第3話 日歴120年 誘拐と消失 下

「は…………?」


 レイディアは突然の宣告に息が止まるような思いがした。


 心臓が嫌な音を立てる。


「そんなわけ……何かの間違いでしょう!?」

 人の良さそうな壮年の男性は悲痛そうに頭を横に振った。


「お体を確認しますか?」

 そう言われて初めてレイディアは、扉の先に長方形の箱を手分けして持っている人々がいることに気がついた。

 その白い箱は明らかに、だった。

 レイディアはハッとその棺を凝視すると、膝をついた。指先まで震えが収まらない。


 そんなまさか。昨日の朝、いつものようにしょうもない冗談を吐いて、出かけて行ったじゃないか。


 恐ろしかった。

 自分の目でそれを確認したくなかった。

 誰か夢だと言ってくれないか、そう願わずにはいられない。


「この度は大変申し訳ありませんでした。御者によると、落石に巻き込まれ、馬車ごと崖から落ちてしまったということです。御者は馬車から飛び降りたため命に別状はありませんでしたが、我々が助けに行った時にはツァイリー様はもう…」


 レイディアは何度も浅い呼吸を繰り返すと、ふらりと立ち上がった。


 危うげな足取りで、棺の元に向かう。男達がゆっくりと棺を地面に下ろすと、レイディアはその前に両膝をついた。


「開けなさい」

 男性が指示すると、棺の蓋が開けられる。瞬きもせずにそれを見守っていたレイディアは、蓋が取り去られ、馴染みのある顔を認識した途端、涙を溢れさせた。


「嘘でしょ……」

 見間違いじゃないかと、滲んだ視界を取り戻すように目を強くこすってみても、見えたのは幼なじみのツァイリーの顔だった。


「リー、リー! 起きてよ!」

 肩を掴んで揺すぶってもツァイリーの生気のない顔はピクリとも動かなかった。


「リー」

 それでもレイディアは名前を呼び続ける。しかし、レイディアがツァイリーの頬に触れたとき、レイディアのかすかな希望は打ち砕かれた。


 ツァイリーの頬にはぬくもりが全くなかった。生きている人間の体温ではなかったのだ。

 レイディアはただただ静かに嗚咽をもらして泣いた。ツァイリーの胸に顔を埋め、現実を忘れるように泣いた。


「レイ兄、どうした……リー兄!?」


 少しして、レイディア達の次に年長のメリッサが異変に気づいて外に出てきた。

 レイディアに近寄り、棺の中の人物に気づくと、駆け寄る。


「リー兄!? どうして……!」

 レイディアはメリッサに気づいているのかいないのかツァイリーにしがみついて泣き続けている。メリッサもかなり混乱したが、どうやらツァイリーが死んでしまったという事実には気づかざるを得なかった。


「どういうことなんですか!?」


 生真面目なメリッサはいつもふざけてばかりのツァイリーのことは嫌いだった。それでも、ツァイリーはセゾンの園にとって大きな存在だと認めていた。


 泣き崩れているレイディアと沈黙を貫くツァイリーを前に、立ち尽くす。


どうしてこんなことになってしまったのだろう。リー兄は、仕事に出かけていたんじゃなかったのか。


異様なこの状況に、悲しみに暮れるよりも先に、怒りにも似た感情が湧いた。


「彼を乗せた馬車が落石事故に巻き込まれてしまい、助けに行った時にはもう」


 ツァイリーの顔にはアザがあった。肌の色は土気色で、決して生きているとは思えなかった。

 メリッサはこみ上げるものを飲み込んで毅然として尋ねる。


「それで、あなたたちは誰ですか」

「私たちは馬車会社の者です」

「そうですか」

 メリッサは再度レイディアを見た。

 きっと外の音が全く耳に入っていない状態だろう。レイディアにとって、ツァイリーは唯一無二の存在だったとメリッサは思った。


 メリッサにとってもお調子者のツァイリーが死んだというのは受け止めがたいことで、深く考えれば何も手に付かなくなりそうだったが、レイディアの状態を見て、この場を収められるのは自分しかないと身を奮い立たせる。


「運んでいただき、ありがとうございました。子ども達が起きるといけないので、お引き取りください」

「はい、そうさせていただきます。その前にひとつご提案なのですが……」

「なんですか」

「ご遺体の火葬をこちらで引き受けさせていただけませんか。事故とはいえ、弊社の馬車の利用中に起きてしまったことですので、何か力になれればと」

「火葬……」


 未だツァイリーの死を受け入れられていないのに、現実的な話が出てきてメリッサは混乱した。

 それでもなんとか冷静を装って考えてみると、その提案はありがたいもののように思えた。


 メリッサはこれまでの孤児院での生活で、誰かの死を経験したことがない。遺体をどうするかの段取りもわからないし、普段ならばそういうことを引き受けるレイディアは、今回は何もできないだろうと感じた。


