第29話:約束の日
十二月中旬、街では初雪がいつになるかという話題が出てくる頃。
トーマとヨシトの両手にはダンボール箱が四つも重ねられていた。
「アダーラ杯の後から試供品やら何やらを大量に送り付けられてな。余った分は持って行ってくれ」
あれからというもの、トーマとヨシトには頻繁に空島事務所から連絡が来ていた。
各種報道陣が事務所の前で待機している事もあり、中には入らず裏道へ向かうだけなのだが、それだけでもおかしな事を考えている者を抑止できるというものであった。
そしてその報酬がダンボール箱に入った様々な商品である。
普通ならばその働きに見合った給料というものを支払うべきではあるが、種付けおじさんはコンビニで商品を持っていく時ですら何倍もの金額を置いて見逃されている状態なので、現物支給というのは色々とありがたかったりする。
とはいえ、大公園に住む面子だけで全てを消化できるわけもない。
余った分は近くの種付けおじさんコミュニティへお裾分けし、その甲斐もあって険悪な態度を取られた種付けおじさん三体のコミュニティも若干態度を軟化させていた。
こちらは前回のゴトーの仇討ちの際にトーゴが無理やり連れて行った事で、自身の立場などを分からされた事も大きい。
だが新人達の顔色は落ち込んでいるようなものではなく、どちらかといえば何処か痩せた獣のような暗さがあった。
なにせ種付けおじさんになって最悪な気分だった所に、自分は安全だと思い込んでいた若者達を一方的に蹂躙する場面を目撃したのだ。
その力に目を奪われるのも致し方ないとも言える。
そんな新人を教育する為にも古参の種付けおじさんが導かねばならないのだが、生憎とつい先日に十一の種付けおじさんが駆除された。
そのせいで若い個体をどうにかする数が足りていないのが現状だ。
だからこそトーマは何とかしなければと考えているのだが、如何せん経験が足りない。
こういう時に無理やり力で言う事を聞かせるという手もあるのだが、トーマには不可能である。
何故ならば、今まで一度も誰かを殴った事すらないからだ。
一般人には畏怖させ、襲う事しかしない。
そして仲間にはそんな事をする理由がない。
そのせいで、ああいった手合いには手を出せないのである。
「すみません、ちょっといいですか?」
トーマが事務所の裏口でどうしたものかと考えていると、星見が後ろからスーツを引っ張っていた。
「実はゴトーさんの事もあって自粛していたんですけど、そろそろアダーラ杯優勝の祝賀会をしようかって話があって」
「あ、オレ聞きました。クリスマスっすよね。というか当日チーズケーキ作りに来てくれってガキンチョ達に駄々こねられましたし」
星見とヨシトの話を聞き、トーマが唸る。
トーマにとって今の状況は不健全かつ異常な事態なのだ。
それは種付けおじさんにとってというよりも、犯罪者でも何でもない星見達にとってはという事だ。
頼まれたら断れない事でズルズルと今の関係を続けてしまっているが、いつかどこかでこの関係を終わらせなければとトーマは思っている。
だが星見にとっては違う。
人を助くるものが、自分を助けてくれた誰かが救われないというのが、たまらなく嫌なのだ。
誰かを救ったならば、その人も救われてほしいと願う、まだ仄かに青い善性があった。
「だからトーマさん達にも、是非サンタ役として参加してほしくて……駄目ですか?」
「駄目というわけではないけど、その日は……その……五十下さんの宴会があってね……」
しどろもどろとしながらトーマが答える。
既に予定があるならば諦めるべきかと星見は考えたが、そんな彼女の脳裏にあるシーンが思い出される。
トーマに助けられた日、共に外でコーヒーを飲んだ日。
なんてことのない、特別でも何でもない時間。
そんな事で、トーマは生涯の夢が叶ったと語った。
星見はそれが納得できなかった。
当たり前のようにある、当たり前の日常。
たったそれだけの事で救われる事に、救いがないと感じた。
だから彼女はトーマを引っ張った。
夢はまだ探せるのだと、自分の生きているこの世界にはまだ素晴らしいものがあるのだと知ってもらいたくて。
だから彼女は少しばかり卑怯な手を使う事にした。
涙は使わない、それはトーマに心配させてしまうから。
「……嫌だったりしますか?」
「いや、そんな事はないけれども!」
こんな事を言われて嫌だと言える男はいない。
そしてトーマは嘘をつけない先天的な種付けおじさんである。
だからこの問いには否定する事しかできない。
「なら、来れるようなら来てくれますか?」
「…………まぁ、行けたら行こう」
現代社会において行かない事の代名詞となる台詞だが、トーマにとってその言葉はそのままの意味を持つ。
「じゃあ楽しみに待ってますね」
そう言って星見は笑顔で事務所の中へと入っていった。
トーマが嘘をつかないように、彼女それに応じて本音で返した。
「……あれは卑怯じゃない?」
トーマが同意を求めるようにヨシトへ話を振る。
「ずるいアイドルっすね。……最高じゃないッスか」
トーマは目を輝かせるヨシトを困ったように見ていた。
こうやってずるずると時間をかけて関係を続ける事になるのだろうかと、トーマは溜息を吐く。
だがそうはならない。
何故ならその時間がもう無いからだ。
日本史にも記録される惨劇のホワイトクリスマスが、もうそこまで迫っていた。
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