第39話:十吾

≪回想≫

 俺の記憶は幼稚園の年少組の頃からある。

 そして、その時から虐めがあった。

 もちろん保育士は見てみぬ振りである。


 理由は簡単だ、御袋が種付けおじさんに襲われ、その子供を出産したからだ。

 勿論ウチの御袋は犯罪どころか違反だってしちゃいない。


 イカレた種付けおじさんが、通りがかった女を襲い、それがたまたまウチのお袋だったというだけだ。

 そしてお袋は妊娠してしまった、種付けおじさんの子供も。


 種付けおじさんに襲われたせいでお袋はしばらく正気を失っていた。

 そして何とか普通に喋れるようになった頃になって、ようやく病院側に経緯を説明できたんだが、そこでまた面倒ごとがあった。


“種付けおじさんに孕まされた女はその子供を必ず出産しなければならない”

 というルールがあったからだ。


 もちろんこれは種付けおじさんによる制裁を受けた奴を社会的に、徹底的に辱める為のルールなのだが、お袋にそれが適用されるかどうかで議論が必要になった。


 本当にただの被害者なのか、実は何か犯罪に手を染めようとしていたのではないか?

 そして様々な調査を経て、お袋の無実と手を出した種付けおじさんの駆除が終わった頃には、もう堕胎できる段階を過ぎてしまっていた。


 その結果、お袋は種付けおじさんの赤ん坊を出産してしまった。

 もちろん赤ん坊は即行で施設に送られた、顔も見たくねぇだろうからな。


 そして不幸はそれだけで終わらなかった。


 先ず、親父とお袋が離婚した。

 お袋が種付けおじさんに襲われたせいで、周囲から犯罪者予備軍なのだと思われていたらしく、一緒にやっていけないという判断だったらしい。

 あとは、種付けおじさんの子供を孕み、産んだ女を愛せなくなった事も大きな理由だろう。


 こうして俺は父親像なんてものを知らずに育つ事になった。


 そして俺とお袋は、これまでの事を忘れる為に新天地で新たな生活に励もうとしていた。

 しかし、ここでも悪い運命ってやつは追ってきた。


 俺が小学校の二年生になった頃か、お袋が種付けおじさんに制裁されたという噂が近所に広まった。

 俺はクラスメイト全員がイジメるのを教師が黙認していた程度で済んだが、お袋は地獄だった。


 種付けおじさんに制裁されたという事は、何かよからぬ事をするのではないかと疑われた。

 職場の女性社員からは、忌まわしい子供を産んだ女として蔑まれ、ついにはクビにまで追い込まれてしまった。


 それからも様々な職場を転々としていったが、そのどれもが長続きしなかった。

 今でも、毎日のように自分の子供に頭を下げて謝るお袋の姿を忘れられない。


 そして何度も何度も、俺とお袋は転校と引越しを繰り返してきた。

俺にとってはもうそれが常識であり、当たり前の日常になっていた。

幸福であるとは口が裂けても言えないが、それでもこの生活がずっと続くと思っていた。


 中学校の入学式から帰ったら、お袋がクビを吊っていた。

 遺書は真っ黒になるほど俺への謝罪文が書き込まれていた。


 そして俺は何も分からず、無我夢中になって走った。


 どうすれば良かったのか。

 どうしてお袋は俺に何も言わず死を選んだのか。

テレビやニュースではあれほど人を助ける事を善としているのに、誰も助けてくれなかったのは何故なのか。

 悪いのは一体誰なのか。


 いつの間にか真夜中になっていて、俺は大きな神社のご神木の前にいた。

 別に神頼みしに来たわけじゃない。

 ただ、一番悪いものがあるとしたら、それは神なのだろうと思ったからだ。


 疑問も、怨みも、怒りも、その全てを込めて木を思い切り殴りつけた。

 俺の身体よりも幅のある木だ、ビクともしなかった。

 それでも俺は何度も何度も殴り続けた。


 答えなんて返ってくるはずもなく、痛みだけが返ってきた。


 それでもまぁ気は紛れたよ、おかげで殴ってる間は冷静に考えられた。

 そもそも、何処で間違えたんだろうってな。


 お袋と引越しばかりしていたときか?

 違う。


 親父が離婚したときか?

 違う。


 なら、もう一つしか残っていない。

 種付けおじさんにお袋が襲われたときだ。

 つまり、悪いのは種付けおじさんって事だよ。


 こんなのが生きてるから世の中よくならねぇのさ。

 だから俺は、この世の種付けおじさん全てを絶滅させることを決めた。


 そしてその誓いを確かなものにする為に、自分の逃げ道をなくす為に、あらゆるものをそこで捨てる事を決めた。


 俺はさっきまで殴ってた神木に向けて、思い切り顔面をぶつけた。

 鼻の骨が折れて血が大量出てくる……まだ足りない。


 何度も、何度も木に顔を打ちつける。

 意識が途切れる度に、血が地面に落ちる度に、自分の中にあるあらゆるものが捨てられていくように感じた。


 そうして俺は自分の顔を徹底的に破壊した。

 両親が残した面影など見る影もなく、醜く無残な……まるで種付けおじさんのような顔になっていた。


 そして俺は真っ赤に染まった木の皮を剥ぎ、それでマスクを作る。

 この顔を隠す目的もあるが、種付けおじさんは必ず顔を隠すマスクを付けている。


 そう、俺は種付けおじさんを滅ぼす為に、やつらのコミュニティに潜入する。

 人権も、顔も、名前も、血も、過去も捨てて、俺は種付けおじさんになる事を決めたんだ。


 俺はそのままの足で種付けおじさんの住む公園に向かった。

 そして自分が新しい種付けおじさんだと言い、そこにいた種付けおじさんと共に暮らすことになった。


 最初は不信そうだったが、俺がまだガキだったって事もあって同情して世話をしてくれた。

 種付けおじさんの本業について、役割について、社会での生き方や、逃げ方。

 種付けおじさんに関するあらゆる事をそいつから学んだ。


 そんな生活を一年、二年としていく内にそいつとは完全に打ち解けた。

 そいつは俺のことはもう全く疑うこともなく、俺はそいつとの暮らしを堪能していた。


 色々な事を教えてもらい、導いてもらった。

 そいつが見せる優しさのせいか、俺は知らない父親像というのをそいつに見てしまったのかもしれない。


 嗚呼、このまま普通に種付けおじさんとして生きるのも悪くないと思った。


 だから翌日、俺はそいつを殺した。

 流石に真夜中に喉を掻っ切られたらどうしようもないだろう。


 俺がそのまま情に絆されるとでも思ったか?

 そんなワケあるかよ。

 その程度で満足するなら、最初から人権なんて捨てずに全部忘れて生きてたわ。


 そうして俺はそいつから奪ったのさ。

 “十吾”ってのをな。

そう……お前らがさんざん呼んできた名前だよ、兄弟。

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