第24話:分岐路

 生臭く、それでいて濃厚な死の臭いがする。

 体を丸めながら白を赤黒さのコンストラストに彩られているゴトーの死骸を見て、全員が息を飲んだ。


「ゴトー……さん……?」


 ヨシトが恐る恐る声を掛けて体をゆするが、何の反応も返ってこなかった。


「ハァ~、やれやれだな」


 イクトは俯たまま動かず、トーゴとトーマが重い足取りでゴトーに近づき、体を確認する。


「……駄目だな、とっくにお陀仏だ」


 種付けおじさんの肉体ならばと思い首筋と手首に手を当てて見るが、脈が確認できず大きな溜息を吐く。


 ゴトーの体を仰向けにさせると、腹の辺りに何か膨らみがあるのを見つけた。

 後生大事に抱えていたそれは、ここに来た目的でもある純白の衣装であった。


「馬鹿野郎……種付けおじさんになって失うものは命くらいだって、自分で言ってただろうがよ」


 わずかな染みすらないその純白の衣装を見て全てを察したトーゴが、忌々しそうに吐き捨てる。

 トーマはスーツの上着を脱ぎ、それでゴトーに付着している血を拭きとる。


 背中や後頭部を見ればあまりにも一方的なリンチであった事は一目で分かるほどだというのに、ゴトーの顔は何かを成し遂げた、誇らしげな表情をしていた。


「あの……それで、これからどうするンすか?」


 ヨシトがそう尋ねると全員の視線が一斉に集まり、たじろいでしまう。


「死骸なら役所が明日にでも回収してくれるでしょう。ただ、それだけではないですよね?」


 イクトがタバコに火をつけたトーゴに話を振る。

 トーゴは大きく息を吸い、煙を吐き出す。


「報復だな」

「えっ……」


 短く、それでいて確かな一言を聞いてヨシトが動揺する。


「殺したりはしないさ。だが、このままというわけにはいかない」


 トーマが静かに、それでいて重くるしくヨシトに言うが、ヨシトにとってあまりにも非現実的な状況と、その物騒な単語によって更に混乱する。


「あの、その、でも、オレら、種付けおじさんですよね? そ、そんな事して……いいんスか?」

「いいワケねぇよ、俺らは悪人を裁く事を見逃されてるだけだ。そして種付けおじさんを殺しても罪にならない、つまり本来俺らが手を出しちゃいけねぇ相手―――」


 トーゴの顔が大きく歪み、口にくわえていたタバコを噛み千切る。


「だから実行犯を見つけて二度と種付けおじさんの前に立てねぇくらい徹底的に陵辱する。その後は警察に駆除されて手打ちって事になるな。……おっと新人、お前を生贄にはしねぇよ。ただ、最初から最後まで見学はしてもらうがな」


 警察に駆除される……それは死ぬと言う事だ。

 だというのに、あまりにも軽く言うのでヨシトは困惑する。


「く、駆除されて手打ちって……ゴトーさんの仇討ちの為にトーゴさん達が命を捨てるって事ッスか!? お、オレ、そんなの―――」


 何かを言おうとするが、そこから先の言葉が出てこない。

 俯きながら肩を震わせるヨシトに、トーマが語りかける。


「いや、この問題はもう私達だけの問題ではなく、種付けおじさん全体の問題だ。もし我々が殺されても無抵抗であれば更なる被害が起きる。だから、我々に手を出したらどうなるかを、犠牲を覚悟して示さなければならないんだ」


