13 田吾作の剣 その三

 野盗が襲って来ないまま、幾日か経った。

 やはり野盗は蛇剣衆ではなかったのだろうか。そう思いながら辰也は、今日も田吾作に剣術を教えている。

 田吾作の剣は、面打ちのみに専念させていることもあるが、日に日に鋭さが増していき、随分と様になってきた。辰也から見ればまだまだ未熟なことに変わり無いものの、その上達ぶりには目に見張るものがある。

 田吾作の修練が終われば、ふさ江が作ってきた弁当を食べるのももはや日課となった。無論、みなが眠る時刻になると、日替わりで他の男を連れ出すのも変わらないが。

 その後は、辰也は村の周辺を見て回る。村の中には決して入らないが、周囲の地形を把握しておくのは戦いにおいて重要であるし、何よりも何時、何処から野盗が襲撃してくるか分からない。そのための備えであった。

 そうやって散策をしていると、外で遊んでいた子供たちが駆け寄ってきた。わーわーと騒ぎながら、遊んで遊んでと子供たちはせがむ。

 田吾作かふさ江、あるいはその両方が、村の人間に辰也が用心棒だと吹聴したらしい。いかにも剣呑な辰也に近寄る大人たちはいないが、どういったわけか、子供たちは辰也に懐いてきた。

「辰也の優しい心に、子供たちは気付いているんだよ」

 周囲に誰もいなくなった時にハナがそう教えてくれたが、辰也としてはとても困る。何しろ桃源島にいた頃から、子供たちの相手は苦手なのだった。もちろん別に嫌いというわけではなく、ただたんに不器用すぎて、どう相手すればいいのか分からないからである。

 無邪気な笑顔を向ける子供たちに辰也はおねだりを断りきれず、ついつい不器用なりに一緒に遊ぶのがもはや習慣になっていた。


 そうして、また寝入る時間。

 ふさ江は今日も男を連れ出してどこかに行くのを辰也は見た。呆れ果てた今ではため息すら出ない。

 けれど、唐突に強い殺気を感じ取った。それも数十人分。

「……辰也」

 緊迫したハナの声が耳朶を打つ。

「ああ」

 辰也は、その挑発としか思えないほどあからさまな殺気の元へと向かった。

 痩せ細ったか細い草が茂る原っぱの真ん中で、野盗と思しき集団がいる。下っ端らしき男たちは提灯を手にして周辺を照らし、異様に大きな男の存在感を際立たせていた。辰也も体格で言えば平均より上。しかしそれよりも三回りは大きい彼は、背中に身の丈を越す巨大な斬馬刀を背負い込み、分厚い胸板の前で太い両腕を組んでいる。彼は辰也の存在に気がつくと、重たい声を発した。

「……貴様が剣宮辰也か?」

「そうだ」

「俺の名は大庭久郎。蛇剣衆の一員よ」

「やはりそうか」

 辰也はそう応えながら野盗たちを見回す。彼らは辰也と大庭を囲う様に動いていた。

「安心しろ」と大庭は好戦的な笑みを浮かべる。「こいつらに手出しはさせん。俺とお前の差しで勝負だ」

「……こいつらを先に相手をしてもいいんだぞ」

「それで疲弊したお前に勝ってもつまらん」

「なるほど。理解した」

 辰也はハナを抜いた。と、同時に、大庭も背中の留め金を外して斬馬刀を持った。互いに構えは正眼。

「辰也、変だ」

 ハナは辰也にしか聞こえぬ声で囁く。

「どうした」

「あの人から強い蛇気を感じる。でも操られてるわけじゃないの」

 辰也は思わず訝しい目線を送る。すると大庭は、「気づいたか」と嬉しそうに笑った。

「察しの通り俺は祝福を受けた。だが、ジャジャ様の蛇気に呑み込まれることなく意識を保つことが出来たのだ。そして俺は強大な力を手に入れた。分かるか? 俺はジャジャ様に選ばれた男なのだ」

