第43話 日歴122年 父の死 下

 喪服に身を包んだ親子は2人向き合っていた。


「ミイヒはずっとお前を案じていたよ。ミイヒと同じようにはできないかもしれないけど、何かあったらすぐに私を頼りなさい。いいね?」

「……うん」

 ギュンターは息子の妙な様子に気がついた。何かを思い詰めている様子である。


 母のミイヒが亡くなってまだ3日。最期は意識もなく寝たきりだったとはいえ、『母の死』の衝撃は大きいだろう。

 かくいう自分もそうだ。16年連れ添った妻が亡くなったという事実を受け止め切れていない。

 それでもギュンターは王として悠然と構えていた。王とは国の顔だ。


 しかし、ギオザの様子は、母の死に対するそれとはまた違って見えた。何か自分に言いたいことがあるような、そんな様子だ。最近はミイヒにかかりきりで、息子の様子を気にしてやることがあまりできなかった。ギュンターは一人反省する。


「何か、聞きたいことでも?」

 その言葉にギオザは顔を伏せると考えこんだ。そして、再度ギュンターを見つめる。その様子はまるで戦場に赴く兵士ように物々しく、ギュンターは怪訝に思った。


「俺は、父さんの子じゃないんだろ」

 ギオザは思い切ってそう聞いた。母が死んで、この事実を知っているのは(おそらく)自分と父だけになった。

 母が生きているうちは、出自について言及するのは憚られた。何らかの形でこのことがばれれば、真っ先に糾弾されるのは母だからだ。しかし、彼女は死んでしまった。


「ミイヒが?」

 父ギュンターは肯定も否定もせずにそう返した。その声は穏やかだった。

「2人の話を聞いた」

「話って……あれか……」

 ギュンターはじゃっかん気まずげに笑った。決して国民には見せぬ顔だ。ギオザは少し毒気を抜かれた気持ちになった。

 衝撃が大きくてあまり深く考えていなかったが、そういえば自分は2人の密談を盗み聞きしたのだと思い出した。愛してる云々、の話もしていたような気もするし、子どもには聞かせたくなかったのは間違いない。


「俺はすべての神力シエロが使える」

「……それはすごい」

 神力シエロのことは知らなかったギュンターは息子の告白に純粋に驚いた。ギュンターはギオザの実の父親について何も知らなかったが、ギオザが黒の神力シエロを扱えることから、アサム王国の誰かだとは思っていた。

 ギオザは父の暢気な様子に、さらに言い募る。

「父さん、俺は」

「ギオザ、お前は私の子だ。誰が何と言おうとね」

 ギュンターがギオザの言葉を遮った。

 王位継承権のこと、ギュンターの本当の子のこと、いろいろなことを頭に思い浮かべていたギオザは、父の言葉に呆気にとられた。


 父の目はひたすらに優しく、泣きわめく幼い子ギオザを宥めるような包容力があった。


『あなたはギオザを愛してくれたもの』

 母の声が蘇った。

 母の目にはそう写っていたという。

 そうだ。特別な力を持ちながらも、これまで自分は父の子であると疑わなかったのは、父が我が子として自分に接してくれていたからではないのか。

 例え、本当の親子じゃなかったとしても、これまでの父と過ごした時間が幻だったわけではない。

 ギオザは父との日々を次々と思い出していった。その中に彼が本心を隠して笑むような様子が果たしてあっただろうか。


 否。父ギュンターはいつだって自分とまっすぐに向き合ってくれた。

 その事実がすべてなのではないか。


 ギオザは心の靄が少しずつ晴れていくのを感じた。自分は父の子だ、たとえ血がつながっていなくとも。他ならぬ父が、そう認めているのだから。少なくとも、ギオザにはそう思えたのだ。


 ギュンターはギオザに近づくと、ギオザの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。ギオザはずいぶんと背が伸びたが、まだギュンターを超してはいない。

