24 眠らぬ街 七

 暗き蛇空の下、多彩な色彩の光で満ちた色蛇街。

 辰也と蛇姫が刀を打ち合い音を鳴らし、群衆が呪詛の如く声を張り上げる。そうして生み出された協奏曲は、出鱈目で混沌としていた。

「ちあっ!!」

 蛇姫は蛇剣術双蛇を時折交えながら刀を振るっている。大庭久郎ほどの力はない。しかし無駄はなく、素早く、一瞬でも気を抜けば身体中が切り刻まれるだろう。

 辰也は一つ一つを確実に防ぎ、避けている。蛇姫の蛇剣術双蛇は驚異的だが、事前に二筋の殺気が放たれることで見切ることができる。

 なぜ見切られるのかを蛇姫が分かっているかどうか分からないものの、彼女自身には未だ余裕があった。それが何とも不気味で、辰也は未だ一歩踏み込めない。

「双蛇!」

 そうして一つ気づいたことがある。蛇剣術双蛇が放たれる間隔が徐々に狭まっているのである。

 この技はこうも連発が可能なのか。驚きを隠しながら、辰也は警戒をする。これで終わる訳がないという確信に近い直感があった。

 二筋の袈裟懸け。辰也は一方を避けて、一方を受ける。

 続く蛇姫の連撃。横に薙ぎ、逆袈裟に斬り上げ、刃を返して振り下ろす。

 そうして再度双蛇が来る。

 尽くを避け、受け、いなす辰也は、警戒を怠らない。

 その証明とばかりに、蛇姫の雰囲気がより鋭くなった。

「今度こそ」振りかぶる蛇姫。「死ね」

 三筋の殺気が辰也の首と胸と胴を貫いた。咄嗟に首と胸に刀を合わせる。刀は胸を、二つ目の見えぬ刃は首に来た。二つ分の衝撃がハナを揺らし、そこにさらに三つ目の衝撃が胴を裂く。

 ぱっと鮮血が散らばって、群衆が歓声を上げた。

「ぐ」

 呻きながら下がる辰也。寸前で身を捻ったことで見えぬ刃は内臓に届かなかった。

「み、三つ目の透明な刃だと……」

「勘のいい奴め!」

 忌々しそうに吠えながら、蛇姫は追い討ちをかける。

 防ぎ続ける辰也。

「ジャジャ様の祝福により強くなった私が! 双蛇程度で終わるはずがなかろう!」

「ぬっ?」

「蛇剣術三つ首!」

 再び放たれる三筋の殺気。刀の刃と見えぬ二つの刃。二つを防ぎ、またも三つ目をかわし損ね、今度は太腿が裂けた。

「双蛇!」

 ハナで受ける。だが十全に力を込められず弾かれた。

「三つ首!」

 今度は突きだ。

 辰也は後退しながら一つ弾いたが、残り二つの見えぬ切っ先がこめかみを掠め、肩を浅く突いた。

 蛇姫の攻勢は止まらない。いくら殺気で不可視の刃がどこを狙っているか分かると言っても、激烈な剣戟の最中に全てを完璧に見極めて回避するのは至難の技だ。

 辰也の傷が確実に増えていき、体は血塗れだった。致命傷を避けているとはいえ、体力は確実に削り取られる。

 脂汗が垂れ流れ、呼吸は荒い。何よりも血液が刻一刻と失っていく。

 さらに気力を削ぐ様に、群衆の全てが辰也を殺せと絶叫している。

 この場にいるただ一人の味方である松吉は、加勢をしたくともできない状況が続く。と言うのも、辰也の劣勢に付け込んだ蛇剣衆たちがちょっかいを出してくるからだった。松吉はその対応に追われるせいで、辰也を助けることができない。

