9 蛇擬態 前編

 上空を封鎖している黒蛇の流れに沿って、剣宮辰也は街道を進んでいた。周囲に建物は少なく、代わりに田畑が広がっている。道沿いと、田畑を囲うようにガス灯が立っていて、周りを照らしていた。人の姿は見当たらない。せいぜいが畑の手入れを行っている男が遠間にいるぐらいだ。

「……こんなに暗いのに作物は育つのかしら」

 当然の疑問を、辰也の腰に差した桜刀ハナが口にする。

「分からんが……手入れをしているということは育つのだろう」

「不思議ね……」

「全くだ」

 育つ、 と言っても恐らく微々たるものだろう。辰也の視界に映る畑はどれも荒れており、まともな手入れもされていないようだ。そうでなくとも太陽の恵みを受け取れないのだから、むしろ作物が育つこと自体が奇跡のようなものであろうと辰也は思う。

「桃源島ならたくさん育つのになあ」

 しみじみとハナは呟いて、

「そうだ辰也。言っておくことあるの。実は私、この姿になってから気を感じる力が強くなってるの」

「ハナは元々強かったよな」

「それよりも、だよ。おかげで周りの生き物もなんとなくだけど、どこにいるのか分かるようになったの。例えば……」とハナは一旦間を置いた。「あそこの土を掘り返してみて。微弱な気がある。多分小さな生き物が一匹だけいるよ」

 辰也は言われた通り手で土を掘る。するとそこから痩せたみみずが一匹だけ出て来た。

「偶然じゃないのか……?」

「さすがに半信半疑? 無理もないけど……じゃあ次はあそこを掘ってみて。今度は三匹出てくるから」

 再び掘ると、今度は三匹のみみずが見えた。

「これは……すごいな。そうか、だからあの時、危険を知らせてくれたのか」

「うん。あの時は相手の殺気も凄かったから、分かりやすくて本当に助かったよ」

「ハナは本当に頼りになる。ありがとう」

「えへへ……こちらこそありがとう、頼りにしてくれて」

「俺たちならきっとジャジャを倒せる。そうだろう」

「うん、私と辰也なら、きっとできるよ」




 暫く歩くと集落が見えた。

 辰也は足を踏み入れる。見るからに寂れていた。片付ける者がいないのか、物が錯乱し、家屋は荒れ、一つとして綺麗なものがない。家屋の壁は木の板を貼り合わせただけで見て分かるほど隙間が多く、穴が空いていてもそのままにしている家ばかりだ。蜘蛛の巣が張り付き、鼠も走り回っている。

 人の姿は見えない。だが気配はあった。どうやら家の中にいるようだが、みんな息を潜めている。

「え、これって……」

 唐突にハナが驚愕の声を上げた。

「どうした?」

 尋ねつつ周囲を警戒する。先ほどから妙な緊張感がある空気が流れていた。

「蛇気だ。蛇気に囲まれてる」

 と、その時だった。家屋の中から人々が顔を出した。しかし一様に目が蛇のそれ。表情は虚。辰也とハナには思い当たる節がある。黒蛇を体内に入れた川井沙紀と同じだ。

「……みんな祝福を受けたんだ。ジャジャに操られている……」

 少なくとも集落に入る前に祝福を受けたわけではない。それならば事前にハナが気付いている。まず間違いなく、辰也が集落に入った時にジャジャの祝福を受けたのだ。

「……やるぞ」

「うん」

 辰也は桜刀ハナを引き抜く。周囲に目を配る。老人も子供もいた。村人たち全員がジャジャに乗っ取られているようだった。その数、およそ三十。

「一人だけを操っても俺に敵わぬと見て、数で圧倒する気か」

 そして、操られた村人たちは辰也に向かって一斉に跳びかかかる。蛇活組の手練れ九人の連帯が取れた動きと違い、こちらはばらばら。本能のみで動いているとしか言いようのない動物的で人間離れした動きだ。

 前後左右から来る彼らを次々回避する辰也。しかし一向に反撃に転じない。本能で動いているだけあってまるで予測がつかず、加えて味方が傷つくのもいとわない攻撃的な姿勢に下手に手が出せないのである。

「くっ」

 ひとまず逃げを選択し、群れの中から脱出を図る。彼らの攻撃に情けも容赦もない。致命傷は避けつつも、軽い傷を幾つも拵えながら包囲という危機から逃れた。

 逃げる辰也を追う元村人たち。彼らに思考できるほどの知性は残されていない。対抗できる隙はその一点。辰也は家屋の隙間にできた僅かな路地に入り込む。愚直にもそのまま追いかけて来た元村人たち。だが家屋に阻まれ辰也を囲うことができない。横に三人並んで一杯となる。

