第10話 日歴121年 美の化身 上

 ツァイリーはカーテンの隙間から差し込む朝日を受けて目を覚ますと、大きくあくびをした。


 夢さえ見ないほどの深い眠りは久々で、ツァイリーは寝ぼけながら意味もなくシーツに足を滑らせると、これも上質な寝具のおかげかと思った。


 ツァイリーが今いるこの部屋は、ギオザの執務室と私室から2部屋あけた並びにあった。なんと、昨日まで牢屋に入れられていたツァイリーは、王城の、しかも王の居室とほど近い場所に部屋を与えられ、専属の使用人までも配置されたのだった。


 ツァイリーに付いた使用人は名をイズミといい、彼よりもやや年上に見える無愛想な男だった。王城で見かける使用人は、ほとんどが若くて清潔感があり美しい女性ばかりだったので、ツァイリーは拍子抜けした。

「どうせなら若いお姉さんがよかったな」と冗談交じりで言ったツァイリーに対して、イズミは「万が一があっては大変ですので」と無愛想かつ直接的に返した。

 ツァイリーはその何かがツボにはまって大笑いし、そのせいで現在じゃっかん腹筋に痛みを感じていた。


 そのイズミによると、ここは以前、ギオザの私室だったらしい。以前と言っても、ギオザが即位する前までなのでわりと最近の話である。

 王子が使っていた部屋なので、もちろん広く、そのままになっていた家具も豪奢だ。特に今ツァイリーが横になっているベッドは、2回横に回っても余裕があるほど広い。

 ツァイリーは先王の子であり、現王と半分血の繋がった兄弟である。外面的なことを考えた上での待遇だろう、とツァイリーは考えている。


 起き抜けだというのに、良質な睡眠を取れたからなのか、やけに頭はすっきりとしていた。ツァイリーは体を起こすと、肌蹴た寝間着を正す。アサム王国とエルザイアンでは衣食の文化が大きく異なるようで、この寝間着も昨晩イズミに着方を教えてもらった。


 ツァイリーは水を一口飲んで、カーテンを開けると、目の前に広がる光景にしばらく見入った。

 窓の先には城下町が広がっていて、美しく整備された街並みにずらりと並ぶ家屋はとても小さく見えた。実際に家屋が小さいのではなく、ツァイリーの今いるこの城が高い場所に建てられているのだ。さらに、この城自体とても大きく、おそらくここはその中でも最上階であろうと思われた。


「おはようございます、アザミ様」

 不意に後ろから声をかけられ、ツァイリーはぱっと振り返った。そこには美しくお辞儀をするイズミがいて、ツァイリーはこの城について聞いてみようと思い立った。


 ツァイリーが思うに、イズミは自分の監視役だ。


 おそらく自分が監禁されていたことも全て知っているのだろう。昨日ツァイリーはギオザに、「何かあったらイズミに言うように」と言われた。人前では極力話すな、の『人』にはイズミは含まれていないのだ。

 よって、ツァイリーは分からないことは何でもイズミに聞こうと思っていた。ツァイリーがどこまで無知でも、イズミは不審に思わないだろう。


「ここって何階建て?」

「6階建てでございます」

「ここは何階?」

「6階でございます」

 ツァイリーは6階建ての建物など初めて聞いた。どうりで高いわけである。


「誰が住んでるんだ?」

「1階には使用人が。2階は宴などに使われる大広間や中広間などがあり、誰も住んではおりません。3階は客間で、お客さまがお泊りになられることがございます。4階は厨房や、応接間などがあり、誰も住んではおりません。5階はもとは御正室や御側室のお部屋でしたが、今は1人もおりません。陛下の従兄弟にあたるリズガード様が住まわれております」

「ギオザは結婚してないのか」

「はい」

「ギオザって何歳?」

「先の月に25歳を迎えられました」


 ツァイリーは正確な自分の誕生日を知らないが、今年で21歳のはずだ。ギオザは4歳年上ということになる。

 25歳でまだ結婚していないというのは、遅いのか、普通なのか。ツァイリーには分からなかったが、身分を抜きにしてもあの涼やかな美貌は女子に人気だろうから、きっと高貴な身分では簡単には結婚できない問題でもあるのだろうと、不憫に思った。


「リズガード様が半刻後にこちらへいらっしゃるとのことです。着替えと朝食を済ませましょう」

「……わかった」

 ツァイリーはリズガードのことを思い出して気が重くなった。どんな初対面の相手にも気安く声をかけられるツァイリーだが、リズガードは例外だったようで、彼の前ではらしくもなく緊張してしまうのだ。


「なあ、リズ様ってどんな人?」

「……どんな人と申しましても」

 この質問にはイズミも困ったようだった。


「王族の中では民衆から圧倒的人気を得ているお方です。陛下と8つ歳が離れており、現王派閥の中心的存在でもあります」

「派閥?」

「先王様がお亡くなりになられた後、ギオザ様とリズガード様が次期王の候補に挙げられ、リズガード様が辞退しギオザ様についたことでギオザ様が即位されました。リズガード様を次期王に据えようとしていた派閥はその後、現王派閥につく者と、新たな王候補を擁立する派閥の2つに分かれました」

