第32話 みんなのために

 コピー・イライザは貧民街で、娼婦の娘として生まれ、ケイトと名付けられた。

 物心ついた頃には売春宿の雑用をやらされ、体が膨らみ始めると客の相手をさせられた。

 実に最悪の環境だった。

 ろくに食事を取らせてもらえず、気がついたら母親は死んでいた。父親が誰なのかは当然分からない。


 ケイトを気に入り、いつも指名してくる客がいた。その客は攻撃魔法の心得があり、電撃を放ってケイトが泣き叫ぶ様子を楽しんだ。

 売春宿は客から高い金をもらっていたので、なにも言わなかった。ケイトはすでに十分に稼いだのでいつ死んでもいいと思われていた。


 ある日。ケイトは見よう見まねで攻撃魔法を習得した。なにせ幾度も喰らったので、体で覚えている。それで客を殺し、売春宿を脱走した。

 走っている最中、ふと前世の――イライザの記憶が浮かび上がってきた。

 十三歳の出来事である。


 それ以来ケイトは、魔法の技を磨きながら、世界を見て回った。

 モンスターに加えて、魔族という未知の怪物に世界は脅かされていた。それだけでなく、貧困、犯罪、戦争と、見れば見るほど世の中は乱れていた。

 売春宿でのケイトの境遇がマシに見える惨状を何度も目にした。


 かつてイライザは、自らの技術で世界を救いたいと思っていた。それは『感謝されるのが嬉しい』という打算から出発していたが、彼女なりに人間を愛していたのは間違いない。

 しかし、この時代を見ていると、本当に人間は救うに値するのか、疑問に思わずにいられなかった。


 それでもケイトは世界を巡り、助けられる範囲で人を助けた。

 やはり感謝されるのは嬉しかった。涙を笑顔に変えるのは誇らしかった。

 また、エミリーという少女が自分を「師匠」と慕ってくれたのが孤独を癒やした。

 エミリーには伝えられる魔法技術を全て伝えた。本当はポーション作りも教えたかったが、その才能は残念ながらエミリーにはなかった。


 エミリーが独り立ちできるくらい強くなったのを見届け、ケイトは弟子のそばを離れた。

 どうしても一人で確かめたいことがあったのだ。


 魔族を作ったのは、古代文明の魔法師。その名はイライザ・ギルモアという。

 そんな話が、考古学者の間では定説として扱われていた。

 絶対にありえない、とケイトには断言できなかった。ケイトも世界を滅ぼしたくなることがあったから。


 真相を確かめるため、ケイトはイライザの工房に向かった。その周辺を守っていた結界塔はとっくの昔に機能を停止させ、モンスターの楽園と化していた。

 それらを駆逐しながら、地下の工房に潜る。


 そこは前世の記憶よりも、遙かに広く拡張されていた。

 そして巨大な水槽がいくつも並び、作りかけの怪物が浮かんでいた。

 明らかに魔族の生産プラントだった。未知の機械だったが、設計の癖で分かる。これは絶対に自分が作ったものだ、と。


 イライザ・ギルモアは、魔族を操って世界を支配しようとした。その戦いは共倒れに終わり、古代文明は滅び、魔族だけが残った。それが学者の定説である。

 しかし魔族生産プラントを見て、違うと分かった。自分のことだから、確信を持てる。


 イライザはただ〝みんな〟を守りたかっただけだ。涙の数を減らしたかったのだ。

 けれど守るべき〝みんな〟の数が多すぎる。

 だから魔族を使って〝みんな〟を減らそうとしたのだ。


 ケイトはずっと思っていた。

 人間は広い範囲で生活しすぎだ。もっと狭い場所に固まっていたら、守るのが楽なのに。もっと人口が少なければ、全員を守ってやれるのに。

 沢山の人がいるから、沢山の涙が流れる。

 自分が人類全体を支配して、管理して、守ってやれば、誰も泣かずに済むのだ。

 だから〝みんな〟を守るために〝みんな〟を減らす。

 ケイトがぼんやりと思想していたことを、イライザは実行に移そうとした。さすがは自分のオリジナルだと感心した。

 そして、イライザの願いはまだ潰えていない。魔族は地上にまだいるし、生産プラントは少し修理すれば、再起動できそうだ。

