第24話 ミノタウロスの角
インフィは家に帰ってからエミリーに、塩の兵士について聞く。
やはり現代でも、どこから感染し、どういう条件で発症するのか、まるで分かっていないらしい。
そして治療法もまるでないと言う。
「ジェマとフローラのことは私も知っているわ。腕のいい冒険者なのに……気の毒ね」
「いえ。実のところ、ボクは治療薬のレシピを知っています。材料もルーマティーの森に行ったおかげで、おおむね揃っています」
「凄いじゃない! けど、おおむね?」
「はい。一つだけ足りない素材があります。それは薬草ではありません。『ミノタウロスの角』です」
ミノタウロスとはモンスターの一種だ。二本の脚で立ち、二本の腕を持つ、まるで人間のような出で立ちである。ただし、その身長は三メートルを超え、そして頭部は牛の形をしている。その頭から生える角は万病に効くとされる。実際、それを材料として使い、正しく調合すれば、塩の兵士さえ治療できるのだ。
しかしモンスターは死んだ瞬間に消えてしまう。腕や足などを切り落とし、そこだけ持ち帰ろうとしても、切ったそばから消えてしまう。
ただし極めて稀だが、モンスターの死体の一部が残ることがある。
例えば、鳥形モンスターの羽根。植物モンスターの花びら。魚型モンスターのウロコやヒレ。獣型モンスターの牙や角――。
その現象は『ドロップ』と呼ばれている。
ドロップするかどうかは完全に運であり、手に入るまで繰り返すしかない。
モンスターの部位はどれも貴重で、使い道がない物でも、コレクションのために高値で取引される。
「ミノタウロスの角……それがポーションの材料になるってのは聞いたことないけど……貴重品よね。王都で売られているのは見たことがないわ」
「王城とか貴族の屋敷に飾られていませんか? ミノタウロスの角は大きくて立派なので、千年前は壁に飾るのが流行っていました」
「今でもそういう好事家はいるわね。でも、ごめんなさい。具体的にどこにあるかまでは知らないの……」
「エミリーさんが謝る必要はありません。ではミノタウロスを狩りまくって、ドロップするのを待つしかありませんね」
そうインフィは判断した。
が、人造精霊が異を唱える。
「待つのじゃ、マスター。吾輩、この時代に来てから色々と情報を集めていたが……ミノタウロスが出現するのは、千年前と同じ瘴気領域じゃ。いくつも山と川を超えねばならぬ。ここバルチェード王国の地図は吾輩にインプットされている。しかし他国のは現地で入手せねばならぬ。途中、街道がどの程度整備されているか分からぬ。巨大な瘴気領域が立ち塞がっているかもしれぬ。おそらくマスターの足で急いでも、最低、片道一ヶ月はかかるじゃろう。トラブルがあればもっとじゃ」
「行って帰ってくる間に、ジェマさんとフローラさんの塩化が進み、間に合わないかもしれない。そう言いたいんですね」
「うむ……」
アメリアは気まずそうに頷いた。
しかしインフィには一つアイデアがあった。それを実現するための素材も人材も揃っている。それを語ると――。
「な、なるほど! その手があったか! マスターの発想は、旧マスターよりも大胆かもしれんのぅ」
アメリアはとても感心してくれた。
一方、古代の魔法が分からないエミリーは、不思議そうな表情を浮かべるばかりだ。しかし、この計画にはエミリーの魔力が必要不可欠。理屈が分からなくても協力してもらう。
インフィはまず、魔石を真っ二つに割った。結界塔の再稼働に使った、あの魔石だ。
割った片方をエミリーに渡す。そして肌身離さず身につけて欲しいと頼む。
理由は二つ。魔力を貯めるためと、とある魔法を発動するため、だ。
そのためにエミリーには王都に残ってもらう。
説明を聞いた彼女は納得し、頷いてくれた。
「では行ってきます」
エミリーに見送られながらインフィは王都を出発する。
アメリアの案内のおかげで、国境までスムーズに移動できた。辿り着いた隣国で地図を買い、可能な限り最短ルートを選ぶ。
それは常人ではなくインフィにとっての最短ルートなので、ときには街道を無視し、未開の森を突っ切ったり、魔族が生息するという険しい山を越えたりした。誰もが避けて通る瘴気領域をも直進する。
そして一ヶ月足らずでミノタウロスが出現する『アウデボル火山』に辿り着けた。インフィだけでは絶対に無理だった。アメリアのサポートがあってこそだ。
お互いの健闘を称え合いたいところだが、本番はこれからだ。
角がドロップするまで、ミノタウロスを殺し続ける仕事が待っている。
山頂では小規模な噴火が繰り返し起きており、火山灰が雪のようにゆっくりと降り続けている。
そんな灰色の斜面を歩いてミノタウロスを探しては倒す。ひたすら倒す。ミノタウロス以外にもロックゴーレムやサラマンダーなども出現する。逃げる時間が惜しいので、まとめて倒す。
やがて、三日目。
もう百匹は確実に殺したというとき、やっとミノタウロスの角がドロップした。
それを拾ったインフィは山を駆け下り、瘴気領域の外に移動する。
