過去とその先へ

第34話 日歴122年 薬師 上

 ツァイリーは屈強な男と対峙していた。互いに相手の動きを窺う。


「はっ」

 ツァイリーは鋭く声を放って、正面から相手に斬りかかる。男もまたツァイリーの一振りを受けようと構え、両腕を大きく振り上げた。

 男とツァイリーには体格の差がある。まともにぶつかれば、ツァイリーは力で押し負けるだろう。


 周囲の者がそろって固唾を飲む中、ツァイリーは刀が交わる直前、俊敏な動きで姿勢をかがめると、思い切り相手の脛を蹴った。体勢を崩した男は地面に片手をつく。

 男が顔を上げた時、首筋には刀の先が突きつけられていた。


 ツァイリーの勝利である。


 どこからともなく拍手が巻き起こる。

 ツァイリーは木刀を下ろすと、周りに軽く手を振り、対戦相手に一礼した。


「参りました」

 ツァイリーよりもひと回り大きい男が敗北を認め、一層観衆は盛り上がった。


 ここはアサム王国内にある軍の訓練場だ。

 ツァイリーは度々ここへ来ては、訓練に混ざっていた。最初は王族のお遊びだと適当に相手していた兵たちも、ツァイリーの才覚と、どんどん技を吸収し強くなっていく様子に、最近では軍人として彼を認めつつあった。

 ツァイリーは、首筋に汗が伝うのを感じながら、腕で日差しを遮った。今日は夏月5日。まだ初夏だというのに、暑い。エルザイアンはこの時期もっと涼しかったはずだ。


 ツァイリーがセゾンのことをしみじみ思い出していると、ふと彼の周りが陰った。隣を見るとイズミがいる。彼が日傘を差してくれたようだ。


「ありがとう」

「いえ。馬車に戻れば、飲み物の用意もあります」

 今日は朝からずっとここにいる。さすがのツァイリーも休憩をしたい頃合いだった。


「そろそろ戻るよ」

 ツァイリーは訓練用の甲冑を外しながら、訓練場の門をくぐり、馬車に戻る。中は幾分か涼しくて、イズミからもらった冷たい茶を一息に飲み干すと、生き返るような心地だった。


 メルバコフとのライアンの奪い合いが協議の末に終わり、ツァイリーが王城に帰ると、それからしばらくは忙しい日々を過ごした。

 三役会議に、ライアン奪還を祝う式典、貴族からの食事会などへの招待も倍以上に増え、作戦の責任者として何度かライアンにも渡った。作戦前はたまに予定が入る程度だったのに、帰ってきてからは2日に一度はなにかしら出席しなければいけない用事があった。

 ただでさえ、アザミ・ルイ・アサムを演じることに気苦労が絶えないというのに、多忙というのもあり、ツァイリーは精神的に疲弊した。


 そんな折に、ヤオがひょいとあらわれ、ツァイリーを隠し通路へと誘導した。2回目の城下町探索への誘いである。

 1回目で味を占めていたツァイリーはその誘いに乗った。なんでもいいから気分転換をしたかったのだ。

 1人と1匹は前回行かなかったところも含めて、城下町をふらふらと歩き回った。

 作戦後はツァイリーが民衆の前に出る機会があり、あの不名誉な似顔絵も改善されたことで顔がわれていたので、外套を羽織って正体がばれないように気を遣った。そのかいあって、第2回城下町探索も見事誰にも気づかれずに終わったはずだったのだが……。


『楽しかったか』

 その晩の夕食時に、ギオザにそう言われてしまったのである。そう、ギオザにはバレていたのだ。どうやら、ツァイリーにつけられている首輪によって、ある程度の位置が把握できるらしい。

 そこではじめてツァイリーは、ギオザが右手中指につけている指輪と、自分につけられている首輪がどうやら対になっているということを知った。

『行きたいのなら好きに行けば良い……だが、イズミにことわっておけ。今日も探していた』

 今日も、ということは、前回も探していたのである。てっきり前回は不在にさえ気づかれなかったと思っていたツァイリーは、自分の認識が甘かったと反省した。


 そんなことがあってから、ツァイリーは気晴らしや身体を動かすために、よくイズミと共に城下町に出るようになった。最初は遠巻きに見ていた街の人々も、最近では慣れてきたのか、気軽に挨拶してくれるようになった。ツァイリーは気張らなくて済むこの場所が好きだ。


「本日はこのまま帰りますか?」

 イズミの問いにツァイリーは少し考えて返事をする。

「小腹が空いたから買い食いしたい」

「歩きながらはだめです。食べるのは馬車の中でしてください」

 イズミはいつも背筋をぴんと伸ばしていて口調も淡々としているので、一見融通がきかなそうであるが、なんだかんだツァイリーの要望を叶えてくれる。ツァイリーはそのことをよく理解していて、最近はイズミに頼ることも増えた。仕事を増やしてしまって申し訳ないとは思っている。

 2人は出店が並ぶ通りに来ていた。いたるところから美味しそうな匂いが漂ってくる。ツァイリーは何にしようかと、あちこち見渡しては悩んでいた。



「それはアカギ肉ですよね。さすが長寿国と呼ばれるアサム王国。ちなみにどこの部位ですか? アカギの血は解熱効果があるのですが、どう処分してます?」

「そんなの知るか、肉屋に聞け! 買わないなら、ほら帰った帰った。後ろに客並んでるだろーが」

「あっ、すみません、買います!」


 肉の串焼きを売っている店のやりとりが聞こえてきて、ツァイリーは思わず足をとめた。今慌てて財布を取り出している女性は、アサム王国ではあまり見慣れない服装をしていた。発言からしても、アサム王国民ではないのだろう。

 アサム王国は他国と国交を絶っているが、他国民が全く入国できないわけではない。身元と目的がはっきりしていれば受け入れているのだ。

 それにしてもやはり外部の人間は珍しいし、メルバコフの一件があって以降、アサム国民のよそ者に対する風当たりは強い。


「おっ、アザミ様! うちの買ってってくれよ!」

 店の前で立ち止まっているツァイリーに店主が気づいて声をかけた。列に並んでいた人々もツァイリーに気づいて、道を開ける。

 ツァイリーは買いませんとも言えないので、順番を譲ってくれた人達に会釈をしながら店の前まで行った。

「では、2本ください」

「まいどあり!」

 イズミが金を払い、店主が準備している間、ツァイリーは横からずっと視線を感じていた。

 耐えきれなくなって視線を向けると、先ほどの女性がツァイリーを見つめている。


 女性は端整な顔立ちをしていた。女性には珍しく顎ほどの長さで切りそろえられた色素の薄い髪と、利発そうな瞳が印象的だ。

「あの、何か……?」

「王弟のアザミ様ですか?」

「はい」

 ツァイリーが頷くと、女性は深々と頭を下げた。


「どうか私の頼みを聞いてください!」


 周囲がざわつく。

 明らかな異国人が仮にも自国の王族に「頼みがある」とは、無礼極まりない。 

 ツァイリー自身はともかくとして、周りからはよく思われないだろう。


「正規の手続きを踏んでください」

 串を受け取ったイズミが淡々とそう言うが、女性は頭を下げたままである。

「……少しなら、話を聞きましょう」


 ツァイリーは、自分が聞ける頼みなんてあるのだろうかと思いながらも、このまま女性を置いて去るのも忍びなく、そう答えたのだった。


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