 自分はオリジナルの願いを受け継ぐために転生したのだと、ケイトは確信する。


「そして俺は、万が一にも邪魔されないため、工房の周辺を零敷地倉庫ディメンショントランクに収納した。タイプ・インフィニティがいるのとは別の異空間のな。プラントを修理し、改造もした。この町の地下には魔物の群れが眠っていて、俺の号令一つで解き放たれる。オリジナルが作ったものより凶暴で、繁殖力も強いぞ。人類を、守りやすい数まで減らす。一万人もいればいいだろう。そして俺と、信頼できる何人かで、それを管理し、守る。もう二度と悲劇を起こさせない。貧困も犯罪も戦争も消えてなくなる。モンスターは俺の魔族が駆除する。どうだ? この計画に協力してくれないだろうか。エミリー。アメリア。そしてインフィ。俺と同じ記憶を持つお前なら、分かってくれるはずだ」


「分かるはずないでしょう。馬鹿ですか」


 インフィは殺すつもりで魔石を投げつける。しかし同等以上の実力を有しているであろうケイトは、同じように魔石を投げて相殺してしまった。


「分からないか。インフィ、お前には絶望が足りないようだな」


「そうかもしれませんね。欲しいとも思いません。あなたが工房に引きこもって魔族と仲良くしていた百年間、エミリーさんがなにをしていたか分かりますか? 世界を少しでも平和にしようと、ずっと戦っていたんですよ。ボクは百年前が、どんなに乱れた時代だったか知りません。けれど今の時代は悪くありません。それはきっとエミリーさんが頑張ったおかげです。あなたの弟子は、あなたが言う絶望を世界から減らしました。なのに、どうして魔族を使って、人間を減らさなきゃいけないんですか」


「ふん。インフィ、お前が言う世界とは、ここから歩いて行ける範囲のことだろう。悠久の魔女の威光が届いていない場所はいくらでもある。そうだろう、エミリー?」


「……はい」


 エミリーは拳を握りしめ、悔しそうに呟く。


「未熟、とは言わない。むしろよくやった。師匠として誇りに思う。だが、どれほどの力を身につけ、善意の塊となって邁進しようとそれが限界だ。更に強くなり、巨大な組織を作れば、一時的には世界平和を実現できるかもしれない。しかし、それは恒久的なものにはならない。どれほど注意を払っても、いつか〝誰か〟が秩序を壊して、また涙が流れる。俺はそれが我慢ならない。新しい〝誰か〟が生まれる余地などいらない。変わらない〝みんな〟がいればそれでいい。さあ、エミリー。お前なら分かってくれるだろう? 一緒に大きな世界を壊して、小さく作り直そう」


「……師匠。あなたが言っていることは、世界のためでも、みんなのためでもありません。ただ自分が安心したいだけではありませんか?」


「そうだ。認めよう。しかし俺が作る世界にいる〝みんな〟は、俺と同じように安心して生きていける」


「では、その世界を作るために犠牲になった人たちは?」


「〝みんな〟のために、必要な犠牲だ」


 それに対するエミリーの返答は、一ダースの光の矢だった。

 ケイトは防御結界を張り、それらを易々と防いでしまう。


「そうか、お前も分かってくれないか。では〝みんな〟のための犠牲になってもらおう」


「私とインフィちゃんで二対一。師匠がいくら強くても、勝ち目なんてありませんよ」


 エミリーの言葉を補足するように魔石が発射された。インフィの仕業ではない。


「吾輩もいるから、三対一じゃな。死ぬがよい、コピー・イライザ。最早、旧マスターとすら呼んでやらぬ」


「三人とも俺を見捨てるのか。残念だ」


 そして、インフィたち三人の一斉攻撃により、ケイトの体は千切れた。上半身と下半身に分かれて地面に転がる。その切断面からは歯車がこぼれ落ちた。


「くっくっく……これはお前たちに挨拶するために作った人形だよ。ただの遠隔操作だ。俺自身は地下にいる。さあ、俺が作った魔族を見せてやろう。戦いはここからだ。俺は負けんぞ。〝みんな〟のために!」

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