「なぜだ! なぜ諦めて殺されない!」

 蛇姫は刀を振るいながら叫ぶ。

 辰也は答えずにただハナで受けていた。

「貴様が劣勢なのは明らかだ! なのになぜしぶとく生き足掻く!」

「俺が死ぬ時はすでに定めている。今はその時でないだけだ」

「ここから私を倒すというのか。だが貴様は満身創痍ではないか」

「無論。俺は勝つ」

「今でも防戦一方の貴様がか?」

「そうだ」

 辰也はそう言いながらも、今度は胸に一筋傷ができた。しかし平然と、

「お前は何故焦っている?」

「むっ」

 蛇姫は辰也の言葉に一瞬動揺を見せる。その瞬間を狙っていたのか辰也の刀が迫るが、蛇姫は受け流した。

 刀を繰り出し焦っていないと否定しようとするも、辰也の真っ直ぐな目に射竦められる。

 強い瞳だった。何も諦めていない。勝つことしか考えていない。前を向いた目だ。

 蛇姫は焦っているのだと気づく。しかし認めることはできない。

「大人しく! 死ね!」

 蛇姫は蛇剣術三つ首を放った。だが辰也は一歩後ろへ飛んでかわし距離を取る。

 一転して追うことを止める蛇姫。

 辰也も動こうとはしなかった。


 両者は睨み合っている。蛇姫を応援する群衆の声だけが耳に騒がしい。

「先ほどまでの勢いはどうした?」辰也が聞く。「疲れたのか?」

「全身血塗れのくせによく言う」

 蛇姫はそう返しながらも、焦りの理由に見当がついた。手傷を多く与えているにも関わらず、未だに決定的な一撃を与えられないことだ。加えて、辰也は少しも焦っていない。むしろ余裕すら感じさせ、底の知れない何かを感じさせる。その何よりの証拠に、ジャジャの抜け殻を斬った一撃がまだ来ていないのだ。

 長引けば、逆に殺される。蛇姫はそう勘づいている。

 そうして、猛烈な怒りが身を焦がしていた。ジャジャ様より頂いた抜け殻を斬られたのだ。実力を見誤っていたのは認める。まさか本当に斬れる者がいるとは思わなかった。しかしだからと言って到底許せるものではない。剣宮辰也は正しく、必ずや殺さなくてはならない。

 だが今現在、手を拱いているのは事実。ならばどうすれば良いか。

 しれたこと。

 今ここで、限界を越えればよいのだ。

 蛇剣術四の首。

 今までは三つ首までしか使えなかったが、四の首を使うことができれば確実に剣宮辰也を殺すことができるに違いない。

 蛇姫は、内に棲む黒蛇ジャジャの分身体に意識を集中させた。

 求めるは力。

 そして、膨大な蛇気が湧き上がった。今にも意識が千切れてしまいそうなほど莫大で、強力だった。制御できなければ、蛇姫は蛇姫でなくなる。ただ敵を倒すだけの動く人形となってしまう。