「他にもお前の様に力を得た者はいるのか?」

「今より死にゆくお前に教えても無意味であろう」

「どうかな。死ぬのはお前かもしれんぞ」

「言いおる。だがこれ以上聞きたければ、剣で聞き出せ」

「ならばそうしよう」

「いざ尋常に」

「参る」


 両者は前に迫る。

 大庭が斬馬刀を袈裟懸けに振るう。ごう、と風が唸った。反射的に受け止めようとする辰也はしかし、思い直して身を翻す。そのすぐ横を斬馬刀が通過する。

 地面に直撃する一瞬前、すぐさま斬馬刀を反転させて辰也目掛けて跳ね上げた。これも辰也は間一髪で回避。

 それは正しく猛攻であった。大庭はまるで普通の刀のように巨大な斬馬刀を操り、切れ目なく斬撃を放ってくる。一太刀事に風が唸り声を上げ、土埃が舞う。

 辰也は避ける他になく、反撃に転じられる瞬間も見当たらない。

 力押しで出来るものではなかった。確かな技量がなければこうはいかない。

 周囲の野盗たちが、祭りのように騒ぎ立てる。

「俺の剣を受けずに避ける選択は天晴れ。だが反撃に転じなければ勝ち目はないぞ」

 斬馬刀を振るいながら、大庭は楽しそうに言う。

 その通りだ、と辰也は心の中で毒ついた。このまま手をこまねいていれば、いずれこの猛攻に押し潰されるだろう。

 嵐の様な剣撃の最中、大庭が斬馬刀を腰の高さに据える。

 横に薙ぐつもりだ。ならば後ろに下がってやり過ごし、振り終えた瞬間に前に出る。そう算段を構え後ろに体重をかけた辰也は、逆に大庭が距離を詰めてきて意表を突かれた。

「ぐ!」

 そして大庭は辰也の足先を踏んだ。後ろに下がることを封じられ、つんのめる辰也の鳩尾に向けて大庭は左肘を打ち出す。慌てて辰也は腕で防ぐ。強い衝撃がかかった。体勢を崩しながら下がる辰也。

 大庭は大上段に構えた。巨大な刀を構えた彼の異様は、まるで鎌首をもたげた大蛇。斬馬刀はさしずめ蛇の顎。全体重が乗った顎は、真一文字に振り下ろされた。

 避けられぬ。辰也は瞬間刀を掲げる。剣宮流錬気法山桜を発動。と、ほぼ同時であった。

 強烈無比な一撃が叩き込まれる。あまりの衝撃に地面が凹む。刀同士のぶつかり合いとは思えぬ轟音が鳴り響き、二人が見えぬほどの土煙が上がった。

 野盗たちが勝鬨を上げる。あの一撃を喰らって立ち上がれた者など誰一人もいない。

「てめえら、静まれ!!」

 だが大庭からの怒声で皆一様に息を呑んだ。

 やがて土煙が晴れていく。露わになったのは大庭の斬馬刀をハナで受け止めた辰也の姿。

 なんと辰也は大庭の一撃を耐え切ったのだ。その事実に野盗たちは、信じられぬと悲嘆の声を上げる。

「面白い!」

 しかし大庭は歓喜に震えた。緩やかな動作で自ら距離を取り、辰也を見返す。

「その技は錬気法か。なるほど、よく練られた良い技だ。だが何よりも驚くべきは、俺の一撃に耐え切ったその刀! 並の刀であれば、体は耐えても刀がへし折れて死んでいただろう。神気を宿しているのも伊達ではない。ジャジャ様が警戒するのも頷けるものよ」

 辰也はハナを褒められて悪い気はしない。ふ、と笑みを浮かべる。だが呼吸は乱れ、肩で息をしていた。

「お前の様な者を待っていたぞ。我が蛇剣術大蛇破を存分に試せる相手をな」

 大庭は腰を落とし、斬馬刀を横に構える。

「じゃ、蛇気が充足していく」ハナが震える声を発した。「気をつけて。これまでの威力よりももっと凄いのがくる」

 その言葉を受けて、辰也は再び山桜を発動させる準備を整える。

 奇妙なのは、今の距離が大庭の斬馬刀の間合いよりも遠く離れている点である。今のまま普通に振るっても、おそらく、いや間違いなく辰也に届かない。だが目の前の大庭は、届かぬはずの位置から斬馬刀を振ろうとしているのか、全身に力を溜め込んでいた。

 獲物が抜け抜けと飛び込んできたところを狙う技であろうか。しかし大庭という男が、その様な見え見えな技に頼ろうとは思えない。そもそも辰也がそんな愚鈍に見えているとも思えない。ならばやはり自ら前進し、放つ技なのか。

「ゆくぞ」大庭は目をぎらつかせて宣言する。「蛇剣術大蛇破」

 辰也の頰を緊張の汗が滑り落ちる。野盗たちは声を上げようとしない。一瞬の静寂。

 大庭は全身全霊でもって斬馬刀を横薙ぎに振るった。

 瞬間、いるはずのない巨大な蛇の姿が、大庭の斬馬刀から放たれたのを辰也は見た。獰猛な形相を浮かべた大蛇は、大きな牙を向いて先にいる達也を襲撃する。

 山桜で受け止めようと構える辰也。目前に迫る幻の大蛇。

「それは駄目!」

 ハナの警告。

 刹那、辰也は吹き飛ばされた。ひとひらの花びらのように。




 外がやけに騒がしかった。

 寝床についていた田吾作は思わず目が覚める。まずはいつもの癖で最愛の妻が眠っているはずの右隣へ目を向けた。しかし粗末な布団の中に誰もいない。

 嫌な予感がした。

 田吾作は刀を手に取り草履を履いて家の外に出た。すでに何人かの村人たちが外にいる。けれど妻の姿はそこにはない。それに何が起きているのか彼らも良く分からないらしく、何やら深刻な表情で音の方へと顔を向けている。