町まで戻らず、その場でポーション作成を開始した。
まずルーマティーの森で手に入れた大量の薬草を並べる。ここで種類と量を間違えたら台無しだ。
それらを鍋で煮る。水分が飛び、ヘドロ状になるまで煮詰める。そこにミノタウロスの角を粉末にしたものを加えて、よくかき混ぜる。
変な匂いがしてきた。色は紫で不気味極まる。そんなゲル状の物体を二つのガラス瓶に入れていく。
いつもポーションを入れている小瓶ではない。一リットルも入る大きなガラス瓶だ。
蓋を閉めてから魔力を注ぐ。初めはゆっくりと。それから力強く。
「完成です!」
「さすがはマスター!」
だが問題はここからだ。
いくらポーションが完成しても、ジェマとフローラが手遅れになる前に届けなければ意味がない。
インフィは首の巾着袋から魔石を取り出す。球を綺麗に半分にした形だ。もう半分は王都のエミリーが持っている。
二つは魔法回路によってリンクしている。よって、こちらで魔法を使えば、自動的にエミリーのところでも同じ魔法が発動する。
「転送魔法、発動――」
魔石が砕け、その破片が空中で円の形を作った。円の奥の景色がぐにゃりと歪んでいく。やがて人の顔が浮かび上がってきた。揺れる水面のように安定しないが、おそらくエミリーだ。
「インフィちゃ――聞こ――る? これ繋がっ――の?」
途切れ途切れの声が聞こえる。不完全ではあるが、距離を無視して王都とここの空間が繋がったのだ。
「凄いのじゃ! 原理は
アメリアは褒め称えてくれた。しかし、まだ足りない。たんに通信したいだけなら、これでもいい。音声や映像が乱れたところで、誰かが死ぬわけではないのだから。
だがインフィの目的は、ポーションを王都に転送すること。
その最中に空間の繋がりが乱れたら、瓶が割れてせっかくのポーションが零れるか、それとも時空の彼方に消えてしまうか。なにか起きるか未知数だ。
ゆえに、魔石によって繋がった二つの空間を、別のなにかで安定させてやる必要がある。
「エミリーさん。予定通り、魔石の破片に魔力を注いでください。全力でお願いします。制御はアメリアがやります」
「分か――たわ――」
エミリーが頷いたのが見えた。
そして彼女が魔力を流すのに合わせ、インフィも同じように魔力を流す。
魔石の破片が作る円の外側に、魔力光の円が生まれる。二重のリングによって空間を安定させようというのだ。
「ほう。悠久の魔女と呼ばれるだけあって、強い魔力じゃ」
「はい。ボクも感心しています」
実のところエミリーの魔力量が、ここまで多いとは期待していなかった。
あくまで王都側にリングを作る起点として利用できればいいと思っていただけ。
足りない分はインフィが補う予定だった。が、どうやらその必要がないらしい。
「凄いわ! インフィちゃんの顔がちゃんと見える!」
「ボクからもエミリーさんが見えてます」
空間が安定し、円の向こうの景色が歪まなくなった。エミリーは今、自宅にいるようだ。
「一ヶ月振りに顔を合わたところ申し訳ないが、吾輩の演算能力をもってしても、この安定は長くは保たぬ。急ぐのじゃ!」
「というわけでエミリーさん。これをよろしくお願いします。力尽くでもいいので、ジェマさんとフローラさんに飲ませてください」
「任せて」
インフィは円の奥に、二本のポーションを押し込む。エミリーがそれを受け取る。
リングの魔力光が弱まってきた気がする。慌てて腕を引っこ抜く。
「空間接続、解除するぞ!」
アメリアがそう宣言すると同時に、魔力光が完全に消える。そして魔石が作っていた円が空間ごと裏返り、折りたたまれていく。
エミリーが見えなくなった。景色がもとに戻った。
そして魔石の破片は、接続が解除される際、吸い込まれるように消えてしまった。
「……魔石、エミリーさんのところに行ったんでしょうか?」
「それなら、あっちの魔石がこっちに来るのではないか? 異空間に飲まれて消えたと考えるのが妥当じゃろうな」
「すると回収は無理ですね。高かったのに。もったいない」
空間を操る魔法は、こういうのが怖い。
しかしポーションは異空間に落ちることなく、エミリーに届いたはずだ。渡す際、少しだけ指が触れた。ちゃんと体温を感じた。
だからエミリーが、すぐにジェマとフローラを見つけて飲ませる――はずだ。
ここからだと王都の様子を知る方法がない。
インフィは自分の魔法が本当に上手くいったのか不安になってきた。
だから急いで戻る。
一度通った道なので、帰路はたったの三週間で済んだ。
王都の門を潜り、そのまま冒険者ギルドに飛び込む。
「ジェマさんとフローラさんは生きてますか!?」
受付嬢にそう叫ぶと、背中をつつかれた。
振り返ると、そのジェマとフローラがいた。二人はインフィを力一杯、抱きしめてきた。塩になって崩れたりしない。ちゃんと生きている。
間に合った。
インフィは安堵し、全身から力を抜いた。
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