 これは黒蛇ジャジャが蛇姫に与えた試練。これを乗り越えることが出来ない者に力を扱えることなどできないと、蛇姫はジャジャにそう言われている気がした。

 ならば、応えて見せよう。ここで逃げては女の恥。

 身体を制御し、八双に構えた蛇姫。

 いつの間にか、群衆から声が消えている。

 蛇姫のただならぬ様子を察したのか、固唾を飲み込み注視していた。

「蛇剣術四の首」

 静けさの中、蛇姫は呟いた。


 辰也は蛇姫の蛇気がさらに強く膨れ上がったことを感じた。

 これまで以上の何かが来る。

 そして、次の一撃で全てが決まる。

 辰也は蛇姫に応えるため、ハナを鞘に納め、居合の構えを見せた。

「桜花一刀流居合術春一番」


 その時、松吉は見た。

 蛇姫の全身からぬらりと黒い気が滲み出てきたのを。それはかつて師匠から聞いた蛇気に違いない。

 対する辰也は臆することなく蛇姫を見据え、居合の構えを見せている。

 先に動いたのは蛇姫。

 前に出て刀を振りかぶると、蛇気が辰也に向かって伸びていく。それは四つの蛇の頭に見えた。

 そして蛇の牙が辰也に触れようとした刹那、辰也が動いた。

 冷たい空気を追い払う暖かな一陣の風となり、蛇姫と交錯する。

「ぐう」

 呻き声を発し、ぐらついたのは辰也。蛇姫に傷つけられた全ての傷から血が吹き出して全身をさらに濡らす。それでも赤く染まった刀を手放さないのはさすがと言ったところか。

「おお!」

 勝ったと思ったのか、群衆が感嘆とした声を発した。

 だが次の瞬間、蛇姫の腹が裂けて、血がどぼりと落ちた。

「うごぇ」

 そして多量の血を吐き出す。地面の上に血溜まりができた。

「ひっ」

 群衆の中から悲鳴が上がる。

「ゆ……ゆるさ……ぬ」

 蛇姫はそう呟いて、自ら作り出した血の池に倒れ込んだ。

 そのままぴくりとも動かない。死んでいるのだ。

「蛇姫様ぁ!!!」

 泣き叫びながら二人の少女が駆け寄って、動かぬ蛇姫に縋り付く。彼女たちは、蛇姫の身の回りの世話をしていたあの少女たちだった。二人は気づかれぬ様にこっそりと蛇姫の戦いを見守っていたのだ。

 群衆は動揺している。蛇姫が負けるとは思っていなかったのだろう。彼らは悲嘆に叫び、信じられぬと喚いている。

 松吉はしかし、辰也が未だ油断せずに蛇姫を見つめ臨戦態勢を整えたままなのが気になっていた。

 残心か。だがそれにしては長すぎる。あの出血量で助かるわけもない。

 そう思って蛇姫を見て、気づく。

 蛇気はまだ無くなっていないことに。

 死んでいないのか。まさかあり得ぬ。そう思った刹那、死んだはずの蛇姫が仰向けに寝返った。少女二人ははっとして、後ずさる。

 驚く松吉であったがそれは序の口。

 奇怪な光景が生み出された。

 大きく二度痙攣したかと思うと、広く開いた腹の傷口から、四つの頭を持つ一匹の黒蛇が出てきたのである。

 黒蛇は蛇姫の血で赤くぬめり、八つの目は鈍い光を放ち、口から赤い舌がちろりと出ている。しゃあっ、と鳴く声は不気味そのもの。そして、ずるり、ずるりと這い出て、近くにいた少女に向かう。