 辰也は立ち止まり振り返った。すぐさまハナを走らせる。まずは右端にいた青年の首が飛び、返す刃で真ん中の年端もいかぬ少女の胴が斬り離された。

「うっ」

 相手の一人が少女であることに斬るまで気付けなかった。少女の顔を見た瞬間、妹のように可愛がって来た桃源島にいる神楽崎花絵の顔立ちと重なった。

 どうして、お兄ちゃん? そんな声が聞こえてきそうで、辰也は動転して動きが止まった。

 その隙に左端にいる老婆が襲いかかって来た。そればかりか首のない青年の体を踏み台にして、後ろにいた少年が飛び込んでくる。

「辰也!」

 ハナの雷みたいな声が響いた。はっとした辰也はすぐさま後ろへ跳ねた。

「ぐ」

 老婆の爪が辰也の頰を引き裂く。赤い血飛沫を飛ばしながらも、辰也は続いて襲いかかってきた少年の噛み付きをどうにか避け、そのまま反転して走り出す。

「大丈夫?」

 ハナの気遣う声が耳に心地よい。

「ああ」

 小さく頷く。

「あの子は花絵じゃないよ。それに、もう……全員死んでる」

「分かっているっ」声を荒げる辰也は、続いて自嘲気味に口を歪ませる。「だが……俺は地獄行きだな」

「辰也が行くなら……私も行くよ」

 辰也は速度を緩める。追いついて来た中年の男を袈裟懸けに斬り捨てると、再び速度を元に戻した。

「お前は刀だ。俺に使われるだけの道具。お前は俺に使われただけで罪はない。そもそもただの道具が地獄に行けるわけがない」

「辰也……」ハナの声は悲しみを帯びている。「辰也は、悪役なんて似合わないよ」

 辰也はそれには答えなかった。ただ無言で屋根から飛び降りて来た少年の脳天を割った。

 その後も走り続けながら、一人また一人と確実に屠っていく。そうして全てを斬り終えた時、辰也は荒く息を吐きながら村の中央で周囲を見回した。

 村中が血で赤く染まり、物言わぬ村人たちの死体が転がっている。老若男女関係なく、一切合切斬り捨てた結果だった。

「……辰也」

 とハナが実に言いにくそうに声をかける。

「どうした?」

「まだ蛇気は一つ残っている……でも」

「教えろ」

「……うん」

 ハナの指示に従い、向かった先は寂れた一軒家。辰也は意を決して中に入ると、そこには蛇の目をした赤子が、「しゃー」と鳴き声を発していた。

「この子か……」

「……どうするの?」

「……このままにしておいても、害はないのだろう……?」

「うん」

 辰也の手の震えがハナに伝わってくる。だから聞かれたこと以上のことは何も言えず、ただ辰也の決断を待つ。自分は結局、辰也の道具なのだから。

 しかしその時であった。

 何か黒い物がさっと上から落ちて来た。

「なっ」

 驚愕する辰也。

「ききゃっきゃっきゃっきゃっ」

 奇怪な笑い声が響く。

 その正体は、子供のように低い背丈で、中年みたいに老けた顔立ちの男であった。

 彼の両手には黒光する手甲が嵌められており、身長の半分と同じ長さの刃がそれぞれ三枚付けられている。

「出来ぬのなら儂が始末してやろう」

 その小さな外見にまるで似合わぬ恐るべきことを男は言った。

「よせ!」

 反射的に止めようとする辰也に対し、男は醜悪な笑みでもって返し、赤子をあっさりと串刺しにする。赤い血が止めどなく流れ出て、赤子はもはや動かなくなった。

「貴様っ」

 辰也は激昂するまま水平に刀を振るう。

「ききゃあ」

 と面白そうに笑いながら、男は背後へ跳躍してかわす。だがその後ろはすぐに壁だ。激突するかと思った辰也だったが、次の瞬間目を剥いた。男は壁に手甲の刃を突き立てて支えにし、壁に張り付いたのである。