 聞こえてくる音は大勢の男たちの興奮した声だ。おそらくは野盗。だから村人たちは、気にはなるが確かめにいかないのだと田吾作は合点がいく。逃げるかどうかの相談も行っているに違いない。

 田吾作は刀を見つめる。自分には剣宮様に教わってきた剣術がある。それに、未だ姿を見せぬ妻も気になる。田吾作は意を決して、音の方へと向かった。


 村の外には人だかりができていた。だが彼らの粗野な格好は、間違いなく野盗である。野盗たちは

誰かを取り囲んでいるのだ。

 ちらほらと見えるのは、野盗たちの身長を超える巨大な刀。戦いが起きているのだと田吾作は察する。ならば今戦っているのは何者か。

 その姿は、ひしめき合う野盗たちの隙間から見えた。

「……剣宮様」

 知れたこと。野盗たちと自ら戦うお方など、田吾作には一人しか思い浮かべられない。

 野盗たちの歓声は大きく、もしかしたら劣勢なのかも知れないが、田吾作の脳裏に浮かぶのは、あっという間に野盗たちを倒した姿だ。

 あんなにお強いお方が、負けるはずがない。田吾作はそう信じる。

「そうだ。ふさ江」

 最愛の妻を探さなければ。

 田吾作は走り出した。辰也と野盗の誰かが戦っている今が最も好機。名前を叫びながらふさ江を探す。

 不意に大きな音が鳴り響いた。はっと振り返ると、土煙が起きている。何かが起きた。勝敗が決したのだろうか。それならきっと剣宮様が勝ったに違いない。しかしそれよりも胸がざわついて仕方がないのだ。

 田吾作はさらに探していると、悲鳴が聞こえた。

 急ぎ駆け寄ると、野盗が二人の男女を襲い掛かろうとしている所である。この野盗は、他の野盗から遅れてやってきたのだが、間の悪いことに二人の情事を目撃してしまった。つい欲情した野盗は、女を強引に抱いてやろうと迫っているのだ。

 田吾作は教えられた通りに刀を構えて走る。

「たああああああっ!」

 叫ぶ様な威勢の声を上げて、振り返った野盗の左肩口から斜めに斬った。

「ぐあっ」

 と、野盗は血をだらだらと流しながら倒れ、微動だにしなくなった。

 だがそれには頓着せずに、田吾作は「大丈夫か!」と男女に近寄る。

 そうして、見た。

 ガス灯に照らされたふさ江と、同じ村の男を。どういうわけか、二人とも服が乱れている。

「ふ、ふさ江……?」

「あなた、どうして……」

 ふさ江は思いがけぬ夫の登場に動揺を隠せない。

 そうして、またも轟音が鳴り響く。

「……剣宮様」

 田吾作は音の方を見遣ると心配そうに声を発した。

「な、なにが?」

 村の男は、困惑した様子で呟く。

 田吾作はそれには無視して、妻へと視線を移す。怯えを見せるふさ江は、田吾作が持つ血で濡れた刀を見つめている。

「ここは危険だ」

 と、田吾作は言った。

「……き、危険ですって? いったい、何が」

「野盗だ。大勢の野盗が村外れにいる」

「や、野盗」

 ごくり、とふさ江は生唾を飲み込む。

「おらと逃げよう」

 一緒にいる男など眼中にないかのように田吾作は言う。目は冷え切っており、射竦められたふさ江は、心の底から冷え冷えした。

「は……はい」

 ふさ江は考えるよりも先に返事をした。夫が何を考えているのか、彼女にはまるで想像できない。今のふさ江にとって、野盗よりも田吾作の方が恐ろしい何かに見えている。

 田吾作が空いた手を伸ばすと、ふさ江は恐々取った。

 立ち上がると、田吾作の先導で歩き出す。その二人の後ろを、男がひょこひょことついてきた。

 ふさ江は夫の背中を見つめる。痩せた体。服はふさ江が縫繕ったものだ。有り合わせの粗末な生地を合わせただけの代物。それを大切に着続けていることをふさ江は知っている。

 田吾作に最後に抱かれたのは、一体いつだったろうか。現実逃避のようにふさ江は思い出そうとしたが、よく思い出せなかった。

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