「きゃっ」

 口を手で押さえて尻餅をつく二人の少女。しかしそれ以上動く様子がない。

「な!」

 松吉も声を出して驚愕するも、辰也の行動は早かった。

 前に踏み込み、少女たちを押し倒して離し、間髪入れずに刀を振り下ろす。ただの一太刀で、四つの頭は胴体と分断された。それでようやく本当に動かなくなったのである。

 少女二人は、頭だけを起こして茫然と見つめていた。




「早く、行くぞ。山辺が待っている」

 息も絶え絶えな辰也に声をかけられて、放心していた松吉ははっとした。

「そうだ。急がなければ。だがお主、まだ歩けるのか?」

「どうにか、な。それに今は倒れるわけにもいかぬ。蛇剣衆の気配はまだ消えていない」

 そう言いながら歩き出した辰也は足に力が入らないのかふらふらしている。

 肩を貸してやりたいところだが、蛇剣衆を警戒しなければならない松吉にはそれができない。仕方なく、共に歩く。

 幸いにも、街の人間たちは辰也たちを怖がって自ら道を開けてくれる。

 遅い足取りで隠れ家に着くと、彩が駆けこんできた。

「剣宮様!」

 辰也の姿を一目見た彩は血相を変えている。

「だ、大丈夫ですか!」

「問題ない」

 辰也の答えに、誰がどう見ても問題があるだろうよ、と松吉は内心突っ込みを入れるが、今は当然それどころではない。

「……蛇姫が破れたことにより混乱が起きている今こそが脱出の好機。剣宮の心配をするのはその後だ。ハナも何も言わないのは、それが分かっているからだ」

 と松吉は嗜めた。

 それから三人は動き出した。目立つ辰也の血を彩が丁寧に拭い、松吉が三人分の服や旅の準備をする。服は変装のためである。そのための頭巾もあった。

 着替えた三人は明るい通りを避けて裏通りを行く。このようなことが起きたときのために、経路は松吉が常日頃から調べ尽くしていた。

 無事に門の前に着くと、二人の門番が塞いでいる。だが当然ながら、すでに蛇姫の死によって街中が騒ぎになっており、出て行こうとする者はごく僅かだ。

 門番も顔色が悪く、明らかに集中力を欠いている。

 人が他に人がいない時を見計らい、松吉はひっそりと門番に近寄った。

 声をかけようとする門番に、鳩尾へ当身を入れ気絶させる。驚きの声をあげようとしたもう片方を、いつの間にか背後に近づいていた辰也が首を絞めて失神させていた。

 目配せを交わし合い、何食わぬ顔で門から外へ出る。

 それから数十分歩いてから、三人は目立つ街道を離れて頭巾を取った。

 強い緊張から解き放たれて、それぞれため息を吐いたのも無理からぬこと。

 松吉が提灯を取り出し中の蝋燭に火を灯すと、暖かな光が周囲を照らした。

 すると辰也は、安心したことで力が抜けたらしく、よろめき、膝をつく。

「けんぐ」

 と彩が声を掛けようとした瞬間だった。

「辰也!」

 ハナが叫ぶ様に言った。それはまるで泣いているようで、心の底から心配しているのが声だけでもよく分かる。そうして、今まで一番我慢していたのが彼女であったことも。きっと彼が傷つくたびに、心の中で泣いていたに違いない。

「……心配するな、ハナ」

 辰也の声も、ハナを気遣う優しい音をしている。

「で……でも」

「気が抜けただけだ。死にはしない。それに、のんびりしている暇はないのだろう?」

 と辰也は松吉を見た。彼は至極真面目な表情で、

「その通りだ」と肯く。「街にいる蛇剣衆が追ってきている。今は一刻でも早くより遠くにいかなければならない」

「……そう、ね」

 気を探知する能力に長けているハナは、やはり気付いていたのか悲しそうに同意する。

「そんな」

 反面、そうとは思わず驚く彩。

「これから如何にする?」

 辰也は平然とした様子で尋ねた。

「隠れ家で話した通り、俺の師匠の元へ行こう。お主の傷を癒す必要もあるしな」

「なるほど」

「だが問題がある。師匠は恐らく、あの山の頂上にいる」

 そう言って松吉が指さした方向には、暗闇のおかげで頂上が見えぬが、他の山々をよりも遥かに大きいのが分かる山だった。

「え! は、反対です!」彩が訴える。「あんな山、今の剣宮様に登れるわけがありません!」

「確かに険しい山だ。だがこのまま街道を進んでは蛇剣衆に囲まれるぞ。そうなれば、俺一人だけならばともかく、怪我で満足に動けぬ者と戦えぬ者二人を守る自信はない。ならばこそ、地の利を活かせる山の方が有利に働く」

「で、ですが」

 尚も反対しようとする彩を、辰也が止めた。

「山辺、お主の心配してくれる心根、とても嬉しく思う。だがすまないが、ここは野木の言う通りにしよう。なに、俺は平気だ。心配するな」

「心配するなって言われても、心配するわよ」と、呆れながも悲しげに言うハナ。「でも、それしか方法がないのね?」

「ああ。恐らくそれが最善だ」

「それなら私は野木さんを信じるわ」

「は、ハナさんまで……」

「それで、お主はどうする」

 松吉は、優しく問いかける。

「……分かりました……」

 不満そうに同意した彩は、山をちらりと見る。

 黒く巨大な威容は、酷く恐ろしく見えた。

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