 思わず手が浮く。

「ど、どうして私の名前が……それに仕事も……」

 するとシャロンさんは私の指を示した。

「指にインクが付いてますね。今日はまだ朝早い時間です。つまり、昨日入浴してからそれほど時間は経っていないはずなのにもう汚れが付着している。今朝ついた汚れと取るより、長い間染みついたものと考えるのが妥当でしょう。洗っても落ちないくらい頻繁にインクが指に着く。新聞記者か、軍の諜報部か、医者か……『指のインク』という特徴からは色々な職業を想定できますが、決め手は爪です。インクの黒汚れの中に白い汚れ……チョークですね? インクとチョークの組み合わせはおそらく教師か博士でしょう。博士は多くの場合、大学で教師をしていることがあるのでほぼ同一と言ってもいい。しかしもしあなたが博士なら、博士というのは常に物事を疑う職業ですから、私のような女の子が探偵なんて仕事をしていても『まぁ、そんなこともあるか』という顔をします。でもあなたはあからさまに怪訝そうな顔をしました。つまり、確固たる常識というものを持っていてそれを示す仕事、おそらく教師なのだろうな、と」

 開いた口が塞がらないとはこのことだろう。私は少しぽかんとしてから椅子の背もたれに体を沈めた。するとすかさずシャロンさんが続けた。

「お母様は元気ですか? オフィーリアさん」

「母は随分前に……」

 と、言いかけて気づく。

「ま、待って下さい。私名前もまだ……それにどうして母のこと……」

 シャロンさんはくすっと笑って私の胸元を示した。そして気付いた。私は母が死んだその日から、母から贈られたロケットを首から下げているのだ。

「『ゾーイからオフィーリアへ』」

 シャロンさんが私のロケットに刻まれている文言を口にする。

「『ゾーイ』は女性の名前。『オフィーリア』も同様。授受関係を想定するにあなたが『オフィーリア』。『ゾーイ』がお母様だと思ったのは、例えばそれが同性の恋人からの贈り物だった場合、もう少し今風のデザインのアクセサリーをプレゼントするだろうと思ったからです。そのロケットは、何となく一時代前のデザインを彷彿とさせますね。おそらくお母様世代で流行ったものでしょう。母から娘に贈られたもの、と取れます。そしてそんなプレゼントを大事に身に着けているのなら、きっと関係も良好なのでしょう。だからお母様の調子を訊いてみました」

 体中の力が抜ける、というか。

 天晴。何も言うことがない。これはあんな噂が……そう、古代王の財宝がどうこういうような壮大な事件を解決した、という噂が立つわけだ。部屋に入って幾許もしない内にほとんど全てを見破られた! この子はすごい。只者じゃない。私は髪を撫でつけ気持ちを落ち着けると話を始めようとした。

「あの、相談内容をお話してもよくて?」

 シャロンさんはにっこり笑った。

「どうぞ」

 私は胸に手を置き話を始めた。

「事の発端は五年前、私がアルドリッジ総合学校の生徒だった頃のことです」

 アルドリッジ総合学校は基礎教育から高等教育、さらに特性のある子には魔法教育まで行ってくれる総合教育機関で、私はそこの魔法科を卒業し魔法学の教師になった人間だった。実を言うと母もアルドリッジで教師をしていたことがあり、家族ごとお世話になっている学校だった。

 アルドリッジは七年制。十歳から成人年齢である十六歳まで在籍することができる。途中で転校することも可能で、ランドン近辺の子供は大抵アルドリッジに二、三年通ってから進路を決める、なんていう場合が多い。もしかしたらシャロンさんもアルドリッジに通っていた経歴のある人かもしれない。全寮制の学校で、寮対抗の行事に卒業生が応援に来るくらい、とにかく行事ごとに熱い学校だ。

「私はアルドリッジのウェストボーイ寮で学んでいたのですが、四年生のある日母が急死しまして。私は母子家庭だったので、学費が払えなくなったのです」

 するとデスクの上にいた猫が……失礼、お母様が反応した。母として思うところのある話だったのかもしれない。

「払えないものは仕方ありません、私は退学して、どこかのお屋敷の掃除婦でもしようと荷物をまとめていたら、校長に呼ばれました。在籍の件について、ということだったので、まぁ正式に退学を言い渡されるのだろうなと思っていたら違いました」

 と、私はバッグに手を入れ一冊の手帳を取り出した。それをシャロンさんに手渡す。

「それの一番最初のページをご覧ください」

 言われるままにシャロンさんがページをめくり、そして目を丸くした。まぁ、それくらいの額が書き込まれている。あれは私の通帳のようなものだった。あの日、多額のお金が私に振り込まれたその日から、どんな些細な出費も正確にあの手帳につけ続けた。つまり、手帳の一番最初のページには私があの日手にした金額の全てが書かれている。

「それだけの額がいきなり、私に与えられたのです」

 シャロンさんが目線を上げ、私の顔を見る。

「これはびっくりしますね」

「でしょう?」

「学費はこれで?」

「ええ。でも十分すぎますわ。卒業までの学費を支払った上で、学年のみんなを……それはもう寮を問わず片っ端から文字通りみんな呼んでパーティを十回開いても、なお余るくらいのお金ですもの」

「確かにそれくらいありますね」

「最後のページを見てください」

 言われるままに、シャロンさんがページをめくる。

「まだそれだけ残っています。加えて……」

 私はもう一冊、カバンから革の手帳を取り出した。

「私の貯金がまとめてあります。この半額を依頼料としてあなたにお支払いします。もう半額を、降って湧いたお金の残りに加えて、送り主にお返ししたいのです」

「なるほど、分かりました」

 シャロンさんは頷いた。

「謎のお金の送り主を知りたい、ということですね?」

「はい。期限はつけません。いつまでかかっても構いませんから、このお金の送り主を突き止めてください」

「お金以外に手がかりはありませんか?」

 シャロンさんにそう訊かれるだろうと思って、私はカバンに三度手を入れ追加の資料を手渡した。

「校長に呼ばれたあの日、この手紙を受け取りました。大事に保管していたので、当時の状態のままだと思います」

 と、カバンから出そうとして手こずった。カバンの口に紙がくっつく。私は破れないよう丁寧に引き剥がすとシャロンさんに手紙を渡した。彼女は手紙を音読した。

「『君の瞳はあの日の瞳』……」

 シャロンさんは興味深そうに手紙を見た。

「かなり崩した筆記体ですね。きっと日常的に字を書く方の字」

 それも……と、シャロンさんは続けた。

「医師や軍人のような、特定の職業の方に見られる崩し方ではありません。多分この人独自の崩し方。特徴がある崩し方ですが何かのマナーに則った崩し方ではありませんからね。それに、『君の瞳はあの日の瞳』。どこか詩的ですね」

「その手紙とふたつの手帳、どちらも貸し出します。どうか送り主を見つけてください」

 私が改めて依頼すると、シャロンさんはまたにっこりと笑ってこちらを見た。

「お任せを」

 定期的に報告を入れます、とシャロンさんがおっしゃってくれたので、私は安心して席を離れた。帰り際、シャロンさんがドアを開けながら私に訊いてきた。

「そのカバン、今流行の?」

「ええ、そうなんです」

 私は微笑んだ。

「磁石で口が閉まる。掏りに遭う危険性が減りますわ」

「ランドンは物騒ですからね」

 シャロンさんが微笑んだ。

「気をつけて、お帰りください」

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