 そう諭されるも、ヨシトの感情が追いついていなかった。

 数日前まではアイドルと一緒にいた、数時間前まではイベントを楽しみにしており、数十分前までは皆が揃っていた。


 それが今、突如消失したのだ。

 いくら遺伝子調整によって肉体を改造されたとしても、心まではまだ成熟していない。

 大きすぎる事態を抱えられるほど精神が強くないのだ。


 だが、それでも時計の針は進み続けている。

 ヨシトがこの事態を受け入れられなかろうとも、これからどうなるかは既に決まっているのだ。


「今連絡つけました。大公園付近で見かけた怪しい奴らを調査してもらってます」


 スマホを手にしていたイクトがそう報告する。

 表情は読み取れないが、普段と違うという事は付き合いが短いヨシトでも分かるものであった。


 トーマは深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。


「それじゃあ、私達も仲間任せにしないで探しに行こうか」

「あの、それ……」


 ヨシトが気まずそうにトーマが持っている純白の衣装を指差す。

 それを見てトーマも気まずそうな顔をする。


 ゴトーの仇討ちをするのが筋ではある。

 だが、ゴトーが命を掛けて守ったものを蔑ろにするわけにはいかない。


「兄弟が会場に持っていけばいいだろ、こっちは俺らに任せとけ」

「……いいのか?」

「ここで間に合わなかったら、それこそゴトーが無駄死にだろ」


 これがどうでもいいものならば、ゴトーはこの衣装を投げ捨てて逃げていた事だろう。

 しかし、ゴトーはこれを守って死んだ。

 ならば然るべき者に委ねるのがスジというものである。

 トーゴの言葉にトーマが静かに頷き、街を走る。


 そして数十分後、会場に戻ると関係者用の入口に星見と夢の二人が待っていたので衣装を手渡す。


「やったぁ、ぼくのドレスだ~! ありがと~!!」


 そう言って夢は満面の笑みを浮かべ、ドレスを持って小走りで着替えに向かう。

 あの笑顔をゴトーが見られればどれだけ良かったかと、トーマは思う。


「あの、他の皆さんはどうしたんですか?」


 いつもと違う雰囲気を察した星見がトーマに尋ねるが、何も答えない。


「……どうして服に血がついてるんですか? ゴトーさんに何かあったんですか?」


 上着でゴトーの血を拭いたせいか、他の箇所にも血が付着していた事にトーマは気付いていなかった。

 種付けおじさんであれば、いつもであれば気付ける臭いに気付かないほど、トーマの心は憔悴していた。


 これまでも仲間の死は何度も見てきた。

 だが、つい数時間前まで見ていた希望が彼を弱くした。


「教えてください、何があったんですか」


 星見が真っ直ぐな瞳で問う。

 種付けおじさんは嘘をつけない、だからトーマはそれに答える。


「ゴトーは彼女の衣装を守って死んだ。集団リンチだった」


 それを聞き、星見の顔色が真っ青になる。

 そしてそのまま後ろに倒れそうになり……トーマが手を出す前に、自力で踏みとどまった。


「……すみません、取り乱してしまいました。あの、なんて言えばいいのか……」

「気にしなくていいよ。種付けおじさんであれば、そういう事もある」


 トーマの諦めたようなその言い方が、余計に星見の心を締め付けた。

 彼女は考える、何を言えばいいのか、どうしたらトーマを慰められるのかを。


だが何を言った所で、たかだか十七年程度しか生きていない自分の言葉で解決するような問題でもない。

星見は自身の未熟さを呪った。


「それじゃあ、頑張って―――」

「待ってください!」


 踵を返そうとするトーマの腕を掴んで止めた。

 確かに自分にできる事はそう多くない、だからといってこのまま何もしないわけにはいかないという思いがあった。


「あと少しで私達の出番なんです。お願いですから、見て行ってください」

「いや、私にはやることが―――」

「それでも、それでもどうか……お願いします」


 ここでトーマを行かせてしまえば、二度と会えないという確信が彼女にあった。

 トーマが星見を助け、そして星見がトーマの夢を叶えた。

 そして再び星見がトーマを頼り、様々な縁を繋ぎ、ここに辿り着いたのだ。

 これはトーマと星見が、互いに積み重ねた時間の集大成……トーマなくしての結末など在り得ないのだ。


「……分かった、見ていくよ」


 懸命に涙を流さないよう我慢する女子を前に、断る言葉を持たなかったトーマはどうしようもなかった。


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