第12話 日歴122年 冬の月宴会 上

 その日、朝起きて窓から城下を見下ろしたツァイリーは、まだ早いというのに出店が並び人通りの多い街を見て、今日がいよいよ月宴会当日であると実感すると、この20日間にわたる自分磨きの日々を思い返した。

 リズガードは忙しいらしく、いつもついてくれるわけではなかったが、それでも毎日彼の指示通りの行動をした甲斐があって、ツァイリーは最初とは見違えるほど変わった。


 主に筋肉がつき、肌艶がよくなり、顔にも程よく肉がつき、シュッとした男らしい見た目になったのだ。

 あれからギオザとはあまり話す機会は無かった。とはいえ、同じ階に住んでいるので顔を合わす機会は多い。


「にゃあ」

 不意に聞こえた鳴き声に、ツァイリーは身体を硬直させて、おそるおそる振り返った。

 そこに尻尾をゆらゆら揺らす小さな生き物がいるのを視界に捉えると、ものすごい速さで後ずさり、すぐに後ろの壁に背をぶつけると、痛みから蹲った。


「うにゃあお」

 ツァイリーの部屋に侵入した猫は、そんなツァイリーの奇行をものともせずに彼に近づく。ツァイリーは自分よりもずっと小さく、ふわふわしたこの生き物が、大の苦手だった。


 この猫は、ギオザが子どもの時に拾ったのをきっかけに城を出入りするようになった半飼い猫で、6階建てのこの城を自由に歩き回るのを許されている存在である。

 毛が黒く金色の目をしているので夜王ヤオウと呼ばれている。最初この猫と相対したとき、ツァイリーは短い悲鳴をもらし、その場から脱兎のごとく逃げ出した。それからヤオウは頻繁にツァイリーの前に現れるようになった。


 イズミは「アザミ様と仲良くなりたいのでしょう」と言うが、ツァイリーはヤオウが自分の反応を面白がっているようにしか見えなかった。


 最初はヤオウを見ればすぐに逃げていたツァイリーも、何度も見かける内に遠くから存在を確認できていればそこまで怖くなくなった。しかし、ヤオウはツァイリーの反応が薄くなるやいなや、今度は今のように不意打ちで現れるようになったのだ。


「ヤオウ」

 いつのまにか部屋まで来ていたイズミがすたすたと近づきヤオウを抱き上げた。


「にゃ」

 頭を撫でられたヤオウは気持ちよさそうに目をつむる。ツァイリーとは対照的にイズミは猫が好きなようで、ヤオウを見かけると必ず抱っこしてその柔らかな毛並みを堪能している。

 ちなみにリズガードは猫が好き嫌い以前に、服に毛がつくのを嫌がって近づかないし、ヤオウもまたリズガードには近づかない。


「猫を怖がってどうするのですか」 

 呆れた様子のイズミにそう言われて、ツァイリーは返す言葉が無かった。ツァイリーだってヤオウの見た目はかわいいと思う。しかし、どうしても近づいた瞬間にその鋭い爪で引っかかれるような予感がしてしまうのだ。

 イズミはヤオウの喉をひと撫ですると、部屋の外にそっと下ろし、扉を閉めた。ヤオウが完全にいなくなったことで、ツァイリーは肩の力が抜け、いつものように髪を結ってもらうために椅子に座った。


「俺の髪すげーさらさらになったよな」

 ツァイリーは最近自分の髪を触るのが好きになった。おそらくリズガードも愛用しているという石けんと乳液のおかげだろう。


「はい、結びやすくなりました」

 ツァイリーは、朝起きてイズミに髪を結ってもらうのが日課になっていたが、実際最初に比べると髪を結ぶのにかかる時間が大幅に減っていた。


「あれ、今日はいつもと違うの?」

 ツァイリーはイズミの髪の取り方がいつもと何か違うことに気づいた。いつもは左と右をそれぞれ1回ずつ編み込んで後ろでひとつにまとめているのに、今日は左側の髪を少量取って小さく編み込んでいる。

「いつもの髪型では少々幼すぎますので」


 最終的にイズミはツァイリーの左側の髪の毛を4つに分けて編み込み、右側は櫛でとくだけでそのまま流した。前髪も右に流し、ツァイリーは右目に前髪が微妙にかかるのが気になったが、鏡を見るとだいぶ大人っぽい印象になっていて、髪型ひとつでこんなに変わるのかと驚いた。


「イズミすごいな!」

 手放しに褒めるツァイリーにイズミも悪い気はしなかったが、少し心配になった。ツァイリーはよく笑い親しみやすい青年なので、彼を利用しようと企む貴族になめられないよう、せっかく髪型をそれらしくしても、口を開けばどうしても印象が柔らかくなってしまう。


「月宴会では必要以上に発言しないようお気を付けください」

 ツァイリーはギオザにも同じようなことを言われていたことを思い出し、きっと余計なことを言って怪しまれないようにするためだろうと1人納得すると、頷いた。



 月宴会を前にツァイリーはギオザに呼ばれ、今は彼の執務室にいた。

 ツァイリーは式典用の礼服をまとい、装飾品までつけていて、孤児院育ちとは思えぬほど王族然としていた。


「今夜の月宴会は3つ大事なことを発表する。1つ目が、アザミ、お前のことだ」

 それは前々から言われていたことなので、ツァイリーはただ頷いた。


「2つ目は、食糧不足について。今年は収穫量が特に少なく、来年分の穀物が足りていない。その打開策として、30年前に隣国メルバコフに奪取された領土の奪還を行う」

「食糧不足……?」

 ツァイリーはアサム王国の事情を全く知らないが、現状として毎日ちゃんとした食事を与えられているので、食糧不足という言葉に驚いた。さらに、領土の奪還ということは、つまりは戦争ということではないか。

 ツァイリーは街に下りたことはないが、毎日窓から城下を見下ろしては、その活気に満ちた様子を見てアサム王国は平和なのだと感じていた。

 戦争になれば、その平和は崩れ去るだろう。


「3つ目は、お前を奪還作戦の責任者にすえる」

「はあ!?」

 ツァイリーはあまりに予想外の言葉に声を上げずにはいられなかった。


「そんなの、できるわけないだろ!」


 自分の父親が王だっただけで、ツァイリー自身はアサム王国に来てたった20日だ。具体的に何をやるのかわからないが、そんな自分が戦争の責任者など、できるわけがない。


「できるできないじゃない、やれ」

 ギオザの視線が首輪に向けられていることに気づくと、ツァイリーは息を呑んだ。もとより自分に拒否権はないのだ。


「前線には出さない。軍の指揮は軍の者に任せる。お前は椅子に座っていればいい」


 ツァイリーはめまいのするような思いがした。牢から出されて20日間、やるべきことはあったとはいえ、まるでぬるま湯に浸かっていたような日々だった。そこに冷や水を浴びせられた気分だ。

 ツァイリーは、自分が誘拐され監禁されていた身だということを改めて思い出した。ギオザにとって自分は駒のひとつにすぎない。


 そして、ツァイリーの第一優先事項は生き残ることである。生き残るためには、やるしかない。


「わかった」


 それからツァイリーとギオザは発表の流れを確認し、連れ立って部屋を出た。


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