第51話 日歴123年 懲悪の日 下

『上手くやれよ!』


 裏口から外へ出されたギオザは、後ろ髪をひかれながら森の中を走った。きっとあの男達は、城からの隠し通路を使ってここまで来たのだろう。イズミは案内役だ。そうなると城の方も心配だった。リズガードがいるので大丈夫だとは思うが……。


 ギオザは立ち止まって肩で息をする。いくら治癒したと言っても、2日前に腹を刺されたのだ。十分な食事や休息をとれているわけでもないので、まだ本調子ではない。激しい動きをすると刺された場所がじくじくと痛み出す。


 ギオザはすべての神力シエロを扱えるが、父親ギュンターやリズガードのように神力シエロ量が特別多いわけではない。致命傷を完治させるほどの力は無かったのだ。


 集団の足音のような音が聞こえて、ギオザは木の陰に身を潜めた。やってきたのは20~30人ほどの隊。メルバコフの象徴である淡黄の花キゼルが描かれた軍服を身につけている。


 彼らはギオザから目視できるほど近い位置で止まった。


「我々はここで待機だ! ギオザ・ルイ・アサム及びアザミ・ルイ・アサムが逃げてきた場合は確保する」

 隊長と思われる男が全体に聞こえるように大声でそう言った。ギオザは息を潜めてメルバコフ軍の様子を窺う。自分の存在にはまだ気づいていないようだ。

「質問よろしいですか!」

「なんだ」

「抵抗された場合は如何するのですか? 2人とも神力シエロ持ちということですが」

 一兵の質問に、隊長が答える。

「ギオザ・ルイ・アサムは生きたまま捕らえよ」

 続く言葉にギオザは息をのんだ。


「アザミ・ルイ・アサムは生死を問わない」


「そうは言っても、奴らがいる旧ラミヤ教会には第一軍が向かっている。2人に対して400人近い配置だ。そうそう何か起こるとも思えないが、我々の仕事は主に、負傷者の手当。最後まで気を抜くなよ」