「なっ」

 そして辰也は理解した。この男は辰也がこの家に入って来た時からこうやって天井に張り付き、上から降りて来たのだと。

「ききゃあ、ききゃあ!」

 辰也の反応がおかしいのか、男は奇怪に笑い続ける。

「何者だ、貴様!」

「儂か? 儂は蛇剣衆、大戸弘太郎」と、弘太郎は壁から離れ床に降り立つ。「剣宮辰也よ。特と見ろ。これぞ我が蛇剣術蛇擬態」

 途端、弘太郎は奇妙極まる体勢をとった。なんとうつ伏せに寝そべったのである。そして両手を前へとまっすぐ伸ばし、手甲の刃をまるで蛇の頭部のように噛み合わせた。

「蛇剣術からみなど所詮基本の技。それしか使えぬ者など蛇剣術の入り口にしか立っておらぬ」

「その無様な格好が蛇剣術の奥地とでも言うのか」

「ききゃあ。この技の真なる恐ろしさ。噛み締めると良い」

 と言うなり、弘太郎は体を左右にくねらせる。

「なっ」

 そうして弘太郎は蛇の如く前へ進む。驚き、慄く辰也。そんな辰也を嘲笑うかのように、彼の周囲をぐるぐると回り始めた。

「ちあっ!」

 辰也は狙い定めてハナを振り下ろす。だが弘太郎は背中に目でも付いているのか、あっさりと横へと避けた。そればかりか旋回しながら辰也の足元に迫り、手甲の刃を交差させるように斬りつけて来た。

「つっ」

 足首を切断される寸前、辰也は上へ軽く飛んで回避する。

「ききゃあ! ききゃあ!」

 けたたましい笑い声を上げながら、弘太郎は速度を上げる。それは蛇と思えぬほどの速さで、しかし蛇そのものにしか見えない動きだった。辰也は再度刀を振るうも、やはり当たらない。

 弘太郎もまた度々辰也の足を斬りに来る。それをかろうじて避け続ける辰也であったが、彼はまたも驚く羽目になる。

 弘太郎の動きに変化が訪れた。床の上のみを這っていたのが、今度は壁を蛇のような動きで這い上がっていくではないか。それも凄まじき速度で。

 部屋の壁も天井も梁も関係なく目まぐるしく這い回る弘太郎。やがて辰也は目線で追うことが難しくなって来た。その時を待っていたのは弘太郎だ。壁を這っていた彼は、そのまま飛び跳ねて辰也に襲い掛かった。

「しゃあ!」

「くっ」

 辰也はハナで弾いて防いだ。しかしその後も弘太郎の攻撃は続く。もはや防戦一方だった。狭い空間の中を縦横無尽に這い回り、意表を突いてあらゆる場所から攻撃してくる。

 ハナで弾き、受け止め、あるいは避ける。だがその度に辰也の体が傷ついていく。全てかすり傷で致命傷を避けてはいるが、今も防げているのはもはや偶然に近い。一瞬の隙を突いて攻撃に転じても弘太郎には当たらない。

 このままではいずれ負ける。そう悟った辰也は出口に向かって下がっていく。

 だが弘太郎も相手の意図を見切っている。ここで仕留めようと攻撃の頻度を上げた。

「つあ!」

 辰也は賭に出た。横合いから飛び込んできた弘太郎に対し、全力で横に薙ぐ。かち合う刃と刃。弘太郎は弾き飛ばされた。しかしすぐに体勢を整えて壁に着地。

 辰也は追い討ちをかけずにこの隙に外に出る。

 続いて弘太郎も辰也を追って外に出た。

 振り返る。目に入ったのは飛びかかってくる弘太郎の姿。再度ハナで弾くと、弘太郎は這いつくばったままどこかに消えた。警戒するも襲ってくる気配はない。

「どこだ」

 周囲を見回しながら問いかける。

「……まずいよ、辰也」とハナが緊迫した声で囁やく。「気が微弱すぎる。まるで蛇みたいな気だ。しかも村人たちの中に入っている蛇がまだ死んでいないのがいて、その中に紛れてよく分からない」

「……動いてるのを探せ」

「そ、そうか」と、ハナは間を置いた。「ううん。だめ。動いているのはいないよ。多分、死体に紛れているよ。ごめんね、辰也。役に立てなくて……」

「いや、いい。その情報だけで十分役に立っている」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……」

 辰也は村の中心部にある広間に向かう。そこは一番村人たちの死体が多い場所である。すなわち最も弘太郎が潜んでいる可能性が高い場所だ。

 迷うことなく辰也は広場に足を踏み入れる。村人たちの血臭が鼻を突いた。死体を避けて歩む。赤い血がそこら中で広がっていて、踏み締める度に血の感触があった。

 深呼吸を一つして、辰也は集中する。

 音が聞こえた。微かな音だ。左を向くと同時にハナの警告。

「左下!」

 刀を振り下ろす。ざっ、と弘太郎は右に避けて通り過ぎた。それから死体に紛れながら移動している。おまけに凄まじく速いため目では追いつけない。

 音が周囲を駆け巡っている。不気味な音だ。加えて弘太郎のあの奇怪な笑い声が響いた。

「ききゃあ!」

 一瞬捉えることができた弘太郎の姿は、村人たちの血で赤く染まっている。だがすぐに辰也の視界から逃げてしまった。

「大丈夫」と、ハナは落ち着いている。「今度こそ捉えたから。もう絶対に見失わないよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る