 少し前まであんなに小さかったのに随分と大きくなったものだ、とギュンターは感慨深かった。

 そして、大きくなって随分と大人びているから忘れていたが、この子はまだ子どもなのだと思った。


「悩ませてしまったね。でもね、このことは、私は墓場まで持っていく。お前も忘れてしまいなさい。たとえ誰と血がつながっていようと、お前はお前なのだから」

 父の言葉に、ギオザはじんわりと温かな気持ちになった。しばらく荒立っていた心が穏やかになり、世界が明るくなったようだった。自分はここにいていいのだと思えた。

 そして父に感謝した。自分の子ではないと知っていてなお、我が子として育ててくれたこと。

 自分の味方でい続けてくれること。

 ギオザは父の少し大きい手に頭を撫でられながら、そっと彼を見上げた。

まるで神様のような人だ、ギオザはそう思った。父は、自分にとっての神様だ。

 この人を支えたい、恩に報いたい。ギオザは強く思った。そして決意したのである。


 父の右腕となって支え、いずれは父の意思を継いだ王となろう、と。



 それは青天の霹靂だった。

 父の命で貿易の拠点として使えそうな場所を偵察しているとき、一報が入ったのだ。『王が倒れた』と。

 ギオザはすぐに城へ戻った。父の無事を信じたかった。


 しかし、城に戻って対面した父は、すでに息を止めていた。

 ぴくりとも動くことはない。

 ギオザの到着を待たず、亡くなってしまった。


 ギオザはただただ立ち尽くした。

今朝までいつも通り会話をしていた。どうしてこんなことになったのだ。

「なぜ?」

 そう問うギオザに、使用人の一人が恐る恐るといった様子で返答した。

「昼食の煮物を召し上がってから、お倒れになり、そのまま……」

「誰が作った」

 ギオザの声はひたすらに冷たく、使用人たちはどっと緊張した。ギオザの側近のイズミだけが変わらぬ様子で待機している。


「いつもと同じ料理人であるとのことです」

「投獄しろ」

「しかし、ギオザ様。彼では」

 ギュンターの側近が声を上げた。彼はドナードの代から勤めており、城の使用人とも親しい。件の料理人とも昔馴染みだ。あの料理人が王を殺すなんて思えなかった。何より、そんなことをすれば真っ先に疑われるのはわかっているはずだ。


「黙れ。城から人を出すな。疑いのあるものは全員投獄しろ」

「かしこまりました……」

「イズミ、三役会議を開く。王族にも声をかけろ」

「かしこまりました」

 ギオザは父の遺体を前に淡々と指示を出して行った。

 父の死を確認して、真っ先に感じたのは、喪失感と重圧。父亡き今、この城の主、この国の責任者は王位継承権第1位である自分なのだ。

 哀しみ悲しみ泣き暮れる時間など、ギオザには与えられなかったのである。


 それから怒涛の日々が過ぎた。アサム王国は王不在の7日間を過ごし、喪に服した。ギュンターの死の真相はわからぬまま、ギオザは王位に就いた。


 そして少しして、宰相ゾイの思惑に気が付いた。昔からゾイには何故か敵意を向けられているように感じていた。それにしては、自分が王となった後はやけに従順なので、不審に思ってヤオに調べさせたのだ。

 すると、白の国エルザイアンへ秘密裏に文書を送っていることが分かった。内容は、『エルザイアンにいるアサム王国前王ギュンター・ルイ・アサムの子の身柄と、金を交換してほしい』というもの。ギオザはあえてその手紙をそのままエルザイアンに届けさせた。

 ギオザですら父の隠し子がどこの誰か知らない。どうやってゾイが隠し子の居場所を突き止めたのかはわからないが、もし本当にエルザイアンにいるのならば、ゾイに先手を打たれるわけにはいかなかった。


 そしてヤオがエルザイアンに潜伏し調査を続けた結果、エルザイアンはゾイとの交渉に乗るつもりだということがわかった。

 恐らくゾイはギュンターの隠し子がエルザイアンにいることまでは突き止めたが、どこにいる誰なのかはわかっていないのだろう。エルザイアン側はそれを把握していると踏んで、直接国との交渉を試みている。

