第2話 推しの尊み、破壊力よ

 体力を回復するだけでなく、リッチェの記憶と私の人格が馴染むまで、眠る必要があったのだろう。起きてもすぐうとうとして眠りに落ちてしまい、薬膳を食べては眠る生活を続ける羽目になり。


 意識がはっきりしてまともに考え事をしたり、身体を起こして動かしたり出来るまでには、なんとそれから二週間もかかってしまった。


 記憶は、記録として見返すことが出来るようなものではなく、実際に感じて考えて動いた、生の記憶が自分のものとして思える程に馴染んだ。

 お陰で、自分の部屋だったり寮の設備だったりを、何の違和感もなく使えるし、それだけじゃなく、この世界における常識などの価値観にも、大分影響を受けたようだった。



 やっと、状況を整理できる。



 どうやら私は鳥人女性のリッチェに転生したようだ。

 最初に感じた背中の違和感はどうやらこの、立派な羽根のせいらしい。記憶が馴染んだ今はもう自由自在に動かせるし、自分の体の一部だと認識している。


 世話をしてくれた女性隊員の説明によると、私は任務に失敗し、口を割らされる前に仕込んでいた毒で自害したとのこと。


 彼らは私が、運よく仮死状態となって息を吹き返したのだと思っている。すぐに気が付いた隊長が、遺体を傷めつけられる前に回収してくれたお陰だろうと。


 隊長は狼人で、群れの長となると、属する者に対して庇護欲が発生する性質があり、彼がそんな人だからこそ助かったのだと。


 周囲には、そう思ってもらった方がいい。

 実際は、リッチェはその時に亡くなってしまったのだと思う。憑依ではなく転生だという話だったから。


 それならそれで、何でリッチェが早々にここで死んでしまったのか分からないんだけど、それは今は置いておく。


 まずは分かっていることから。


 ここはトラキスタ唯一の大陸にある、大国、ジスター帝国の首都。皇城敷地内にある諜報部隊専用の寮だ。


 とりわけ重要なのは、ジスター帝国の歴史である。

 何故かというと。

 帝国の成り立ちが、この物語の深いところに関係しているから。


 人類は歴史上、モンスターに攻められて、一度絶滅の危機を迎えたことがあって。そこに二柱の守護者、古代龍と世界樹の加護をそれぞれ得た、二人の男女の英雄の活躍によって戦況が覆され、半々まで生息圏を取り返した。

 その戦を聖戦と呼び。

 その後に人類最初の国が建てられた、それがジスター帝国なのである。


 帝国は君主制で、皇族と貴族階級があり、初代皇帝と英雄が人間だったために、そういった特権階級は人間が占めていて。人間以外の人類を亜人と呼び、差別迫害している。


 そしてそんな恐ろしい帝国において、私は鳥人だったりする。しかも、皇室付第十三部隊の所属だ。


 なぜ、迫害されているはずの亜人が、皇室付の部隊に所属しているのか?


 皇室付の部隊は、近衛騎士が所属するもので、表向きは十二までしかない。十三番目のこの部隊は、諜報部隊で影と言われている。

 隠されていて、その存在は皇室しか知らない。


 しかも極めつけ。全員、亜人で、奴隷魔術にて縛られているのだ。


 人間は魔法適正が高い者が多く、対して亜人はスキルに恵まれ、諜報に適した者が多いゆえ。亜人に皇室付の栄誉を与える訳にはいかないからこその奴隷扱いだ。




 では、ストーリーの話に移ろう。


 物語は、女神の奇跡が起きて、奴隷が解放されてから半年ほど後に、女神のお告げが降りてから本格的に始まる。

 聖女の居る教会がお触れを発し、勇者一行を集めようとするのだけれど。現実には名乗り出てくる者はほとんどおらず、最初に集まった僅か数名で、他のメンバーを探す旅に出るのだ。



 隊長と私がまだここに居るということは、女神の奇跡はまだ起きていないということ。

 リッチェとしてスタートするなら、確かに、この時点でないと未来を変えられない。

 何故ならこの時に、大きな運命の分岐点があるから。



 後に女神の奇跡と称されるそれは、唐突に、大陸の至る所にある龍穴から神力が噴き出して、魔族を消滅させ、奴隷魔術を消し去り、不死族アンデッドを成仏させるというもの。

 これによって私達、第十三部隊は奴隷魔術から解放され、隊長の咄嗟の機転で全員が逃げ出すのだ。

 だけど、前もって準備していたわけじゃないから、やっぱり見つかってしまって、皆を逃がすために隊長は囮になって大怪我をする。


 ここでリッチェは隊長とはぐれてしまい、その後、必死に探し続けるけれど、再会出来るのは物語の後半。


 その頃にはとっくに隊長は、勇者達と旅を通じて友情を深めていて。それを目の当たりにした彼女は、嫉妬に狂って悪魔につけこまれてしまう。



 なんと登場してすぐに、隊長に無理心中をはかって、重傷を負わせるのだ。相手には生死の境を彷徨わせておきながら、自分だけ先に快復してちゃっかり全部忘れて。知らない方が幸せになれる、とか言われてそこから二度と会えなくなるんだよ。