 隊長の言葉を聞きながら、ギオザは建物の方向を見つめた。


 あの場所には300を超える敵に対してアザミが1人。

 加えて、『アザミ・ルイ・アサムは生死を問わない』。

 ギオザはかすかな声で呟いた。


「お前は強いよな」


 よく軍に交じって訓練していた。前向きな性格で諦めが悪い。

 たとえ四面楚歌でも、いつもの悪知恵で切り抜けられるよな。


 でも、そのシエロを封じたのは、他の誰でもない私だ。


「お前なら上手くやれるだろう」


 誘拐のことも何もかも話せば、メルバコフに寝返ることもできるはずだ。

 黙って殺されることはない。


 でも……。

 出会ってから今までの記憶が走馬灯のようによみがえる。

 確信していた。


 アザミは自分を裏切らない。


 今自分がやるべきことは、やれることは。


 思えば、ずっと囚われていた。王の子として生まれた運命さだめに。

 それが当然として受け入れてきた。悪いこととは思わない。でも。

 お前を巻き込んでしまったこと、それだけは……。


 迷わない。

 王として自分がやるべきことは、この状況で出来ることは、ひとつしかない。

 最後まで王として生きよう。それが自分の運命つとめ


 揺らがない。


 ギオザはふらりと立ち上がり、指輪の嵌まる右手をまっすぐに建物の方へ伸ばした。


 勝敗は決した。

 これ以上は逃げられない。

 私は負けたのだ。

 だから、ここですべてを終わらせる。


「爆ぜろ……!」


『お前の望みを俺が叶えてやる』

 泡沫のように、その言葉が浮かんで、消えた。



 十数人の男達が伏せる中、ツァイリーは肩で息をしながら立ち尽くしていた。見据える先にいるのは、この1年間ずっと側にいた男、イズミである。

「髪、伸びましたね」

 その言葉に、ツァイリーはぐっと拳を握りしめた。

「何でギオザを裏切った……!」

「……理由は問題にはなりません」


 イズミは視線を下げると自嘲気味に笑った。その力ない笑みに、ツァイリーは息をのんだ。イズミのこんな顔は初めて見る。


「アザミ様、あなたを巻き込んでしまいました」

 そう言ってイズミは深く頭を下げた。


 ツァイリーは言葉が出なかった。いっそ意気揚々とギオザへの恨みつらみを話してくれれば、ぶん殴ってやれたのに。


 いつからイズミが裏切っていたのかはわからない。けれど、ずっと側にいたのに、こんなことになるまで気づけなかった。そんな自分にも腹が立つ。



「アザミ様!!」

 それは一瞬の出来事だった。

 顔を上げたイズミは、何かに気づき、必死の形相でそう叫ぶと、ツァイリーへ向かって走った。

 ツァイリーは、ものすごい勢いで駆けてきたイズミに、突き飛ばされ、倒れる。わけもわからず、顔を上げると……。


「イズミ!」


 イズミが、男に腹を刺されていた。


「お前、裏切ったな……!」

 男は憎々しげにそう呟くと、イズミから刃を抜き、ツァイリーに向き直った。

 ツァイリーはすぐさま立ち上がり、男に渾身の一撃を放つ。男は低いうめき声をあげて倒れた。


「イズミ! しっかりしろ!!」

 体勢を崩すイズミをツァイリーが支える。鮮血が服に染みを作る。瞬く間に広がっていくそれをなんとか止めようと、ツァイリーはイズミの傷口を強く抑えた。

 それでも、ツァイリーの手の下から生温かい赤が漏れ出していく。


 イズミの命が零れていく。


「お前、なんで…!」

 ツァイリーは叫んだ。自分を庇わなければ、イズミは無事でいられた。


「アザミ様……私は」


 イズミの手がツァイリーの頬に触れた。

「あなたに生きていてほしい」


 そう、静かに言いきった後、糸が切れたように、イズミの手はツァイリーの頬から落ちていった。


「イズミ……?」

 眠りについたように目を閉じて、ぴくりとも動かない。

「イズミ!!」

 何度呼びかけても、彼が反応することはなかった。

 ツァイリーは震える手でイズミの首筋に触れる。

 しばらくそうした後、ツァイリーは音も無く涙を溢れさせた。


 イズミの最後の表情は、穏やかだった。


「俺は、お前も一緒に生きてほしかった……」

 その声が消えると同時に、ぞろぞろと多くの足音が聞こえてきた。


 ツァイリーはそっとイズミを寝かせると、頬を拭って立ち上がり、音の方へ向かった。

 先ほどの比にならないほどの軍勢が正面口から押し寄せていた。


「何の用だ」

 ツァイリーの声は地の底を這うように低かった。

「……お前は、アザミ・ルイ・アサムだな」

「だとしたら?」

「ギオザ・ルイ・アサムはどこだ」

「知らねえよ」

 敵意を剥き出しにしたツァイリーへ、相手は脅しとも取れる交渉を持ちかける。

「……お前の生死は問われていない。居場所を吐けば、命は助けてやる」

「何言ってんだお前。知らねえって言ってんだろ?」

 ツァイリーの態度にメルバコフ第一軍隊長は青筋を浮かべた。

「話し合う余地はないようだ。かかれ」

 その号令を合図に、兵達がどっと建物の中に入り、ツァイリーへ向かった。

 いくらツァイリーでも、この数相手に敵うわけはなかった。それでも、少しでも時間稼ぎをしなければならない。


『生きていてほしい』

 その言葉は守れなくても。


『どうか、ギオザ様をよろしくお願いします』

 あの時のイズミの言葉も本物だったと思うから。


 男達の矛先がツァイリーに届く、その直前。

 閃光が、その場に満ちた。



 衝撃、熱、怒号。その場にいる皆がこの世の地獄のような光景に怯え、息を呑む中、1人だけただただ静かに涙を流す者がいた。

 男の名は、ギオザ・ルイ・アサム。

 アサム王国の現王でありながら、他国から指名手配を受けた男。

 血も涙もないと知られた彼が流した涙は、誰に気づかれることもなく、熱風に攫われた。

 直後に彼は、両手両足の自由と神力シエロを奪われ、捕らえられた。彼は抵抗する素振りを一切見せずにこう言ったという。

「最後にいい仕事をした」

 その日メルバコフ王国は、7日後にギオザ・ルイ・アサムの公開処刑を行うことを決定した。


 懲悪の日・・・

 ラミヤ大森林の旧ラミヤ教会の建物内にて潜伏中のアサム王国国王ギオザ・ルイ・アサム確保のためメルバコフ王国第一軍がかの地に侵攻。建物外に避難したギオザ・ルイ・アサムが建物を爆発させたことにより、メルバコフ王国第一軍の主力が壊滅した。推定死者数は約348名、内1名はギオザ・ルイ・アサムの側近であったとみられる。白刃の乱(p291)にて負傷していたギオザ・ルイ・アサムはメルバコフ王国第一軍補助部隊に捕らえられた。

(黒の国歴史大全より)

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