そしてその読みはあたっていて、エルザイアンはギュンターの隠し子がどこの誰か知っていた。実際は、ゾイからの提案を受けて調査し、発覚した。


 ヤオはゾイとエルザイアンの手紙を盗み見て、エルザイアンの動きを把握した。そしてエルザイアンがギュンターの子、すなわちツァイリーへ送った手紙の行く先を追って、ツァイリーの居所を突き止めると、ギオザの命令通り、馬車の案内の手紙をツァイリーへと送ったのだった。


 それから先はとんとん拍子にことが進み、ツァイリーは、ゾイの手に渡る前にヤオに誘拐され、アサム王国王城の地下牢へと収監された。


 疑いは薄かったとはいえ、反体制ギオザ派との関りがないかを調べるために強硬な手段を取り、どうやらなさそうだということがわかると、ゾイに存在を勘づかれないようにするために、見張りを一人だけつけて監禁を続けた。

 そして、約1年あまりの時を経て、ゾイを国外追放へ追いやった後に、ツァイリーを外へ出したのだった。


 ギオザは正面のツァイリーをじっと見た。本当にこいつはあのギュンターの子どもなのだろうか、とよく思う。

 最初見た時も、ギュンターの姿を想像していただけに驚いたものだった。穏やかな父とは違い、騒々しく無遠慮だ。もっともアザミとして振舞う時は別人のように大人しくなるのだが。器用な奴だと常々感じている。


「なんだ?」

 ツァイリーは口の端にソースをつけながらきょとんとした表情を浮かべた。ギオザはそれを指摘する気も起きず、食事を再開した。


 ふと自分の右手にはまる指輪が目に入った。ツァイリーを縛る道具だ。これは本来、遠方で神力シエロを発動させる道具である。拘束具ではない。

 ただし、爆発させられるというのは本当だ。ギオザは赤の神力シエロを扱えるため、首輪の先で爆発を起こすことが可能なのだ。

 もとより、父の本当の子であるツァイリーを害しようとは思っていなかったが、ツァイリーがゾイの手に落ち、この国に危険が及ぶと判断したときは、どんな非情な判断も下す心づもりだった。


 国のために、と生き続けた父の遺志を継ぐ。それがギオザを突き動かし続けていた。



 考え込んだりこちらをじっと見たり、かと思えば何事もなかったかのように食事を再開したりするギオザに、ツァイリーは気を取られながら父親への興味は尽きなかった。自分にもギオザにも似ていないとはいったいどんな人だったのだろうと。

「前の王様の肖像画とかねーの?」

「ある」

「見たい」

「イズミ」

「かしこまりました」

 イズミは一瞬退室して一冊の本を持ってくると、開いてツァイリーに見せる。ツァイリーは食べ物の入った口をもごもごさせながら身を乗り出して絵を観察した。

 そこには柔らかく笑む男性と気の強そうな美しい女性が並び立っている様子が描かれていた。


「この女の人、ギオザそっくりだな」

「母だ」

「へえ」

 ツァイリーはギオザの母の顔を注意深く見つめた。

 親子というものはこんなにも似るのか、といっそ感動した。それと同時に、確かに父親の方はあまり似ていないなと思う。自分とも血はつながっているらしいが、同じなのは髪の色と目の色くらいだろうか。


 顔が似ていない云々というよりかは、纏う雰囲気が自分と父親この人は全く別物なのだ。

「前の王様、優しそうな人だな」

 ツァイリーは見たまんま感想を呟いた。

「見た目通りの人だった」

 ツァイリーは、ギオザの答えが意外だった。ギオザは怒りを表したり、喜んだりするようなことがないので、感情がわかりづらい。しかし、一連の流れの中で父親に対する敬意はよく感じ取れた。

「満足したなら早く食べろ」

 生暖かい目を向けるツァイリーに、ギオザはぴしゃりとそう告げる。

「えー、もっと見たい」

 元来、人をからかうのが大好きなツァイリーは、ギオザの幼少期の絵などもあるのでは、と期待したが。

「後でお部屋へお持ちします」

 そう言ってイズミは無情にも本を閉じ、部屋を出ていってしまったのだった。

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