 お告げの戦士として力になるどころか、引っ掻き回して即退場ですよ。


 最悪だ。


 その未来を回避するには、はぐれないようにするしかない。




 だから今は、隊長が囮にならなくても済むように、逃亡の準備をする。

 ここで失敗したら、それこそ本当に、何のためにこの世界に転生したのか分からなくなってしまう。


 先に出た通り、リッチェは居なくても魔王討伐は可能だった。亡くなるのがリッチェだったからこそ、平和な日本に生まれ育ったヲタ事務員が転生してもなんとかなると、女神様はお考えになったのだろうか。

 だからこそ私も、実は、転生先は彼女ではないかと思っていた。


 であるならば。魔王を倒せとしか言われておらず、何をすればいいのかも教えてもらえなかった以上、今は割り切って、隊長と一緒に居られるように振る舞うのが吉。

 だって離れたから病んだんでしょ? まずはそれを回避しないと。推しを刺すなんて有り得ません。


 そのためには、初っ端から彼に着いていくという、物語と異なる行動を起こしても、物語を壊さないようにする必要がある。

 まかり間違って魔王を倒せなくなったりしたら、それこそ恋どころではなくなってしまうし、罪の意識も耐え難いものになるだろう。


 なので早速、小説の内容を忘れないように、自室でベッドにうつぶせに転がりながら、夢中になって書き出した。昔から机は苦手で、集中する時はいつもベッドの上だった。転生してもこれは変わっていない。


 読み書きにも全く不自由しないようだ。


 けれど夢中になりすぎて、夕飯の時間を過ぎてしまったらしい。


 それに気付いたのは、ドアをノックされたからだった。


 この音は隊長だ。

 リッチェはもうストーカーと化していたので、隊長に関しては、足音とかノックの仕方で分かってしまう。


 慌ててベッドに起き上がり、居住まいを正す。


「ラルカードだ。起きてるか?」


 あ、そうそう、隊長は、十三部隊にいる間はラルカードと名乗っていて、抜けた後にラルクと名乗るようになるの。どっちが本当の名前かは知らないけれど、私の中では彼はラルクなのです。


「はい、どうぞ」


 書き出したものは全部きっちり仕舞ったし、大丈夫。私にしか開けられないマジックバッグの中にある。


 緊張しながら待つと、隊長はドアを開けて部屋に入ってきた。諜報部隊は人数が少ないし、男女ごとに寮を分けるような繊細なはからいはないので、異性が部屋にやってくることは普通にある。


 あぁ、やっぱり、推しは眩しい。


 本当に、トラキスタに来ちゃったんだなぁ…。


 推しが生きて動いている。

 瞬きして、呼吸して、その藍色の透き通るような瞳が、私を映している。


 彼と同じ空間に居て、その空気を吸って、冷静さを保つのって至難の業。

 私は緊張を隠し、平静を装うだけでもう必死だ。


「どうぞ座ってください」


 声は震えなかっただろうか。そんなことを考えながら動くと集中力が散漫になる。

 私はソファを示して、そちらへと移動しようとベッドから降りた。

 隊長は動きを止めて、私を見た。


 あれ、なんか変なこと言っ……た。

 リッチェがベッドに座りながら隣をぽんぽんしないわけがなく。いつも軽くあしらわれるのだけど。


 隊長は座らずにそのまま私を見る。

 あぁ、隙のない立ち居振る舞い、動くと仄かに浮く鍛えられた筋肉。本物しゅごい。


「飯に来ねぇからまだ具合が悪いのかと思ったが。どっちかというと、体調が悪いとかじゃなさそうだな?」


 出た、隊長の澄んだ瞳。

 これは怖いの、『真実の慧眼けいがん』というスキルで、真っ直ぐじっと目を見つめられると、後ろ暗いことがある者は真実を吐露してしまう。

 もっとも卑怯な者は更に嘘を重ねて塗り固めようとするし、抵抗して無効化レジストすることもできるので、万能ではない。


 私は平静を装いながらお腹に力を入れてレジストする。付き合いが長いのでそれなりに耐性がついているのが救い。


「久し振りに起き上がったら疲れちゃったみたいで、ぼーっとしてました。食事はまだありますかね? お腹空いちゃった」


 この人、鋭いなんてもんじゃない。いつものリッチェならすぐ抱きついたり腕に絡まったりして適当に流されるのだけど…やるべき?


 無理無理無理無理。


 こうして目の前に実在する推しの威力よ。

 こんないい声してたんだ、とか、知性的な目に射抜かれそうとか、顔立ち整いまくりで近くで見ると薄い唇がセクシーとか、つまり一言で言えば尊い。

 なのに触るなんて出来るはずがないのです。


「残ってるわけないだろ、食われてるよ。なんか作れねーか見てやる」

「…え。い、いいんですか」

「あぁ、こんな時くらいはな」


 心臓が跳ねる。推しの手料理が食べられるなんて、なんてこと。こんなのもう二度とないかもしれない。料理している傍に立って目に焼き付けても許されますか?


 推しが私のためだけに料理してくれる姿とかぁぁ!

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