「そうですね……お願いします」

「はい。それでは、2日後の夕方にまたこちらへご遺体を受け取りに参ります。それでよろしいでしょうか」

「……はい、大丈夫です」


 2日というのは、レイディアにとっては短い時間かもしれない。

それでも、身体は朽ちるということを考えると2日というのが良い気がしたし、逆に自分もレイディアも時間を経れば経るほど離れがたくなるのではないかとも思った。


 馬車会社が撤収した後も、レイディアはツァイリーから離れなかった。馬車会社は棺を建物内に入れようかと言ってくれたが、レイディアが動く気配がなかったので断った。


 その場にメリッサとレイディア、動かないツァイリーだけになると、メリッサも堪える理由がなくなって涙腺が決壊した。


 嫌いだったとはいえ、かけがえのない家族だった。これから先もずっと、自分の人生の中にいると思っていた存在だった。


 しばらく経って、嗚咽が聞こえなくなった頃、メリッサが声をかけた。


「レイ兄……」

「ごめん、メリッサ……」

 メリッサはやっとレイディアから反応が返ってきたことに安堵した。しかし、レイディアはとにかく憔悴しきった様子で、今後のことを話し合う気力はなさそうだった。


「とりあえず、リー兄を中に運ぼう? ここは寒いでしょう」

「うん……」


 レイディアはツァイリーを横抱きにして、落とさないようにゆっくりと歩みを進め、ツァイリーの部屋のベッドに彼を寝かせた。その間、メリッサは棺を引きずって、見えづらい場所に運んだ。

 メリッサは、棺というのは死の象徴のような気がして恐ろしく、少しでも遠ざけたかったのだ。

 ツァイリーの部屋で、彼の手を握って茫然とするレイディアを見つけたメリッサは、部屋に入ると扉を閉めた。ツァイリーの死は子どもたちにとっても大きい。1番ショックを与えない方法で伝えなければと思った。


「レイ兄、子どもたちには私から伝えるよ。あと、さっきの人たちが2日後にリー兄を引き取りに来て、火葬してくれるって」

「火葬……」


 今のレイディアにどんな慰めの言葉をかけてもだめな気がして、メリッサは部屋から出た。しばらくひとりで考える時間も必要だろう。メリッサもまたひとりで考えたかった。



 メリッサは誰もいない礼拝堂に訪れた。

 セゾンの園があるエルザイアン白の国はシエル教を国を挙げて信仰しており、セゾンの園もまたもとは教会で、今は不在の神父モーリスが20年ほど前に国に掛け合って孤児院としての運営も始めたらしい。そんなわけで孤児院は教会の形をなしているのである。


 メリッサは月明かりに照らされるステンドグラスをぼんやりと見つめた。この教会は今でこそ孤児院の陰に隠れて来訪者は少ないが、ここらの田舎には不釣り合いなほど立派だ。


 礼拝堂は荘厳で、心が少し鎮まる。


 遺体を見てもなお、メリッサはツァイリーの死が信じられなかった。ツァイリーは殺しても死なないような男だった。それが落石事故に巻き込まれてあっさり死ぬなんて、どうしても違和感がある。


 しかし、いくら信じられなくても遺体があるのだ。


 ツァイリーは死んでしまった。認めざるを得ない。


 メリッサは両膝をついて、手を組み、目を閉じる。


 どうか、リー兄が安らかに眠れますように。そしてレイ兄が立ち直れますように。



 彼女の祈りが届いたのか、翌朝レイディアはいつもと変わらぬ様子で、朝食の準備をするメリッサに声をかけた。


「少しいいかな?」

 レイディアはメリッサを連れて礼拝堂に入ると、扉を閉める。


「リーのこと、子どもたちには内緒にしてほしい」

 そう告げられたメリッサは驚くことなく、頷いた。

「私もそうした方がいいと思ってた」

 兄、あるいは父のように慕っていたツァイリーが死んでしまったという事実は子どもたちにとって衝撃的であり、そんな残酷なことを子どもたちに伝えたくないと、一晩考えた末にメリッサは結論づけた。


「リーは長期の依頼を受けることになって、しばらく帰ってこれないと、とりあえずは説明する」

「うん。それじゃあ、私は明日1日子どもたちをどこかに連れ出すね」

 レイディアは、施設の中では年長とはいえ4つも下のメリッサがそこまで考えてくれていることに驚いた。

 メリッサの目元は腫れ、いつもよりも覇気はなく、おそらく寝ずに考えていたのだろう。

 レイディアはメリッサの目元にそっと手を伸ばす。

 驚いて目をつむったメリッサは、瞼の外に白い光を感じ、ほどなくして重たかった目元がすっきりしていることに気がついた。


 目を開けると視界が明瞭になり、なんだか少し世界が明るく思えた。


「ありがとう、メリッサ。昨日はごめん」

「ううん、レイ兄、今日はゆっくり休んで」

「大丈夫。俺が泣いてるとリーは怒るだろうしね」

 力なく笑みをこぼしたレイディアを見て、メリッサは安堵した。昨日は廃人のようになっていたレイディアだったが、一晩を経て、少しずつ整理がついてきたらしい。


「それじゃあ、私ご飯の準備に戻るね!」

 メリッサが教会から出ていくのを見送ったレイディアは、長椅子に腰掛けると、朝日に輝くステンドグラスを見上げた。


 セゾンの園はどこもかしこもツァイリーとの思い出が詰まっていて、レイディアはふとした瞬間に思い出されるそれらをどうしても阻むことができなかった。


『これ!俺の母さんのメッセージなんだよ!』

『メッセージ?』

『うん!俺のそばにはリザがいるんだ!』

『どういうこと?』

『俺がピンチになったらリザが助けてくれるってこと!』


「リザがついてるんじゃなかったの、リー」

 幼き日に得意げに語っていたツァイリーを思い出したレイディアは、思わずそう呟いた。


 誰にも聞かれなかった呟きは、荘厳な礼拝堂の静けさに打ち負け、消えた。


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