「ギオザは先王の長子なんだろ? なのになんで他に候補が上がるんだ?」

神力シエロです。リズガード様は強い黒の神力シエロをお持ちです。ギオザ様も黒の神力シエロを持っていますが、リズガード様に比べるとその力は弱く、さらにリズガード様は民衆に人気がありますので」

神力シエロ……この国の神力シエロは黒なんだよな」


 ツァイリーは神力シエロを持っているが、その実、神力シエロについてはあまり知らない。わかっていることといえば、神力シエロを持つ人は稀であり、そのほとんどは王族であること。神力シエロには色があり、その色の名を冠した国があること、くらいである。


 アサム王国は、黒の国と呼ばれている。そして、ツァイリーが育ったエルザイアンは白の国と呼ばれていた。


 ツァイリーの神力シエロの色は黒だ。これは如実に、ツァイリーの父親がこの国の先王である事実を示しているように思う。

ギオザがツァイリーの神力シエロを封じたのは、逃亡防止だけではなく、神力シエロを使われると困る事情があったのだ、とツァイリーは解釈した。


「なんでリズ様は民衆に人気なんだ?」

「リズガード様はギオザ様が即位するまでの数年間、アサム王国軍の総指揮を務めておられました。美貌もさることながら、その強さも折り紙付きで、凱旋時には毎度道が人で埋め尽くされたほどです」

「すっげえ……」

 あの見た目でさらに軍の総指揮なんて務めていたら、そりゃあ人気だろうとツァイリーは思った。体躯が逞しいので強そうだとは思っていたが、神力シエロも強く軍隊の経験もあるとなると、本当に敵には回したくない。


 ツァイリーはこの後そんな相手を欺かなければならないのかと思うと、さらに気が重くなった。昨日、ギオザはリズガードに自分を偽の設定で紹介していた。リズガードはまだツァイリーがどんな流れでここに来たのか知らないはずだ。


 ツァイリーの相手をしながら朝食の準備をしていたイズミは、用意が整うと椅子をひいてツァイリーを促した。


 ツァイリーは椅子に座ると、目の前に並ぶ料理にほうっと息をついた。昨日は昼食に続いてさらに豪華な夕食を堪能した。それに比べると簡素なものだが、セゾンの園での朝食といったら固いパンをスープに浸して流し込むといった程度だったので、やはり皿が何枚も並ぶ卓を見るとそのあまりの違いに驚いてしまう。


 そういえば、ツァイリーはこの一年の牢での食事の方が、セゾンの園での食事よりもちゃんとしていたかもしれないと思った。あまり美味しく感じられなかったのはいつ殺されるともしれないという状況と、なんの変化も面白みもない環境のせいだったのかもしれない。


「苦手な食べ物等ございましたらお申し付けください」

「うん、ありがとう」

 アサム王国の食事はエルザイアンとは大きく異なり、食材も味付けも初めて口にするものばかりだ。しかし、ツァイリーは不思議とあまり苦手意識は感じなかった。これも血の影響かもしれない、と思うと、ツァイリーは少し不思議な心持ちだった。



 食事を終えると、ツァイリーは寝間着を着替え、イズミに髪を結われた。

 ツァイリーの髪は1年間伸びっぱなしだったので、今では肩よりも長い。

 イズミは最初にツァイリーの伸び切った前髪を切り、その後ツァイリーの両サイドの髪を編み込んで後ろで一つに結んだ。あまりの手際の良さにツァイリーはただただされるがままで、自分が何をされているのかもいまいちよくわからなかった。


「すごいな……こういうのも習うのか?」

「いえ。妹がいますので、よくやっていただけです」

 イズミの返答を聞いて、ツァイリーはセゾンの園の子どもたちを思い出した。血のつながりはなくとも、ともに育ったセゾンのみんなは家族のようなもので、妹と呼べる存在はツァイリーにもいる。しかし、これまでこんな風に髪をいじってやることなどなかったし、思い至りもしなかった。 

 ツァイリー自身は少し髪が伸びたらレイディアに切ってもらっていたので顎より長くなることはなく、髪を結ぶのだって今回が生まれて初めてである。


ツァイリーは編み込まれた部分をそっと触ると、意外としっかりとしていることに驚いた。

 美味しいものを食べてぐっすり眠り、無造作だった髪を整えた自分の姿は、昨日とは別人に思えた。まだ顔はこけているが、この食生活が続けばすぐに戻るだろう。


「リズガード様がお越しのようです」

 そのイズミの言葉のすぐ後に、コツコツと足音が響き、扉が叩かれた。


 イズミが扉を開けると、そこには昨日よりも淡い服を着て、昨日と同様全身から美のオーラを放つリズガードが立っていた。

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