第32話:逃れられなかったものたち

 繁華街を蹂躙した種付けおじさん達は、ここで大きく二つのグループに分かれた。

 一つは先ほどと変わらず、狂気に身を委ね暴虐の限りを尽くすグループ。

 そしてもう一つは、正気に戻ってしまったグループだ。


 今まで虐げてきた連中に対して復讐を果たした、その時の快楽は絶大なものであった。

 しかし、その衝撃があまりにも大きすぎた事で、狂気を手放してしまった。

 残ったものは【死にたくない】という原初の本能。


 種付けおじさん達は必死に考えた。

 先ずこの暴動は必ず鎮圧される、警察をどうにかした所で自衛隊が出てくる可能性がある。

 では今から必死に逃げれば見逃して貰えるか?

無差別に大多数の人死にを出しておいて、そんな都合の良い事などあるはずもない。


だからと言って諦められるはずもない。


 そうして正気に戻った種付けおじさん達は、ある行動に移った。


 狂気に染まったグループは思うがままに暴虐に浸っている事で、行動がバラバラになり人の少ない店に入っていた人達は命拾いした。


 だがこちらの種付けおじさん達は違う。

 一軒一軒、虱潰しに、人を見逃さず手当たり次第に浚って行く。

 子供、女性、そして男性も全てを工事中のビルの中に連れて行った。


「皆さんには、人質になってもらいます」


 集まった人質達に向けて、イクトがそう告げる。

 突然の事に戸惑う人々の中から、一人の中年の男性が立ち上がった。


「ふざけるなよ! こんな事してタダで済むと思ってんのか!?」


 威勢よく大声をあげる男を見て、種付けおじさん達は小さく笑う。

 膝は笑い、声も震え、顔色は真っ青な虚勢……先ほど堪能したはずの優越感が再び全身に駆け巡る。


 しかしその中においてもイクトは冷静に言葉を返す。


「その為の皆さんです。交渉さえうまくいけば、無事に帰す事をお約束しましょう。しかし、そうでない場合は……」


 悪い想像をしたのだろう、人質になった人々がさらにざわついた。


「全員で逃げよう! この数だ、全員は捕まえられない!」


 先ほどの中年の男性がそう主張する。

 建設途中のビルには既に百名近い人質がおり、今もなお増えている。

 このまま増えれば逆に種付けおじさんの方が劣勢になる恐れもある。


「うっせぇ奴だな」

「な……何をする、止めないか!」


 イクトとは別の種付けおじさんが中年男性の足を持ち、そのまま引きずっていく。

 地面を引き摺られている事もあり中年男性は抵抗する。


 それが鬱陶しく感じたのか、種付けおじさんが中年男性の足を持ったまま振りかぶり、後ろから前へと振り抜いた。

 鈍い音と血、そして何本かの歯が抜けた。


「ひ、ひぃぃいいいいいい!!」

「黙れ」


 中年男性は悲痛な叫びをあげる。

 そして種付けおじさんがもう一度振りかぶり、地面に叩き付けた。


 再び叫び声が上がる。

 また叩き付けられる。


 今度の叫び声は小さくなる。

 それでもまだ叩き付けられる。


 そして何も言わなくなった所で、もう一度中年男性の足を引っ張って運ぶ。

 近くにあった階段を昇り、窓ガラスがまだはめられていない場所から、無造作に外へと放り投げた。


 何かが潰れる音がした。

 だがまだ動いている。

 芋虫のように、蠢く事しかできない姿。


「外に出るなら、こうなる覚悟くらいは持っておけよ」


 二階にいた種付けおじさんがそう言うと、工事途中のロビーに大小様々な悲鳴が鳴り響いた。

 それが癪に障ったのか、中年男性を放り出した種付けおじさんが、次はお前の番だと言わんばかりに、悲鳴を上げていた女性の足首を掴む。


 女性は必死に悲鳴をあげて抵抗するが、逆効果であった。

 種付けおじさんが中年男性にしたように、女性の足首を持って振りかぶり―――大きくパン、という音がした。


 全員が音の方向を見る、女性の足首を掴んでいた種付けおじさんもそちらの方向へ振り向く。

 そこには、大きく手を叩いたイクトがいた。


「人質というから怖いんですよね。ならば、保護というのはどうでしょうか?」


 それを聞き、全員が頭に疑問符を浮かべる。

 その隙をつきイクトは更に説明を続ける。


「外には暴れている種付けおじさん達がいます。ここで逃げた所で、捕まればもっと大変な目に遭う事でしょう。だから、保護です。我々の言う事を守る限り、国からの救援が来るまで我々がしっかり皆さんを守る事をお約束しましょう。一先ずは……静かにして頂けますか?」


 嘘である。

 必要とあらば危害や拷問だってするつもりだ。


 イクトは後天的な種付けおじさんである、だから嘘をつける。

 政府と交渉した所で、絶対に上手く行かないだろうと予想していた。

 そしてこの中の半数以上を手にかけることも。

 だがそれを知らない人々は安堵し、静かになった。


 望んだ通りになったというのに、イクトの顔色が悪い。

 それもそうだ、イクトは犯罪者だから種付けおじさんになったが、ここまでやれる程タフではない。


「ここは任せました、僕も外で浚ってくる役をやってきます」


 そう言ってイクトは工事途中のビルから出て行こうとするが、他の種付けおじさんがそれを呼び止めた。


「おいおい、いいのか? お前さんリーダーみたいなもんなんだから、どっしり構えててもいいだろうに」

「リーダーだからこそ、率先して働かないといけないんですよ」


 作り笑いでそう言い、イクトはそのまま出て行った。

 途中、瀕死となって地面を蠢いている中年男性の方を見た。


 別の種付けおじさん達がそれを取り囲んでいる。

 指を差して笑う、唾を吐きかける、小便をかける……。


 仲間のその姿があまりにも醜悪だから、イクトはこの場から一刻も早く離れたかった。


「正気なのは、僕だけか」


 そう独り言を呟き、混沌に支配された街に出る。


 正気に戻ってしまった種付けおじさん達とあったが、訂正せねばならない。

 この種付けおじさん達は狂奔から逃れた。

 だが、別の狂気に呑まれただけであった。


 当然だ……こんな事、正気で出来るわけがない。

 結局イクトを含め、誰もこの狂った状況から逃れる事ができなかったのだ。

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