第2話 

 

「え? O君が浮気してる?」


 2人でカフェに訪れていた。ランチタイムとおやつタイムの間の、客足が引き始めて店内が静かな雰囲気になる時間帯が、私達のお気に入りだ。

 窓の近くのソファ席に通された私とA子は向かい合わせに腰を下ろすと、日替わりのケーキセットを注文した。


 ツヤツヤと輝く赤いイチゴがたっぷり乗ったタルトと紅茶が運ばれてきたところで、私はA子に話を切り出した。

「そうなの……。この前の出張から帰った後、偶然LINE画面が見えたんだけど……」



 それはほんの一瞬だった。

 夕食をテーブルに並べている時から、夫のスマホはLINEを何度か受信して震えていた。営業時間などあってないような職業だ。担当している作家さんによっては深夜でも急な連絡が来る事があったので、その時もそうなんだろうと思っていた。

 夫のLINEは夕食が済んだ後もまだ続いている様だった。


 夫の後ろを通りかかった時に、読めた文字。

『おやすみのキスしに来てほしい』

 本当に一瞬見えただけで、もしかしたら私が読み間違えた可能性だってあるし、前後の文も分からない。

 驚いて足を止めかけた私に気付いたのか、夫はスマホの画面を消すと何も無かった様にテレビに視線を移して笑っていた。



「どうしてその時にLINEを見せろって言わなかったの?」

「だって本当に浮気だったらどうするの!」

 私達は円満な夫婦。

 それが自分の思い込みだったのだと知るのが怖かった。

 私の勘違いで夫を疑ったと思われるのも嫌だった。


「相手の名前、見た?」

「多分、S崎M美……かな? 女性の名前なのは確実だと思う。仕事のLINEだと思ってたから私もなるべく見ない様にしてたから……」


 相手の名前も、送られて来た文章も、何も自信が無かった。


「相手に目星は……ついてないわよね。今までO君が浮気してるなんて、一度も話題に出た事なかったし」

「うん……。ただ……」


 そう、夫が浮気をしている気配なんて今まで一度も感じなかった。

 だから夫は私を愛してくれているのだと思い込んでいた。

 いまA子に相談しているのだって、そんな事あるわけないでしょとA子に笑い飛ばして欲しかったのかも知れない。


「数か月前までは頻繁に連絡を取り合ってた漫画家志望の子がいたの。顔は知らないけど、女の子よ。まだデビュー出来る様な作品は描けていないけど、若くて有望な子の担当を任されたって喜んでた。その子から連絡が来るとすぐに返信してたし、その時は漫画のストーリーの相談だったとかLINEの内容を私にも漏らしてくれてたんだけど……」

「なんだか、過去形ね」

「ええ。ここ数か月は、その子の話をしていない」


 私は溜め息を吐くと、冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。


「O君が本当に浮気してるとしたら、Tはどうする?」

「…………許せないよ……」


 そう、許せない。

 私とはキスもろくにしないくせに。

 私とはしないセックスを、その女とはしているかも知れない。

 その女で満たされているから、私には求めてこないのかも知れない。


「実はアタシも、ちょっとおかしいかなーとは思ってたんだ」

「え?」


 A子は私に気を使っているのだろう。

 言いづらそうに口を開いた。

「ほら、出張の頻度よ。……確かに最近の漫画家ってデジタルで原稿を送信出来るから地方に住んだままの人も多いし、その漫画家との打ち合わせで出張に行くのも別におかしくはないんだけど……。作品の打合せなんて、基本的にはzoomで十分なのよ」


「えっ、えっ? じゃあ、出張は嘘って事?」

「実際に年に1回くらいは本当に作家に会いに行ってはいるんだろうけど。地方のお土産なんて通販で買えたりするし……。もしかして出張って言って、実はすぐ近所の浮気相手の家に泊まり込んで、そこから会社に行ってる……とか」


 青ざめる私を見て、A子は慌てて言葉を足した。

「なーんてね! 少し前にそういう浮気ネタをレディコミで読んだだけ!」

「や、やだー……ちょっとビックリしちゃった」


「…………でも、アタシ、O君の浮気は本当だと思うよ」

「え……っ」

「確認、してみようか」



 貰ったお土産を一人で食べきれないからと、A子がそれを手土産に訊ねて来た。

 私がそれをお皿に盛りつけている間に、夫とA子は軽くお酒を交わしている。


「アタシちょっとトイレ~」


 A子は結局スマホケースをOと同じ物にしたらしい。

 機種も同じ、ケースの色も同じ。2人ともストラップの類はつけていない。

 一見するとどちらが誰のスマホなのか、分からなかった。

 さりげなくテーブルの上に並べて置いたスマホの片方を、A子は手に取るとトイレに籠った。


 夫のスマホの暗証番号は分からない。

 だがA子がスマホをすり替えるなどと夢にも思わない夫は、A子にスマホ機能の説明を求められるまま画面を開き、そしてそのままテーブルへとスマホを置いた。

 画面が消えてしまい再びロックがかかるまでの僅かな隙を狙って、A子はロックが解除された夫のスマホを持ちだす事に成功した。


「やば……T~っ! どうしよう、アタシ生理来ちゃった」

「そこの生理用品、使っていいよー」

「どこー? 分かんない。T、ちょっと来て~」


 廊下に出てトイレの中を覗くと、A子はS崎M美のLINE画面を開いて見せていた。


『Oくん、大好き』

『また出張しようね』

『奥さんにバレそうでドキドキする』

『Oくんとするのが一番気持ちイイ』

『お仕事行く前にうちに寄れる?』


 浮気が確定した瞬間だった。


 膝から崩れそうになる私をA子は抱き寄せると、慰める様に髪に何度もキスを落としてくれた。その優しさが余計に悲しくて、涙が滲む。


「フフッ! ねえ、アタシ面白い事思い付いちゃった!」

 A子はまるで不思議の国の物語に登場する猫みたいにニンマリと目と口を三日月型に歪め、イタズラっ子の様な笑みを浮かべて言った。


「この浮気相手の女、O君から寝とっちゃいましょうよ」

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